評㉒東野圭吾原作ミュージカル『手紙』再再演@ブリリアS席11500円
自分の中で東野圭吾ベスト1『手紙』
東野圭吾の小説『手紙』を最初に読んだ時(2006年に出た文庫版だ)、はからずも泣いた。心にぐさりと重い記憶。東野で自分のベスト1。
犯罪、それも強盗殺人を起こした加害者の家族の話だ。「人殺しの弟」「人殺しの家族」の話。しかし、それをどう舞台にしているのか。
※以下ネタバレあり
観てよかった、心をえぐられたが
ミュージカル『手紙』2022@東京建物ブリリアホール、全席指定S席11500円(A席9000円)。脚本・作詞:高橋知伽江、作曲・音楽監督・作詞:深沢桂子、演出:藤田俊太郎。3/12-3/27。
結果から言えば、(少なくとも自分は)観てよかった。再び心をぐさりとえぐられたけれど。国内では再再演らしいが、新しい演出らしいが、自分は詳細は知らないまま、書く(パンフも買っていない)。
構成がよかった。脚本なのか、演出なのか知らないが(パンフは買っていない。トートバッグ付きで2200円だった模様)。
自分なりによかった点は、以下。
1.「旅立ち」の物語に昇華、兄は走っていった
①単なる悲しみの終わりではなく、「旅立ち」の物語に昇華させた。それも、主人公である弟でなく、殺人を起こした被告で弟から縁を切られた兄にスポットを当てた。花道に模した階段を前を向いて走っていく兄は、確かに希望を感じさせた。これが、主役である弟にスポットならい兄は置き去りになる。兄にスポットが当たったからこそ、弟も旅立てる。
その前の三重唱、「手紙で僕は育った」(弟)、「手紙なんか出さなければよかった」(兄)、「もう(傷つけ合いは)終わりにしよう」(兄に母親を殺された被害者遺族)が大団円、クライマックス。これがあっての「旅立ち」である。小説では兄は頭を垂れたまま、映画では泣いていたかと思う。気になっていた。旅立ちにしてよかったと心から思う。
2.生の声の叫び、身体が、心をえぐった
②「人殺しの弟」「人殺しの家族」という批判、傷ついた者の叫びが、マイク拡声を通してとは言え、実際に生の声で怖さを伝え、そこに生きている人間がいると感じさせた(自分に)。
笑顔を見せる弟が再び悲しみにくれることを、知って見ている。こちらの心が苦しい。レ・ミゼラブルか? 観てないけど。
④でも触れるが、繰り返される「人殺しの弟」というフレーズ、そこに新聞紙をかざした「世間の人たち」がいる。「人殺しの弟」をののしる。それは、自分であろうか。自分かもしれない。その思いを止められず、心を深くえぐられた。
自分がこの先の人生で他人を害するとすれば、交通事故か火災など不慮の事故ではないかと思っている。それでさえ、辛いだろう。
また、家族が何かを「起こした」ら?
下記を想起した。
・映画『空白』(2021年公開、メーン筋ではないが、交通事故加害者が自責の念で自殺)
・テレビドラマ『それでも生きていく』(2011、殺人事件の被害者遺族と加害者家族の物語)
・性犯罪者の父を持ち、ねじれた思いを私小説にした作家の故・西村賢太氏(今年2月死去)
・実際に、大きな事件の加害者家族が大変な目に遭っているといういくつかの報道
自分は、重大な犯罪を起こした人の家族を、それと知って、批判しないまでも、忌避しないことはできるのか。
そう考えている間に、いつの間にか、自分が忌避され、さらに批判を浴びる立場に回るのではないか。
「人殺しの弟」を責め立てる人たちは、自分たちが責められたくないから責めている、それは未来の自分かもしれない。
舞台の上の、生の身体、そこから発する声を聞き、ぞっとした。
3.歌われない「イマジン」が「想像」をかきたてる
③なぜ音楽劇化、と思ったが、よく考えたら、弟は歌うのだ。歌は、台詞よりも心に届きやすいこともある。
「音楽」「楽曲」を前面に出しつつ、全編を通して鍵となる名曲、“イマジン”は歌わず(朗読はあった)、観客の想像力をかきたてた(かも)(単に著作権の問題でやらなかっただけかもしれない)。イマジン、想像。。
4.手「紙」、新聞「紙」……衰退する紙というメディアがまだ世間の“壁”であり、コミュニケーション手段であった頃
④手「紙」。新聞や広告チラシといった「紙」という衰退しつつある「メディア」のあり様を、世間と言う“壁”になる怖さを含めて浮き出させた。
原作とは時間設定を変え1999年、2005年、2011年など時間を明示することで、古くなりつつあるメディアの提示を意味づけた。新聞紙の「世間」が「人殺しの弟」を傷つけるのは今から20年ほど前の想定だ。もし、現在なら、人々の心をえぐるのは、新聞紙よりSNSであろう。
ただ、刑務所の中の人とSNSでやり取りすることは現時点ではおそらく不可能なのだろう。だから、まだ、手「紙」。
5.ジャニーズメンバーのバンドメンバーはしっくりきた
⑤実際に音楽バンドを組んでいるというジャニーズ「7 MEN 侍」メンバー3人を、劇中でもバンドメンバーとしたことがしっくりなじんだ。
そろって楽器を鳴らす見せ場が2回ほどあったし、ファンにも通常の観客にもWINWINの結果になったと勝手に思っている。
