多様で新しい価値軸を見つける。キーワードは美しさ!
こんにちは!犬派の大学院生です。
日常の何気ない経験から多様で新しい価値軸を発見する
というテーマに沿ってnoteを続けています。今回は、そのテーマになった背景を書いてみます!
自己紹介します
春から経済学を学ぶ大学院生(22)です
もともとは工学部で半導体の研究をしていました(理系→文系)
行動経済学とデータサイエンスに興味があります
得意なことは傾聴、苦手なことは大人数の飲み会で中身の薄い話を大声で話すことです
本が大好きで小説やビジネス本、新書などいろんなジャンルの本を読みます
クリープハイプというバンドのボーカルの尾崎世界観や、芸人の又吉直樹が書いた本が好きです
ぼくの「囚われ」
突然すぎますが、僕には「他人にコントロールされないように自分の実力をつけなければならない」という囚われ(固定観念のようなもの)があります。
小さい時から自分で自由にやりたいという思いが強く、一人っ子でもあるため兄弟や人脈に頼らず、とにかく自分の力だけで日々精進して生きていくんだという考えが強いです。
なぜこの話をしたかというと、この囚われが僕の考え方や行動を大きく制限し、僕の人生を楽しめなくしている原因になっていることに気づいたからです。
この囚われのおかげで、何事も自分の頭で理解するまで勉強したり、結果を出すことにこだわることができました。
しかし一方で、他人に弱みや失敗を見せることができなかったり、部活のスタメンになれない・入試に落ちるなど、実力がないと評価されてしまう場面でパニックになってしまう自分がいます。
また、それを人に押し付ける癖も出てきてしまい、楽をしている人を見ると過剰なまでに自己責任論を押し付けたくなったり、誠実でない人を見ると許せない気持ちになります。
いきなり語気が強くなってすみません、実際には直接こんなこと言いません(笑) でも、たまに心の中でそう思ってしまう自分がいるだけで嫌でした。
自分は完全無欠になんてなれないし、他人もそう。社会にはいろんな人がいるし、本当はそういう自他の弱さ・不完全さを一定の範囲で包容して生きていけたらもっと幸せだと思うんです。
その囚われは、社会でも。
でも、コントロールする・されるの関係で言うと現実社会のほうがよっぽど深刻ですよね。
資本主義社会のの効率重視、ビッグデータ社会のあらゆる数値測定が可能にした、データドリブン偏重の意思決定と過度な普遍一般化・構造の簡単化により、二項対立的な分断がいたるところで起こっています。
そういう社会では、効率化・ロジックなどの「強い・速い・高い」がどうしても勝ちます。
弱くて・役に立たないとされるものはコントロールの対象となり、時には排除や存在しないかのような扱いを受けることもあります。
だから僕たちは競争を強いられます。「勝て、手に入れろ、おくれを取るな」と言われる。
どうでもいいですけど、飲み会とかで「○○大学です」「○○内定もらいました」とか言われると、「えッ、すげ~~~」みたいな反応しちゃうの本当に嫌です(笑) 何がすげえかわかってないのに、なんか言っちゃうんだよな~~~
↓好きな本からの引用です
キーワードは美しさ
何が言いたかったかというと、僕は今まで「ロジカル思考・数値的結果・生産的な活動・楽をしないこと・自己責任」が一番大事だと思っていたけれど、それで社会でうまくやっていけると思っていたけれど、それで躓く自分や、そこに完全に適応していく大人たちを見て「もしかしたらこのままの価値観では大事なものが見えなくなってしまうかも」と思いだしたのです。
はて、大事なものってなんだろう。例えば、「大切な人からの信頼」「感情的な満足感」「偶然の出会い」「地球の裏側の人や環境のことまで考えること」とかですかね。
でも、こういう論理vs感情みたいな構図を作ると、「そんなこと言ってたらビジネスは成り立たない」「学生の甘え」とか言われそうだな。これって二項対立じゃないはずなのに、グラデーションがあるはずなのに、どうにかならないのかな。
僕は、みんな無意識に従っているルールに自分なりの答えを見つけたい!!
そんな時に出会ったのが、アート(美しさ)でした。
美しさとは、自己の内面から生まれる衝動的な感情のことです。クリエイティヴで、直感的で、説明ができないことが多く、何が美しいかは人によって違います(ここが重要)。また、本人が意図していなくても感じることができます。
例えば、なんとなく手に取った本が衝撃的な内容で、自分の考え方を180°変えてくれた時、僕は凄いうおおおおってなります。腹から「うおおおお」がこみあげてくる感じが本当にあります。
こういう体験を一度すると、読書の目的が「生産的なインプット」から、「たまにあるうおおおおを感じたい」という自分だけの理由になります。
例えがあいまいで人に説明するのが難しいんですけど、今の読書スタイルのほうが僕は楽しいです!そういうことです!
プラトンが人間の普遍的理想として真善美を挙げました。美しさは、真:間違いか正しいか、善:人々が良いと認める規範や倫理の2つとは異なる評価基準になります。
僕は美しさを新たな評価基準にしたい。
論理的思考や効率化、テクノロジーの進歩ももちろん大事にして、フルに活用して、そこに美しさ=自分だけが感じる価値を調和させていきたいです。
だから、「多様で新しい価値軸」が重要なのだ!
そして、美しさで評価するには、まず自分の中でつまり、22年生きてきた中で凝り固まって線引きしてしまっている物事の価値を再定義しなおす作業が必要です。
例えば、僕はパチンコみたいな非生産的な活動が大嫌いですが、パチンカスの友達に連れられてパチンコを打ってみたことがあります。最初はめっちゃ嫌でした。しかし、パチンコには可動域の広いイスやトイレと喫煙所が近いなど、人を長く居座らせる工夫がたくさんしてあることに気づけて(そういう目線でパチ屋を見たら)すごい面白かった、という風に、僕は自分の偏見で体験したことのない物事の価値を決めてしまっていることが多いです。
だから、物事の一側面てきな価値測定をやめ、多様で新しい価値軸を発見することで社会の見方を変える経験が必要なんです。
自分の中で無くしていきたいこと
あらゆるものが定量化・管理でき、単一的な指標が絶対であると信じること
期待値の計算・効率化・比較・競争を手放すこと
短期的な需要の喚起・奪い合いをすること
他人との比較
自分の中で増やしていきたいこと
人とのかかわりあいの中で得られる情動的な体験を増やすこと
創り合い、与えあうこと
複雑で曖昧なものをそのまま受け取ること。意図しないものや、偶発的なものを許容すること
過去の自分との比較
以上、長くなりましたが、僕のnoteを「多様で新しい価値軸の発見」をテーマにした理由を語りました!!
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます!
▼参考にした書籍
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