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『すべては自分ごと』伴走者とともに冷静を携えて 〜別居父親の声〜(後編)

みなさんこんにちは。一般社団法人りむすびです。
りむすびの元ご相談者の別居父さんが、別居当時をふりかえりながら現在に至るまでのご自身の葛藤、お子さんとの関わり、そして元妻さんへの思いなどを書き留めりむすびに送ってきてくださったお手紙。

前編では、これまでの経緯や初期の頃の気持ちのゆらぎ、そしてりむすびから伝えられた「この問題の中心にいるのはご自身です。」という言葉との向き合いなどが語られていました。
後編では気持ちの整え方や拡充していった面会交流、そしてお子さんの様子やこれからの展望などをご紹介します。

前編はコチラ

●りむすびコミュニティについて


子どもから「おとうさん」と呼ばれる機会を失い、親としてのアイデンティティを失うということが、どれほど辛いことか。子の成長に関わることができないことはおろか、子と会うことすらままならない親はほんとうに惨めな思いをします。また、別居親は世の中からも失敗者の烙印を押されてしまいがちなのだと感じてきました。

そういった負の気持ちを一人で抱えたままではいけないと、娘との親子時間が始まったころからは、りむすびコミュニティに参加させていただいています。
他の参加者の方のお話も聞けますので、茫洋としていた「共同養育」のイメージが前よりもリアルに感じられるようになりました。

離れて暮らす子どもとどのような姿勢で関係を築けばよいのか、ということに関する情報は世の中に驚くほど少ないと思いますが、このコミュニティのメンバーから聞く、子どもとの関わり方は多彩で、見習うべきものです。子どもの生活を心配し、応援する姿、親として生きたい!と格闘するその姿に心を打たれます。その姿勢から学ぶことは多く、親として生きるとはこういうことかと、背中を押してもらっています。子どもへの愛情を伝えるために、離れて暮らしていても、できることを続けていこうと思います。

●棚上げして、半身で受けて前に進む。


遅々として進まない調停の長い期間にも意味があったとすれば、目的に向かって気持ちや考えを整理する時間があったということです。怒りや恨みを晴らすなどということを考えるのは脇に置き、いったん忘れるように努めました。同時に「妻には申し訳ないことをしたな」「あの時、もっとできることがあったな」という気持ちを自分のなかの前線に立たせ、恨みなどのネガティブな感情は、自分のいちばんうしろの部分に目立たないように置き直すような感覚を持った時期でした。

初めから今に至るまで、私の目的は常に「子と関わり続けるためには、なにをするべきか?」で、中心にあるのはいつも「娘に会いたい!」です。それをかなえるために、負の感情はすべて棚上げするように努めました。

いま思うと、調停が始まったころ、私は、妻のとった行動への抗議や怒りという攻撃的でネガティブな感情をいったん棚上げしようとなんとか試みるものの、荒れる感情の渦に飲み込まれてずいぶんと苦労していました。
妻にたいする怒りを「消す」ことはできないだろうとは思っていましたので、だからむしろいったん棚上げして保留にしてみようという考えは、いま考えても、間違っていなかったと思います。

だだ、当初それを一人でやろうと思っていたことには無理があったと思います。自分一人の限られた視点からでは見えないことが多くあるからです。ある日、偶然にもりむすびのウェブサイトをGoogleで検索して「発見」していなかったらと思うと、恐ろしい気がします。

調停中は、(元)妻の思いや考え方をどうにかして理解できるようになる、ということが徐々に私のなかで大きなテーマになっていきましたので、調停での妻の姿勢やコメントをまずはいったん受け入れようと思いました。そして、受け入れるときは全身でというよりは、半身で受けるという構えでいこうと思いました。

子どもにまったく会えないという状況では、怒りや不安が収まらず、そのなかで妻の言い分を受け入れるのは至難の技です。しかし、自分のなかの半分を棚上げしておいて、残りの半分だけで受け入れるというスタンスならいけるのではないかと、そう思ったからでした。そうやって、恨みや怒りの感情を後景に退かせ、妻が何を思っているのかを考えることができたことは、やはり、冒頭の藤原さんからの「この問題の中心にいるのはご自身です」という言葉から始まる一連のアドバイスに出合えたからでした。

