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『すべては自分ごと』 伴走者とともに冷静を携えて 〜別居父親の声〜(前編)

みなさんこんにちは。一般社団法人りむすびです。
このたび、りむすびの元ご相談者の別居父さんが、別居当時をふりかえりながら現在に至るまでのご自身の葛藤、お子さんとの関わり、そして元妻さんへの思いなどを書き留められた手記をりむすびへ送ってきてくださいました。

おつらい状況であったであろうなか、気持ちを整えてこられた経緯などが綴られていて、ぜひ、おひとりでも多くの方に読んでいただき、気づきのきっかけになればと思い、ご本人の了解を得て公開させていただくはこびとなりました。
別居親の方、同居親の方、パパママ、支援者の方など、ぜひお読みくださいね。


●一つひとつ地道に。


「この問題の中心にいるのはご自身です。」
「解決できるかどうかは、すべてご自身の行動にかかっています。」
その声に、私はハッと目が覚めたような気がしました。りむすびの共同養育コンサルタントである藤原さんに初めて相談したその日に、かけていただいた言葉でした。

突然、妻が幼い娘を連れて家を出ていってしまい、ひとり置き去りにされた私は 世の中から色や現実味を失い、地に足がつかないような状態にいました。
ある日、家に帰ると、妻と子がおらず、家財道具なども一部なくなっていました。そんなドラマや漫画でみるようなことが自分自身に起こるとは、まったく想像もしていませんでした。

その後しばらくは怒りや悲しみ、不安、焦りなど、さまざまな感情を抱えて頭のなかはぐちゃぐちゃで、あまりの衝撃から、むしろ別居の事実を自分ごととしてとらえることができず、なにか私とは離れたところで展開されている悲劇、というような感覚でした。

その最初の相談の日、藤原さんにかけていただいた右の言葉をきっかけにして、怒りや焦りなどの感情をなんとかいったん脇に置き、どうやってこの状況を前に進ませるかを考えるようになりました。自分の一つひとつの行動が今後を左右するのだということを認識したのです。

「この問題の中心にいるのは自分自身です」ということが何を意味するのか。
私の理解では、この問題に正面から向き合うためには、劇的な方法でこの問題を一気に解決するような道を探るのではなく、一つひとつ地道に解決していく方法を選ぶことが必要だということです。
ブレークスルーを期待するのではなく、たとえ亀の歩みだとしても、自分自身の足で一歩ずつでも前に進もうと促すのが、「この問題の中心にいるのは自分自身です」という藤原さんの言葉でした。

「この問題の中心にいるのは自分自身」であり「すべて自分の行動にかかっている」とはいえ、いま思い返しても、藤原さんと、りむすびのサポートなしにこの状況を前に進ませることは不可能でした。娘に再会するまでの道筋を作っていただき、ほんとうに感謝しています。また、その道筋をたどったことにより、いまでは娘との未来にまで光が差していることに、驚いてもいます。

というのもまず昨年の夏、宿泊してよいかどうかを尋ねる連絡が元妻のほうから届き、また、娘を連れて宿泊旅行に行ってきてほしいとまで伝えてくるようになったのです。現在も元妻は私と娘の親子時間にとても前向きな様子で、娘が毎回、私と会うことをとても楽しみにしているということを、第三者機関を通じてではありますが、伝えてくるようになりました。

元妻とのあいだには、いまもコミュニケーションはほとんどありません。私から元妻には1か月に1、2回程度、メールをしていますが、いまも返事はほぼありません。家財処分や学資保険などに関する事務的な内容に短い返信が来る程度です。代わりに、親子時間のスケジュール連絡などは常に第三者機関の連絡仲介をいただいています。
しかしそれでも、元妻が親子時間に前向きなようすはありありと感じられますので、今後ますます娘とすごす時間が増えることを期待していますし、将来に向けて強い父子関係をきっと築いていけるだろうと確信しています。

●これまでの経緯。

さて私は現在まで、下記のような経緯をたどっています。

2019年秋 妻が子を連れて家を出る(突然の別居開始)
(別居後)
1ヶ月 離婚調停開始(その後1.5~2か月に1回程度実施)
2ヶ月 りむすび藤原さんに最初の相談
同月  妻に宛てた手紙添削を藤原さんに依頼
~以降、次の調停期日までの間に妻に宛てた手紙添削を継続
8ヶ月 父の日に子が描いた「パパの似顔絵」が郵送で届く。
9ヶ月 試行面会交流。子と再会し固くハグ。
10ヶ月 月一回3時間の親子交流開始(第三者機関の完全付き添い)
約1年 調停で離婚成立。
(離婚後)
1ヶ月 親子交流が6時間に拡大。
3ヶ月 親子交流が9時間に拡充し、第三者機関は一部時間だけの付き添いに。
2021年6月 宿泊親子交流。
2021年7月 娘と地方への宿泊旅行。
2021年8月 娘とふたりで宿泊旅行。
2021年11月 七五三のお祝い。娘の着物姿を見ることができた。
2022年1月 実家の母(娘にとってのばぁば)も共に旅行。 
2022年2月 気がつけば2021年6月以降、毎月必ず交流は宿泊。 


