木下長嘯子「むしのうた合」原文
この作品は詠み手である二匹の虫が歌を作り、それを判者であるひきがえるが批評するという形式を取っています。
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底本:「木下長嘯子全集 第一巻」吉田幸一、古典文庫
昭和47年
とかくするほどに、やう/\秋もくれ、神無月のはじめ、木がらしのおとも、ふけゆくゆふべは、埋もれ火のあたりに、起きもせず寝もせぬ枕の上に、かけさむけき月さし入れ、あれたる宿は、むしの音きくを、とり所にして、といへる古事《ふるきこと》、なにとなくおもひ出るおりふし、霜むすぶ庭のあたりに、かず/\あつまるむしの、月にみえ侍りし、ねられぬまゝに、まくらをそばたてゝ、よもすがら、かれらがありさまを見ゐたるに、いとあはれに、又おかしき事もはべりし程に明けて、物語の種にやとおぼゆるを、こゝにかきつづり侍る、庭の傍らなる萩の一むら、枯れ残りたるかげより、こうろぎといふむしの駆けいで、数々のむしにかたりけるは、ことめづらしからねど、われらが身の上こそ、ことさらあはれに、あさましくなりはて侍る、面々もさこそおぼすらめ、いで/\申《もうし》侍らん、春も過ぎ、夏もたけ侍れば、草もみどりをまし、五月六月•夕立過ぐるころほひ、野辺の千種に、露玉をなせるゆふべは、そぞろに心もうきたつに、また文月のすえ、八月の中の五日は、名におふ月のさやかなれど、はやそろぞろと風も身にしむ也、面々はなにとおもしろげも、うすくなり侍らずや、それさへあるに、今神無月のいたく霜むすぶ月かげには、中々音もなかれず、足手さへおもふやうにはたらかず、此ころは、たのみきりたる萩原、千草茅原までともにあれはてゝ、かくれがも夜な/\霜に、かきほもうすくなり侍れば、鳥のおそれも、しのびがたくこそなりもてゆけ、あるひは、人ちかき塀の根、あるいは、すぎえんの下なんどに、身をかくさんとすれは、また鼠のかよひぢに、むねやすからず、ゆきもやう/\つもりなまじ、なにはにおもひつづくるにも、心ぼそかりぬ、あなあさましや、今夜の月に、おもふどちさしつどひたるこそうれしけれ、いざや、面々こゝろのそこをかたりあかし、なに事をも懺悔《さんげ》して、または、其いにしへ、たまむしの君にうたをおくり侍しに、つらかりし心のうらみおもひ出して、一首づつうたよみ給へかし、めん/\はいかがおもひ給ふぞ、といへば、数々のむし、かしらをあげて、これこそ何よりものぞましき事なれ、さて、そこには、いろもくろし、すかたかゝりもいやしげにて、かりそめにもいそがはしぶりにて、かけはしり給へは、おほかた、なさけもさこそと、おもひやり侍りしに、かゝるおほせこそ、おくゆかしく、ありがたき御心さしなりけれ、いざや、夜もふくるに、其むかしをしのびて、おもふこゝろのしなじなを、うたにつくり侍らん、とて、ちりしけるおちばがうへに、ざをつらねて、かずかずのむしども、あんじゐたり、其中より、ひきがえる、すゝみ出ていひけるは、めん/\、 一首づつよみ給へば、およそ哥数三十首におよべり、とてものおもひでならば、右ひだりにわかち、うた合にして、此うちより、こゝろへたらん人を、判者になして、かちまけをさだめたまへかし、といへば、同じこえにて、これも又おもしろかるべし、といふ、判者はえらぶまでも侍らす、かゝるおほせこそ、ゆへありておほへ侍れ、そのうへ、古今の序にも、水にすむかはずのうたをよみし、と、つらゆきがふでのあともはづかしければ、ぜひをのたまふべからず、判者にさだめ侍りなん、といへば、ことなく、ひきがえるもく/\として、上座になおりゐて申けるは、はばかりおほけれども、とかくを申なば、夜も更くるに、とて、よみいだすうたを聞きゐたるありさま、ふてきにみへて、ふつゝかなり、かたはらには、くちなわどのもあるぞかし、むようの推参かな、と、つぶやくかたもありけり
十五番うた合
判者 やぶのもとのひきがいる
一番
左 こうろぎ
中々にあれてもよしやくさの庵いつこうろぎと君はたのめず
右 はち
こゝろには針もちながらあふときはくちにみつある君ぞこひしき
判者として、やぶの本のひきがいる、申《もうし》ていはく、左の歌、いつこうろぎと君はたのめず、など、わが名をいひなして、人をうらみしこそ、作為ありてきこへ侍れ、右のうた、くちにみつあるきみといへるや、すこしいやしきやうにきゝなし侍れば、ひだりのうたをかちとや申はベらん
