キリング6

カンボジアのキリングフィールドを訪れて歴史を学ぶ大切さを再認識

1975年4月17日クメール・ルージュがカンボジアの首都プノンペンを占領した。ポルポト政権になってからカンボジア人同士で虐殺が行われ全人口800万人のうち300万人が殺害された。

この事実を知った時、僕は衝撃を受けた。
人口の半分近くで同族の人によって殺されてしまう
しかもまだたったの40数年前
もし、日本で行われてしまったらどうなってしまうのだろうか。

それ以降、学生の間にカンボジアに訪れてみたいと思っていて、3週間ほど前に初めてカンボジアに行ってきた。

今回はカンボジアのプノンペンにあるキリングフィールドを訪れて感じたことを書いていきます。

ここには建物や歴史的なものが何か残っているかというとほとんど残っていない。
しかし、キリングフィールドは実際に殺害が行われた場所で音声ガイドを聞きながら周遊することができる。もちろん日本語音声もあるのでプノンペンに行く際はぜひ訪れてみてほしいです。

クメールルージュは都市住民を殺害するために都市にある学校や病院をすべて封鎖し退去して都市部から離して強制労働をさせた。
そのため教育や宗教は禁止された。
国民からの反発を防ぐために知識人を中心に殺されていき、メガネをしているからの理由だけで殺害されてしまった人もいるみたいだ。
なぜ農村部を都市部の人を殺すことに対して反発しなかったのか疑問に思ったが、反発すると自分が命を狙われてしまう都市住民は悪で農村部が貧困の原因は都市住民にあると教え込まれたの2つがあるみたいだ。
ちなみに農村部から集めてきた人のほとんどは10代で訓練を行い軍人に育てていった。


ここは殺害される人が運ばれてきた場所です。
絵を見て話を聞きながら歩くと想像力が豊かになり、こんな風に人が集められていたのかとイメージが膨らんできました。

キリング1



これはただの木に見えてなぜここで立ち止まるスポットのなるのかと疑問に思って音声に耳をすませてみる。
そしたら、なんとこの木の尖っている部分で乳幼児の首を切って殺していたそうだ。クメールルージュには資金があまりなくナイフなども足りなかったためこのような自然も殺害器具になっていたそうだ。
そして、なぜ乳幼児が殺されなきゃいけないのかと思ったが、復讐する人を出さないために子供も狙われてしまったとのことだ。

キリング2


この場所に都市部の人々が集められて首を切られていったらしい。
そのためこの中には殺されてしまった人の骨が埋まっているみたいだ。

キリング3


ポルポト政権崩壊後にこの場所を訪れた人たちが集めた被害者の衣服や骨である。

キリング4



そしてキリングフィールドの真ん中には亡くなった方々の骨が集められている。これが上の方まで何層にもわたってある。

キリング5


ここからは訪れた僕の感想です。

正直あまりに非現実すぎてこれが40年前に本当に行われたことなのか信じられなかった。
特に世界でもトップクラスに治安がいい日本に暮らしていると想像もつかない。
だが、確かにポルポト政権時の大虐殺は行われた。
それはSFでもフィクションでもなく確かに事実としてあったのだと、キリングフィールドを歩いていて感じることができた。

そして、歴史を学ぶ意味は過去に人間が犯した過ちを繰り返さないためなのだと強く思ったし、平和な世の中がいいと心から感じた。

なぜ、このような大虐殺が現実になってしまったのか。
なぜポルポトに周りが従ったのか。
ここからは想像でしかないが、人間は自分の目で見て感じたもの以外の出来事だと悪意によって扇動されてしまうのではないか。
日本のマスコミが誰かを叩くとこの人は悪なのかもしれないと感じてしまうように。
「悪は都市住民だ」のように農民にとって都合のいい、都合のいいというか貧困から脱出できるという淡い希望を抱かすことでうまく農民を率いることができたのではないかと感じる。

昨今、ナショナリズムが台頭している時代であったり、憲法改正に動いている政権を考えると今の時代に同じことが絶対繰り返されないと断言することはできないのではないかと感じてしまっている。

同じことが繰り返されないために、キリングフィールドを訪れた自分が感じだ出来事を広めることは少しでも意味のあることではないかと思いnoteにまとめてみました。

歴史は今後も学び続けなければと気付かされました。