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読書日記『残月記』(小田雅久仁/双葉社)

月をめぐる不思議な物語が、三編。
各話につながりはなく、それぞれ趣きが異なっている。
どれも大変面白く、読みごたえがあった。

まず一編目、「そして月がふりかえる」。
高志は、幼い頃の母の死や長い間の苦労を乗り越え、平凡だが幸せな家庭を築いていた。
大学准教授としての仕事も順調で、近頃はテレビのコメンテーターまで務めている。

ある日、いつものように家族四人で出かけたファミリーレストランで、ふいに異変に襲われる。
その異変が、文字通りの「月がふりかえる」。
ゆっくりとふりかえって裏側を見せる月、それを注視する凍りついた人々。
いや、時間そのものまでもが凍りつき、そのただ中で自分だけが正気を保っている。
その描写が凄まじい。

しかし、本当の恐怖はそのあとに待ち構えていた。
月がふりかえってしまったあとの世界。
一見したところでは何一つ変わらないのに、決定的な違いが生まれている。恐怖と絶望に襲われた主人公がどのように行動するかが、後半の読みどころ。
元の世界と自分自身を取り戻すための奮闘は、実を結ぶのか否か――。

ラストの場面は、作者によれば「希望のある終わり方にした」とのこと。(※)
が、読みようによっては、より絶望感が深まるラストでは……という気がした。
私も、あなたも、もしかしたら突然に「月がふりかえる」姿を目の当たりにしてしまうかもしれないし、二度と元の世界には戻れないのかもしれない。
そんな不安を掻き立てられる終わり方だった。


(※)こちらの作者インタビューを参照しました。https://book.asahi.com/article/14499358
(朝宮運河のホラーワールド渉猟)


二編目は、「月景石」。
風景石、と呼ばれる石があるそうだ。
石の表面に浮かんだ模様が、まるで風景のように見えるものをいう。
若くして亡くなった叔母が、澄香に形見として残した一つの石。
そこには、まるで月世界のような景色が浮かんでいた。
星空に青く浮かぶ、地球めいた星。
さらに、その手前に聳え立つ大きな樹の姿。
叔母はそれを「月景石」と呼び、謎めいた言葉を残していた。
「この石を枕の下に入れて眠ると、月に行ける」と。
でも、絶対にやってはいけない。
なぜなら「ものすごく悪い夢を見るから」と――。

叔母の死後、二十年以上も石の存在を忘れていた澄香。
斉藤という年上の男と同棲を始める。
そのマンンションで叔母によく似た雰囲気の少女と出会い、石のことを思い出した。
ところが久しぶりに石を手にしてみると、模様が変わっていた。
大樹の葉が落ち、枯れかけているように見える。
不審に思いながらも、齋藤に「枕の下に入れて寝てみたら?」と言われ、実行してみる。

そこで見たのは、叔母が言っていたようにまさしく「ものすごく悪い夢」だった。
しかも夢から覚めると、現実の一部が変容してしまっている。
失われてしまったものを取り戻すべく、澄香はもう一度、石を枕の下に入れて眠りにつくが……。

現実の様相がふとしたきっかけで様変わりしてしまう(かつ自分以外誰もそれに気付いていない)、というのは「そして月がふりかえる」と共通するモチーフだ。
この作品では、現実と夢を行き来することで変化が起きる。
夢(もう一つの現実)として描かれる異世界は、ディテールが細かく、生々しい。
澄香は最初のうちこそ違和感を覚えるものの、しばらくすると目覚めていた時の現実のほうが夢だった気がしてきた、と描写されている。
読んでいると、同じようにその異世界に引き込まれてしまう。

そして澄香が二度目の夢から覚めた時、世界は再び、大きな変化を遂げていた。
現実と非現実の入れ変わりということになるのだろうが、ここまで圧倒的なスケールでとは思わなかった。驚嘆。


最後は「残月記」 。
作品集のタイトルになっているだけあり、三作中、もっとも長い作品。
しかし長さを感じさせず、思わず一気読みしてしまった。
舞台は独裁政権が支配する、近未来の日本。
人々に恐れられている感染症「月昂」(げっこう)に感染してしまった若者・冬芽(とうが)が主人公。

月昂は、いわば月に左右される躁うつ症的な病気。
「明月期」(満月の時期)には、身体能力や生命力が異常に増大し、創造性も高まる。
芸術家として名をなした人々もいる一方、凶暴性や性欲が高まって犯罪者となってしまう者もいた。
そのため感染者たちは危険な存在として社会から隔離され、「昏冥期」(新月の時期)に死を迎えるのを待つだけの身だった。

ところが、時の独裁権力者の意向により、冬芽は思わぬ道を歩む。
古代ローマの奴隷のように、剣闘士として命を賭けて戦うことになってしまうのだ。
同じく感染者である女性・瑠香との恋愛模様、さらには国家に君臨する独裁者の命運まで絡んできて、非常にエンタメ性の高い物語。

月昂感染者への隔離政策・療養所などについてはハンセン病をモデルにしたとのことで、非常にリアリティがある。
大災害をきっかけに独裁政権が誕生した、という経緯も、今の日本ならば近い将来に起きてしまうのでは……?と思えて、リアルな怖さがある。
ファンタジー的設定を用いているが、現代の社会を鋭く撃つ物語にもなっていると感じた。


月をめぐる不思議な物語は、古今東西、数えきれないくらいあるだろう。
しかしこの本のように、月が圧倒的迫力を持って、人間の運命を強引にねじ伏せてしまう物語は珍しい気がした。
「残月記」の作中に、月昂に感染した少女・元香の書いた詩が出てくる。(ちなみにこの元香、私の一番のお気に入りキャラ。登場場面は少ないけれど……)
そこに出てくるフレーズが印象的だ。

「ほんとうの月はぎらぎらと濡れ騒いでわれらの心に昇ってくる」
「われらの月は生きている息づいている脈動している」

従来の月のイメージ(静かで儚い美しさ、妖しさ)とは異なる、明るくまぶしい、暴力的なほどの生命力に満ちあふれた月のイメージが提示されている。
この本全体に、その新しい月のイメージが重なって見えた。

(了)

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