二番
左 げじ/\
つれなさをおもひあまりて身にぞしるだれかとをりし君とわが中
右 あり
なさけなき君が心はみつの山くまのまいりをしていのらまじ
判《はん》にいはく、右のうた、なさけなきを神にかけていのらまじ、といへるも、せんかたなき風情は侍れと、左の、だれかとをりし、といへる、身にしれる心をおもひ入たるやうに侍れば、左にこそこゝろひかれ侍りけれ
三番
左 はたおり
まちくらす日は中/\にしらいとのむすぼふるとも君やどりくる
右 みのむし
恨みわびなみだの雨にぬれにけり我が身のむしはきてもかひなし
はんじゃ申ていはく、左の哥、すがたことば、えんにやさしく、つらねられたれど、作者のこゝろかなひがたくや侍らん、右の、なみだの雨に、あはれもふかく、判者がそでさへぬらし侍る
四番
左 蟷螂
ちぎりをきしゆふべもすきぬわれならて君がくるまをだれかとどめし
右 あしまとひ
たのめでも君きまさねば行くかひのあしまとひてやひきとどめなん
はんじゃ申ていはく、左のうた、作者のなをかくして、君がくるまをわれならでだれかとどめじ、といへる、げに本文をおもひ出て、かくれなく侍れ、右の、あしまといてや引とどめなん、とあるも、あまりの事にや、これも又おかしくこそ侍れ、そのうへ、父子の御事なれば、かたがた持ちにこそ侍らめ
五番地
左 いもむし
うらめしな君もわれにやならひけんふり/\としてつれなかりけり
右 蝶
おもかげは花にねぶれる夜もすがら君にあふせのゆめにさへなき
はんじゃのいはく、左の哥、作者のすがたによくにあひ侍る、されども、ふり/\と侍る下の句、耳にあたりて、聞きよろしからずにや、右のうた、おもかげは花に、といへる、君によそへてねぶれる、といひなされたり、されど、これも作者のせんたちがたくは侍れど、はなにねぶるといふ本文にてこそ侍らめ、よってみぎのおもかげにこゝろひかれ待る
六番
左 けむし
いかにせん身のむくひにやかくばかりさしつくやうに恋しかるらん
右 くつわむし
数ならで物をぞおもふもくつはむしさひてはならぬ恋とこそしれ
はんじゃいはく、右の哥、下ノ句のつづき秀句のいひなし、作為ありておかしくこそ侍れ、左の哥、さしつくやうにといへる、これは針をもちたまへる、かたがたにはいづれにもはたり侍らんや、しかれば、とりわけ此作者にかぎるべからず、よのつね名をかくしてよまんには、くあんに其のせんまぎれぬやうにこそ、あらまほしけれ、此なんは侍れども、あまりのつれなさにや、身のむくいまておもひ出され侍るも、又すてがたし
七番
左 きりぎりす
わが恋はあふせの道やきりぎりすかへにも君がおもかげをみず
右 みゝず
此ころはつちの中なるすまゐして君がすかたもみゝずなくなる
はんじゃの申ていはく、右のうたのことば、いやしげなれども、作者に相応のこゝちし侍る、左哥がへにも、おもかげを見ず、といへる、ふるきこゝろね侍るをや、うたがらもよろしくきこへ侍れば、かちまけのさたは申されず、このこゝろをもって、ぢと申侍らんか
八番
左 すずむし
などてかくたへぬおもひをすずむしのふりすてがたき恋路なるらん
右 まつむし
あはれしれ月にや君がとふやとて草の戸ざしをあけてまつむし
はんじゃ申ていはく、右ひだりともに、名あるかたがたの御うたなれば、持にし侍るなり
九番
左 むかで
おもひやれひとりぬるよはわれからのあしの数々君ぞ恋しき
右 きこりむし
年もへぬおもひだきます君しあればあふさかやまになけきこりむし
はんじゃ申していはく、左の哥さまはおかしく侍れど、あしの数々、といへるこそ、かへってふそくにはおぼへけれ、右のうた、高倉の院の御うたをとられ侍る、もっとも右にこそ、おもひつきたきまじ侍り
十番
左 ひぐらし
夜もすがらおもひあかしてくさの戸に音をのみなきてまたはひくらし
右 こがねむし
つれなさの君にしあれば心みにわが名をそへて贈る玉づさ
はんじや申していはく、右の哥、作者の本意きこえがたけれど、世のわらび草を、本文にとりなされたるもおかし、左の哥、ことばのつづきも、えんにやさしくこそ侍れ、左をかちとや申侍らん
十一番
左 はい
かつらぎの神にはかはるちぎりかな夜のあふ瀬の身にはかなはず
右 蚊
しのびぢのこゑたてねども夕暮れはつれるかちやうや夜半の関守
