掌編小説「水葬都市」

 その街は、白と黒と水とで出来ていた。
 
 小さな駅の改札口を出た広場からして、白い石が敷き詰められている。同じ列車で降りた黒い服を着た人々が、立ち止まる私に背を向け、影のように静かに歩いてゆく。
 お気に入りの花柄のワンピースに麦わら帽子の私は、おそろしくこの場所にそぐわない。引き返したくなったけれど、自分を励まして広場を突っ切り、その先にある橋を渡った。橋も白い石造りで、サンダルがかつかつと音を立ててしまうのが気になる。
 橋の下の水路には浅い水が流れていた。生き物の気配も、植物の緑もない。晴れた空だけが鮮やかな色をしていた。
 橋を渡るとやはり白い石の大通りで、背の低い白い建物が並び、建物と道の間には細い水路がある。ゆるやかな勾配に従って水が流れてゆく。水だけでなく、黒い服の人々も同じ方向へ流れてゆく。私の足も、そちらへ。
 道が尽きてたどり着いたのは、海だ。ぽかりと開いた入り江に設けられた、小さな波止場。入り江の両側はそそり立つ岩山。波止場には白い小屋が点在し、その小屋の中から桟橋が海へ伸びている。桟橋の先には小舟がもやわれ、人待ち顔で空っぽのものもあれば、今まさに船出しようとしているものもある。
 黒い服を着た人々は迷う様子もなく、それぞれ小屋へ吸い込まれ、私は一人残された。
 水路からの水は、絶え間なく海に注ぎ続けている。その音と、打ち寄せる波の音。海は光を受けて輝き、沖へゆくほどに青さを深め、水平線で空と一つになっている。美しい海だけれど、カモメもいないし潮の香りもしない。
「そこのひと」
 声をかけられて振り向く。一番近くの小屋の扉が開き、若い男性が顔をのぞかせていた。
「申請は、まだできてない?」
 慌てて携帯端末を取り出しながら、そちらへ駆け寄った。
「あの、申請書はダウンロードして、記入はできてるんですけど」
「まだ送信はしていない?」
 相手は別に咎める顔はしていなかったが、何となくいたたまれない気持ちになった。
「とりあえずこちらへ」と促され、中へ入った。室内は殺風景な事務室で、デスクや本棚、パソコンなどもすべて白い。男性は白いシャツに黒いパンツ姿だった。
「どうぞ」と勧められてデスクを挟んで腰掛ける。男性の後ろにある本棚の脇に、もう一つ扉が見える。桟橋に続く扉だろう。
 端末に申請書を表示させ、差し出す。男性はそれをチェックし、「記入もれはなし。あとは送信だけですが、ただ」と私の顔を見た。
「自分の水葬を希望される方には、一応、再考を促すという規程があって」
 かすかに彼の顔に面倒そうな表情が浮かんだ。いや、そんな気がしただけかもしれない。
 男性はパソコンを操作し、「規程集」なる画面を呼び出してこちらに見せた。文字が細かくて読めない。彼も読ませる気はないらしく、口頭で説明し出した。
「ほかの人が自ら水葬をする様子を実際に見てもらって、その後に判断してもらいます。ちょうどこれから、一件あるから」
 外へ出る。二軒隣りの小屋に、ノックもなしに入っていった。中にはいくらか年配の男性と(服装はこちらの男性と全く同じで、部屋のレイアウトも然り)、三十代半ばくらいの女性。黄色いTシャツにジーンズをはき、脱色して傷んだ長い髪をゆるく後ろでまとめている。白と黒以外の服装を見て少し嬉しくなった。女性も私を見て、にこっとした。
「このひと、見学で」「了解」という短いやりとりだけで、私を連れてきた男性は会釈して出て行った。会釈を返す余裕もなかった。
 年配の男性が立ち上がり、桟橋へ続く扉を開けた。ジーンズの女性、私、と後をついていく。人ひとり歩けるだけの幅しかない桟橋の突端に、小舟が一艘、待っていた。
「どうぞ」と言われ、女性と私は乗り込んで向かい合わせに座る。男性は桟橋に立ったまま「あとは舟が勝手にやりますから」とだけ告げて、もやいを解いた。
 その言葉通り、舟がひとりでに動き出す。入江の中の海は静かだか、風が吹くと舟は軽く揺れる。女性は髪をほどき、気持ち良さそうになびかせながら遠くを見ていた。
「あの、どうして、自分で自分を水葬しようと決めたんですか」
 沈黙が苦手で、つい話しかけてしまう。女性は私を見て、また、にこっとした。
「魂の病気。壊れちゃって、もうだめなの」
 そう答え、視線を海上へ戻す。そしてそのまま、問うてきた。
「あなたは、なぜ自分を葬おうとしているの?」
 私は、と口ごもった。上手く答えられない。
 ふいに舟が止まった。
 入江の終わりに来ていた。両側にそそり立つ岩山で幅が狭くなっている。ここを過ぎれば外海だ。波止場は遠く、その向こうにある街と合わせて、白く光っていた。
「私は」
 何とか言葉をまとめようとしたが、それより先に女性が「ああ、そうか」と呟いた。
「ここなの。わかった」
 女性はそして、私には一瞥もくれず、船端から海に身をすべらせた。
 水音も立たない。彼女の体は水に触れる端から、するするとほどけてゆく。ジーンズも黄色いTシャツも、茶色い髪も、腕も、顔も。何もかも白い光の線になって、青い海の中へほどけて消えた。
 最後に、顔が消えてしまう直前、彼女はにこっと笑ってくれた。その笑顔の名残だけは水の上に残っている気がして、私は長いこと、小舟からそれを見下ろしていた。

(了)



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