自分のなかに湧き上がる感情を否定して消すわけではないので、私自身がある程度納得したうえで前に進むことができます。ただ、一人きりで臨むと、棚上げしたはずの負の記憶が、何かを検討するたびに目の前の机の上に戻ってきてしまい、そのたびにぐるぐると同じところを回ることになりそうでした。そこで、妻と同性かつ妻と同様に子供と暮らす母親の当事者である藤原さんの視点を知ることで、私が私自身を客観視する必要がありました。
つまり私は、私が少しでも前に進むためには、負の感情を外に向けて表現することなく、まずはいったん棚上げすることにした、ということになります。今も、それでよかったのだと思っています。

妻の思いや考え方を知ろう、理解しようと試みることは、割り切ってすべてを妻の言う通りにしようとすることとは違います。そもそも何かで割り切れるような簡単な話ではない以上、自分の思いだけを妻に主張することができないのと同様に、妻の思いを全身で受けとめることはできないと諦めるべきなのかもしれません。

万能とは言い難い社会制度の壁に直面した私が、社会に対する抗議や怒りという攻撃的でネガティブな感情を持ったことも事実です。今も、法改正などによって親子断絶という困難のない社会になっていくことはとても大切なことだと思っています。

そしてもう一つ重要なのは、一人ひとりの内面における活動なのだと私は考えるようになりました。自分のそれまでの行動や考え方のクセをいちど検証して、修正していくなかで、相手との関係を築き直すことを目標とする方法です。その両輪を同時に進ませられるのが理想的なのかもしれません。

子に会うために毎月、東京から2時間程度の県外へ出かけていますが、コロナ禍を理由にした面会制限の話は、元妻からは一切ないので、私は、元妻は一定程度、覚悟を決めていると感じ、私はその応答として、親子時間においては元妻に何も要求しないようにしています。
私の場合はそれが功を奏しているようで、1年半前家庭裁判所外で初めて「月1回、3時間」から始まった親子時間が、「月1回」ではありますが、いつのまにか時間が「8~11時間」と伸び、2021年6月から現在(2022年2月)まで毎月、宿泊を含んだ親子時間を持つことができています。もちろん、もっともっと娘とは会いたい。でも、私の実家に泊まったり、旅行にいったりできるようになったことを素直に喜びたいと思います。

娘からは「おとうさんのことは、一緒に住んでいたときよりも、いまのほうが好き」と二度、言われました。複雑な気持ちになりますが、でも、昔の方が好きだったと言われるよりも、ずいぶん良いことだと思いませんか。
月に1回ではありますが、ふたりで全力で遊んでいるなかで、親子のつながりは深まっています。娘には、会うたびに、「どんなときもあなたの味方で、応援している」と伝えるようにしています。いっしょにいるとなかなか言えないようなことだと思いますが、別居しているからこそ言えることってありませんか。娘は元気よく「わかった!」と返してくれます。

昨年はこんな会話が娘との間でありました。
「ねえねえ、お父さん。お母さんと一度、会ってみれば?」
「うーん、そうだねえ…考えてみようなかな」
「あっ、でもね、お母さんはお父さんに会わないと思うよ、あっはっは!!」
娘は娘でいろいろ考えながら状況を理解しようと頑張っているのだと思います。そして「あっはっは!!」と笑いとばす天真爛漫さに私は救われているのです。そんなとき「(ごめんね)」と心のなかで言わずにはいられません。

「壊れてしまった積み木をまた一つひとつ積み上げるように、子との時間を積み重ねるしかない」と、以前、りむすびのウェブサイトでどなたかがおっしゃっていました。私もまったく同じように感じています。壊れてしまった関係をまたイチから築きあげるには時間と体力と勇気が必要です。また失敗してしまうのではないかという不安もあります。それでも常に目的は「子どもに関わり続ける」です。