はんじゃ申していはく、左哥の作者に、夜のあふせのかなはぬをいはんとて、かつらぎの神をいひ出したまふも、おもひ人たるやうに侍る、されと、よるかなひたまはぬかた/\もあるべけれは、これもまた、さしつくやうに、と、けむしどのゝいへるほどのなんも侍りなん、又、右の哥、かちやうを夜半の関守といひなされたるは、いせものがたりの歌に、宵々ごとにうちもねなゝん、の心おもひ出されて、あはれもふかくこそ侍れ、この作者は、竹のそのふを大かたすみかにしたまひて、おり/\判者がねふりのうちには、うしろなんとおもひかけず、したゝかにさゝれ侍る事、たび/\なれば、すこしはうらみも侍れど、かゝるうた合などの判者とされ申して、わたくしの意趣をそんせん事、住吉、玉津島の神慮もおそろしく侍れば、愚意におよぶまことをあらはし侍る、右は昼をいとひ、左は夜かなひたまはねば、御哥もちにいたし侍るならじ
十二番
左 のみ
こゝろにはとびたつばかりなげけども我がくふ程もきみはなびかず
右 しらみ
せくこゝろ君につけてもとにかくにいひしらみなる身のあはれしれ
判者のいはく、左の哥、とびたつばかりといへるは、右の作者ならばこそ
者ならは おもひ入たるこゝろねもあらん、左の作者は、いかが侍らん、さらぬ時だに、えものにて侍れば、いかが侍らん、右の御作者には、とにかくにいひしらみ、といへる、おもしろくこそ侍れ、よのつね此御作者の御名は、きゝてもいやしげなりを、ことばの下にいひかくされたる、心ざし、殊勝に侍れば、かちにさだめ侍るなり
十三番
左 けら
つれなさの君にぞ腹はたちにけり憎しつぐみのよろこびやせん
右 ほたる
しのびぢのやみにかしらはかくせどもあとのひかりぞ人やとがめん
判者申していはく、左歌、われの作者の名をかくされたれども、世のことくさ
を、本文になし侍れば、かくれなくこそ侍れ、下の句のつづきおかしくこそおぼえ侍れ、右のうたの作者、ひかるところを跡といひなされたる、思ひ入て、あはれにもおかしくも侍る、これも名はかくされたれど、身のひかりよりあきらかになれば、右をかちと申侍らん
十四番
左 くも
君くべき宵を人にばつぐれどもわがあふせにはうらなひもなし
右 蝉
なさけなくかたきこゝろは石川やせみの小河に身をやなげなん
判に申していはく、左哥は、そと織姫のふかき跡をしのび、右哥は、長明が流れをたづねよられ侍る、いづれをいづれとも申かたし、これもぢたるべからんや
十五番
左 蛇
おもへどもへだつる人やかきならん身はくちなわのいふかひもなし
右 ひきがいる
つれなさの人もうらめしかずならぬ身をひきがいるねにやなかまし
判者のひきがいる申していはく、左の御哥をふるひ/\さたし侍るに、かみの句に、へだつる人を垣とあそばし、下ノ句に、御名によそへていひかひもなし、と、言葉の艶に入り、御作意実に、あはれもせつにして、其感ふかし、中/\言語におよはぬ御哥かな、とも覚え侍らす、おそらくは、柿の下の古人にも、はぢたまふべからす、奈良の御門の万葉集をはじめて、代々のすべらぎあつめさせたまふ集/\の中にも、かほどの御作意あるべからずまことにきもに銘じ、身のけもよだちておそろしき御哥は、愚意に覚え侍らず、されば、これに愚詠をならべ侍らんは、黄金にいさごをまじへたる心地し侍れば、かた/\おそれふかしといへども、目にみへぬ鬼神にもあはれとおもはせ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるは此道なり、といひつたへ、たかゝらずして、高位にまじはるも、この道なれば、御ゆるしもふかくや侍らん、右の、身をひきがいるねにやなかまし、とつづけ侍るも、ことばふつゝかなれども、愚詠には、又過分し侍らんか、いまかかる哥合の判者になされ侍りたる思ひ出のとくぶんに、よの御かた/\にても侍らば、まけてかちに申うけ侍らんなれど、何とやらんいはんとすれは、むねふたがり、そらおそろしく子孫のためもいかがとおもひわずらひ侍れば、とかくをさしをき、此上の、上座をへり下り、もつたいなしや、しかるべからすや、などいひて、あせ水になりて、竹のはやしの落ち葉がしたにはい入ぬ、よなるむしたちも、よきしあんにこそ侍めれ、いのちが有てこと、水にすむかはずの歌も、よむべけれ、と、どつとかへして、さたしたり
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