さて、ここから順序が逆になるが、なぜ観たか、観る前に何を躊躇したか(11500円という値段はさておき)を書く。
wikiによれば、『手紙』は2001~2002年に毎日新聞日曜版で連載、2003年に単行本出版、2006年文庫出版、映画化。2008年に舞台化、2016年、2017年にミュージカル上演。2018年にテレビドラマ化。
2016年、2017年のミュージカルでも演出、脚本・作詞、作曲・音楽監督・作詞は今回と同じ3人。
東野『手紙』と三浦透子への興味で観る
まあ、そんなことは観劇後に調べたことで、再演だろうが再再演だろうが、自分は初めて観た。観た理由は、先に書いたように、①東野圭吾『手紙』だから、と②(『ドライブ・マイ・カー』で注目の)三浦透子が出ているから、この2つ。
ブリリアホールでの観劇に一瞬ためらい
が、一方で、①ブリリアホールであることに、また②ジャニーズメンバーの出演を知り、ファン層が埋める客席であろうことに躊躇した。
池袋のブリリアホール(東京建物Brillia HALL)は、豊島区が旧豊島公会堂跡地に 2019年11月に開設した公立の劇場だ(「多目的ホール」という表記もある)。3階席まであり、定員1300人。
舞台が見えにくい席が少なくないことがネットなどでしばしば語られている。舞台側から客席側を見たことがあり、まさに2階席、3階席から降ってくるよう、迫ってくるように感じたことを覚えている。演者は客席をそう見ている。つまり客席の傾斜、勾配はきつい。最近の都心の劇場設計はそうなのかもしれない。ホワイエ(休憩スペース的な)も決して広くないし、導線の関係から終演後の客はけに相当時間がかかる。2017年7月に改装オープンした日本青年館ホール(1249席)も似た感じを受ける。
トイレの個室もそう多くない(一階で個室20ほど、2階3階にもあるはずだが)。隣接する区民センターのトイレを利用できるようになっているということだが、いったん外に出ることになる、はず。どっちにしても面倒。
ただ、高野之夫(ゆきお)豊島区長、というのがアイデアパーソン。建て替えた区役所の上をマンションにして(ブリリアだ)建て替え費用に充てたり、池袋路面電車を走らせようなんて言ったみたり、の中で、池袋を劇場都市にしようという構想を持っていたはずで(西口には芸術劇場あるし)、新しいことにチャレンジする姿勢は買いたいところ。
ただ、そうした豊島区の劇場の一角「あうるすぽっと」が貸館へ移行するという話も聞いており、劇場都市構想とは何だろうと思ったりもする。
は、さておき、席を指定して取れた。まあまあいい場所であり、自分が観劇する分には問題なかった。
舞台を上下に二分割し、下はアクティングエリア、上はアクティングエリア兼ミュージシャン8人の場所としていた。音楽が、脇ではなく主役のひとつ。
Jファンは「普通」だった
もう一つは、上にも書いたが、ジャニーズ(以下、J)メンバーが出ていること。ということは、Jファンがたくさん来そうだ。劇場の雰囲気はどうなんだろう。まあ、でも行ってみよう。
劇場に来てみると、客の9割(~9.5割?)は女性、多くは20代か30代前半に見える。髪をちゃんとカールしてパンプス履いておしゃれして。下北沢あたりをうろついてそうな、もそもそと芝居を観に来る系の人はほとんど見当たらない。
しかし、普通だった。そういえば前に観たJメンバーの出ている芝居では、コロナ前だったので、最後にきんきら色のテープが投げられて終演後にはファンをそれを客席でもそもそ拾ってるし、歓声もあったが、コロナ禍の今はそういうことはないし。
ただ、Jのメンバーが舞台に出てくると、いそいそとオペラグラスを取り出すお客が暗い客席でも横目でわかるほど多かったし、カーテンコールの時にJメンバーにはひときわ大きな拍手をしていたし、客席でチケットを数枚持ってる人もいたし(リピーターだろう)、メンバーの写真らしきものを持って歩いている人はいたし。終演後、劇場前は、大勢の若い女性だらけだったし。でも、普通だった。
舞台の上の演者からは、客席を埋める若い女性たちが迫ってくるように見えていたんだろうな。
役者さんたち
少しだけ、役者さんについて。
主人公の村井良太は、高校生や大学生時代は髪形のせいもあるのかきちんと若さ溢れる若者だったが、七三に分けた社会人の時はきちんと落ち着いたサラリーマンに変化し、口調も変わったように見えた。
兄役のspiは大きな体を生かし、「手紙を書いてしまう人」を全身で表現した。三浦透子は透き通った声だった、小池栄子を小柄にしたような見た目。
殺人被害者の遺族等を演じた染谷洸太、刑務所仲間や主人公が務めた家電会社の社長を演じた川口竜也がしっかり脇を固めた。
「差別は当然なんだ」から始まる社長の話
この、家電会社社長の「差別は当然なんだ」から始まる話は、今小説を読み返しても心に苦しいほどに刺さる。
私は、観てよかった。おかげで、また、いろいろ考えることができる。
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