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菌糸瓶に足りないのは発酵 - 1

 ワイルド・オオクワガタの採取の方法は、わたしは誰からも教わったことがありせん。樹液材での採集については、子供の頃に散々、夏はクワガタ採りに勤しみましたのでお得意でしたが、ヒラタクワガタが精一杯でした。材採集については、特にまったく知識がありませんでした。それを、どうやって会得したかと言いますと、偶然というか、冬場に趣味の山歩きをしているうちに遭遇した、或る不思議な現象の体験がその最初のことだったんです。

真冬の山中に漂う甘酒の香り

 その日はいつもの趣味の山歩きをしていました。真冬のことです。そうしますと、林の何処かからか、甘ったるい香りが漂っていたんですね。で、花が咲いているのかな? と、最初は思ったのです。それは、藤の花の香りにも似た甘い香りだったのです。がしかし、藤が咲く季節にはあまりにも早い。冬に咲く花なんてものは限られていて、ヤブツバキとかですかね、でも、そんな香りじゃない。もっと猛烈。濃厚と言うか、酒みたいなアルコール臭でもあるんです。「そうだ! 甘酒の匂いだわ!」と、わたしは思いました。記憶にある香りに最も近かったのが甘酒臭でした。なので、これは異常だな、と思ったんです。それは違和感ですね。真冬の山の中、林の中で甘酒の香りがする筈がないのですから。
 で、俄然、興味が湧いたわたしは、その匂いを発するものの正体を突き止めたくなったのです。わたしは元来、人よりも嗅覚が鋭くてですね、嗅ぎ分けは得意なんです。一転、わたしの行動は探索モードとなりました。
 暫く林の中を歩きました。どんどん芳香が強くなる。がしかし、何処にも花が咲いているような気配はまったくない。ただの広葉樹、というか、鬱蒼とした雑木林の中です。葉を落としきった枯れ木と地面はその落ち葉だらけで、辺り一面が薄茶色い世界。そんな地味な景色の只中に華やげる色香がこの真冬に在る由もなく、しかし、その林の中を白い息を吐きつつ落ち葉を踏みしめながら歩きました。ただ、猛烈な甘酒臭だけを頼りに。信ずるは我が嗅覚のみ。歩みを進める毎にだんだんと漂う香りは益々濃密になってきました。そして、遂に辿り着いたのです。しかし、其処に在ったのは、何の変哲も無い、唯の一本の立ち枯れ腐朽木でした。

目2、鼻8

 クワガタがお好きな方にはもうお判りだとは思いますが、そう、これがわたしが自力で最初に見つけたワイルド・オオクワガタ幼虫の居た(正しくは、同時に蛹も成虫も居た)白色腐朽材だったのです。この猛烈な甘酒臭を放つ腐朽木は、胴回り約300mmほどのアベマキでした。別に「台場」と言われる仕立てでもなく、大きな洞や捲れが在るでもなし、何の変哲も無い、所謂、真っ直ぐ伸びた電柱アベマキ。がしかし、地面からわたしの胸部辺りの高さの処に一箇所、厚い樹皮が捲れ落ちた部分が在り、其処に産卵痕らしきものが観察できました。

アベマキ白色腐朽材でのワイルド・オオクワガタの典型的な産卵痕
樹皮が捲れ落ちた辺材部が露出し確認できたもの

 わたしは丁度、この年の遡る夏、8月に人生初のワイルド・オオクワガタ♂成虫を大きな捲れの在った樹液木から採集できたので、それからは、何とかその♂とペアになる相手の♀成虫を探したのですが、結局、夏のシーズン中にはそれは叶わず、それで、わたしは材割り採集に切り替えてはどうかと、密かに事前学習していたんです。もしも、本当にあの♂がワイルド個体だったのならば、同じフィールド内で幼虫も採集できる筈だと考えたからです。なので、大凡のオオクワガタ幼虫採集に必要な予備知識は頭にインプットされていましたから、当の立ち枯れアベマキをよく観察すると、その現場には当てはまる要素が幾つも散見できたのです。わたしは、この時点でもう確信を得ていました。
 立ち枯れ腐朽木を見つけた日には何の道具も持っていなかったので、その日は観察のみに留め、後日、インターネットで安価なハチェットを購入してから、改めて同じポイント目掛けて入山し、人生初の材割り採集というものを体験しました。
 産卵痕は残したまま、その周囲から丁寧に割っていきました。すると、腐朽材の中からあの芳香が弾けたように漂い出したのです。わたしはその匂いに酔いそうになるくらいで、これには本当に驚きました。仄かにアルコール臭の混ざった、正に甘い、甘い甘酒の匂いに浸りながら、続けて慎重に辺材を割り進むと、そして、程なく大きな食痕が現れました。いきなりの大当たりでした。

姿を現したワイルド・オオクワガタ3令幼虫
リグニンが分解されて真っ白になった辺材とそれを食べた幼虫の食痕の色に注目

 そうして最初に採集したワイルド・オオクワガタ幼虫の数頭は、その帰りにペットショップで購入した菌糸瓶に投入して飼育開始しました。それから、図書館や資料館、インターネットで調べましたが、腐朽材の芳香について記述されているものは少ないんですよね。というか、ほぼありませんでした。でも、直ぐに気づいたのは、菌糸瓶の培地の匂いが、ワイルド・オオクワガタ幼虫を採集した、あの山中の腐朽材の芳香とよく似ているということでした。なので、当初、あれはキノコ菌(白色腐朽菌)の匂いだったのだとわたしは思い込みました。まあ、今から憶えばそう思い込んでしまうのも無理はないのですが、その認識は正しくはなかったのですよね。そして、この芳香に関する誤解が最近までに尾を引くわたしの疑問解決の妨げになっていたのですが……。
 それからは、山に入ればそれほど苦労なく、所謂、「オオクワガタ材」をわたしは見つけることができるようになりました。ルッキングは勿論ですが、実は、わたしは腐朽材の芳香を嗅ぎわけることでオオクワガタ材を見つけているんです。その感覚的には、目2、鼻8、という感じです。「そんな話は聞いたことがない!」と、信じてもらえないでしょうが、いや、これが事実なんです。まあ、鼻の効く採集経験者なら同様に理解してもらえるとは思うのですが、鼻が鈍い人には、「?」なことなのかも知れません。けれども、正直な話、わたしからすれば、それは非常に疑問なんですけどね、逆に。

オオクワガタ材とは

 できるだけ平易に解りやすく説明するためのわたしなりの工夫で、今回は回憶録調に記したので、ここまでの記述がやや冗長になりましたが(それでも細部は大分端折ってはいるのですが)、要するに、何が言いたかったのか要点のみをここで端的に申しますと、天然のオオクワガタ材は発酵しているという事実です。若しくは、発酵済みであるということです。これも聞いたことがない話だと思われる方が大半だと思いますが、しかし、これが真実であって、これまでの菌糸瓶では再現されていない、わたしが考えている、菌糸瓶に今後必要な改善点であるということなんです。あくまで、それはオオクワガタ用としてに限ってのことですが。
 このわたし独自の主張について、次の続編(2)から本題として自説を展開させていただくこととします。

(続く)

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