●相談内容と手紙の添削。


藤原さんには、離婚調停の前後など、毎月のように相談の機会をご設定いただきました。実際に調停に臨むのは私自身ですが、妻との関係がこれ以上悪化しないよう、快方に向かうよう、客観的な視点から私の姿勢についてアドバイスをいただくことにより、妻との関係を見直すことに前向きになれ、調停そのものの進行にも大きく推進力が加わったように思います。

相談した内容は主に、予測される毎回の調停のテーマをもとに、目指したい方向性を確認し、次の調停にどのような姿勢で臨み、また自分の考えをどのように伝えていくのかの確認です。そして、調停で妻から伝えられたコメントをどのように評価、解釈するのがよいのか、調停後にお考えをお聞きしました。
限られた時間しかない調停の場では、特に感情の面で、理解しきれないこと、伝えきれないことがありますが、妻にもそして私自身にもいたずらに疑心暗鬼にならぬようなポイントをおさえるために藤原さんのアドバイスが必要でした。
調停は計6回行い、新型コロナの影響を受けるなか約1年間を費やしましたが、もし私ひとりの考えで調停に臨んでいたとしたら、1年間で終えることはできなかったでしょうし、もしかすると裁判に移行していたかもしれません。

調停の場で妻から伝えられたコメントをどのように評価するかをお伺いできたのはとても助かりました。妻から示される少ない情報をどうやって解釈し、反応していけばよいか、私自身が考えあぐねる場面が何度もありました。もし妻の話を解釈し損ねた場合、まったく反対の意味に受け取ってしまう可能性もありえたと思います。

さて現在、元妻からの直接の音信が途絶えている状況で、元妻がなにを考えているのかを知ることは、私自身の限られた視点から考えるだけでは難しい面があります。その点において、藤原さんは、助言者としては視点をいくつか持っておられ、それはおそらく、他の当事者たちの事例を参考にした視点、(妻と同性である)女性としての視点、また藤原さんご自身が子供と暮らす離婚経験のある母親という立場でしたから、当事者としての視点かと思います。わたしにとっては、それらの視点からいただく助言の数々は目を開かされるものでした。

また、相談したのは、調停の進行についてだけではありません。もう一つ重要なのが、妻への手紙の内容に関する助言でした。おもに調停のあと、その調停では伝えきれなかった気持ちや念を押しておきたいことがらを手紙にしたためて妻に宛てて郵送しました。
その手紙を事前に読んでいただき、添削していただきました。最初に藤原さんに添削していただいた手紙は、修正の赤字で真っ赤になって戻ってきて、私が書いた原文をほぼ留めていませんでした。あの大量の赤字が意味したのは、単に文章の修正ではなく、私がこの問題に向かう際の「姿勢」の変更を促したものだったかと思います。書き方の指南にとどまらず、考え方そのものを再考するきっかけを与えてくださいました。文章の書き方は、ものの捉え方、考え方に直結しているのだと再認識しました。「なるほど、こうやって書けば妻にも伝わりそうだ!」と膝を打つこと、しばしばでした。

手紙の添削をしていただくなかで、「そうか、性差というのは思った以上に大きいんだな」という感想をたびたび持つことになりました。また私は当時、「身内の」妻、「家族の一員としての」妻に対して、手紙を書いていたように思います。藤原さんからの添削の主旨はおそらく、一人の個人へ向けたメッセージ、というかたちをとっていたように思います。
妻にもっと届くような文章を書くためには、いままでのような書き方のままでは伝わりません。正直に言うと、いったん自分が、本来の自分とは違う考えを持った、違うキャラクターになる必要をすら感じました。私が私以外になるために、文章添削を受けることが、私にとってはとても重要でした。


●伴走者がいることで冷静に。


別居親として(元)妻に関わる際に、一人での活動には限界があるように感じていました。なぜかというと、一人で考えていると、ときに衝動的になったり周りを多少なりとも驚かせてしまうようなドラスティックな行動に走ってしまう可能性を私自身、完全に否定することができなかったからです。

別居して間もないころ、妻と子は居所不明だったのですが、居場所を知ろうと義父母に電話やメールをすると「これ以上連絡したら警察を呼ぶ」と言われてしまったり、妻の友人に電話をしても口をつぐんでしまう、というような状態でした。そのような酷い状況で冷静さや判断力を保てというほうが無理ではないでしょうか。

私は、調停のあまりの進行の遅さに不安を募らせ、子どもにすぐにでも会いたいという焦りの気持ちから、あの時期、冷静さを欠いていたに違いありません。なんとか表面上はふつうの生活を装っていましたが、体調はすぐれず、また平常心とはほど遠く、会社ではありえないようなミスを重ねていました。

また、一人だけで対処していれば、なにか結果を得たとしても、それは短期的なものだったかもしれません。不安があまりにも大きく、抑圧された気持ちでは、実現性があり、かつ大きな道すじを描くことはできないように思います。あの調停が、私から(元)妻への抗議活動の場にエスカレートしなかったことが今に繋がっているのだと思っています。一つひとつ冷静に対処するように励まし、長期的な目線での行動を促し、支えてくれたのが藤原さんでした。

後編につづく



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