娘は会うたびにどんどん成長していて、声や顔立ちも変わっていき、体力もつき、苦手だった雲梯も上手にできるようになりました。抱っこもそうとう重くなってきましたし、ジャレて肩をたたかれると、けっこう痛い…。そういう「変化し続ける」親子関係を肯定できればいいな、そういった度量を私は持っているのだろうか、と自分に毎度、問いかけています。娘がすくすくと元気に育ち、楽しい人生をおくれるようにと強く願っています。

絵に描いたような家庭円満の道は踏み外してしまったけれど、でも周りの方々の力を借りることで踏みとどまることができ、さらに、間違いなく前に向かって進んでいるという感覚を、いま、私は持つことができています。

●今後の展望。


りむすびから親同士として関係していく心得として教えていただいたことに、「なるべく言葉でしっかりと伝える」「妻と私との、物事に対処する際のスピード感の違いに意識的になる」があります。振り返ってみて、私が夫婦関係を悪化させた理由が、私が言葉足らずなことと、私のせっかちな性格だという反省がありますので、これからの元妻とのコミュニケーションにおいても忘れずにいたいと思っています。
娘との間だけでなく元妻との関係においても娘の親同士として穏やかに関わり続けていけるよう、長期的な目線を持ちたいです。また、自分のなかに芽吹いた、元妻への感謝の気持ちを育てていこうとも思っています。

いまは、娘との月イチの親子時間に加えて、1年間以上、毎月続けている娘との文通、そしてときどきオンラインで娘の写真を共有するなど、元妻の協力を感じています。2年前の私の状況を考えると、そこからいま私がいる場所までは、ずいぶんと離れていて、遠い場所のようだと感じています。
藤原さん、りむすびの大きなサポートのおかげで、2年間かけて、ここまで来ました。歩み寄りスタンスを続けることには時間と体力と勇気が必要でしたが、扉は着実に開いてきています。
これからも、りむすびの皆さんからもお力をいただきつつ、一歩一歩、がんばろうと思っています。

(藤原からコメント)


ひとつひとつ想いのこもったお言葉で綴ってくださいましたこと、本当にありがとうございます。初めてご相談にいらした日から今にいたるまでのことを鮮明に思い出しております。

突然の別居となってから全く先が見えない状況に置かれ、想像を絶する不安や恐怖のなかでは、できることならば相手に思い改めてほしい、それしか道はないのではと考えるのも無理もない状況だったと思います。
そのような中で、ご自身にできることは何かと考え取り組むことは、どれほど勇気の要ることだったでしょうか。

一分一秒でさえ長く感じられたであろうなか、時間を経ても『「子どもと関わり続ける」「子どもに会いたい」そのために今自分にできることは何か』この目的意識がぶれることは一度としてなく、元奥様を理解しよう、ネガティブな感情はぶつけないという姿勢も一貫していらっしゃいました。
また、今回のお便りでは、幾度となくご自身の感情に飲み込まれそうになりながらも、この信念に支えられて奮励されていたのだということがあらためて伝わってまいりました。

地道に穏やかに関わり続けるうちに、だんだんと元奥様も勇気を出しオープンな姿勢になっていったこと、そうして潮目が変わって行ったことを振り返っております。別居離婚後の親子関係、父母関係の礎を作ったキーパーソンはご自身に他なりません。

「この問題の中心にいるのはご自身です。」
「解決できるかどうかは、すべてご自身の行動にかかっています。」
ともすれば、寄り添いが足りないとご不快に思われるかもしれないご助言だったかもしれませんね。
それにもかかわらず、りむすびを伴走者として信じてくださったこと、本当にありがとうございました。信頼関係がなければ伴走者たりえず、心からお礼申し上げたく思います。

近況をお知らせいただくたび、お子さんとの未来を信じ、楽しみにされていらっしゃるご様子が伝わってまいります。

手紙添削も、最後には赤を入れるところもなく「もう藤原の添削は必要ありませんね」として終わりました。

行動だけでなくご自身の考え方や捉え方をも変えていくことのできた「いまのおとうさん」。そんなおとうさんを大好きだとおっしゃるお子さんの言葉を胸に、今後も親同士は穏やかに、また親子関係がますます育まれていかれればと思っております。


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