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「片面の技」ではダメ・佐藤信から~演劇のプロアマ考(だらだら)

観客と専門家双方の「ああ」が必要、片面の技はダメ

 演出家の佐藤信(まこと)(79)が先日こう言っていた。

 「観客が観て『ああ』と言う」
 「やっている側、専門家が観て『ああ』と言う」
 この2つが複合しないとダメ。
 専門家だけでもダメ、客だけでもダメ、それは片面の技。

佐藤信演出の布袋劇『劈山救母』アフタートークにて(2022年9月4日、座・高円寺2)

 佐藤は「60年代後半 - 70年代前半のアングラ演劇ブームを代表する存在」(byWiki)のひとつ、劇団黒テントの元主宰。その後、世田谷パブリックシアター初代芸術監督(1997~2002)、東京学芸大教授(1998~2009)を経て、座・高円寺初代芸術監督(2009年~現在)。
 「劇場空間と制作現場の最前線を知る実務専門家として30年以上に渡り活躍」「演劇と教育、演劇ワークショップ研究や、後進の育成に取り組んで」「香港、インドネシア、マレーシア、タイ、フィリピンなど、東南アジアを中心を中心とする近隣諸国の演劇人との交流や作品創造」(以上Wiki)といった人である。
 その彼が、そう言った。
 そんなことはしょっちゅう言っているかもしれないが、それをみんなの前で口にした現場にいたので、書き記しておく。
 「専門家、客の双方が認めてこその『技』」、という理解でよかろうか。

台北偶劇団×江戸糸あやつり結城座×佐藤信『劈山救母』

 彼がそう言った場は、台湾から来日した台北偶劇団が「布で作られた袋状の人形」に手を入れて操る布袋劇と、江戸糸あやつり結城座(東京都小金井市)の糸あやつり人形のコラボ作品を、佐藤が演出した劇『劈山救母(へきさんきゅうぼ)』(@座・高円寺2、9/3~9/4)の上演後トーク。

 作品は人形劇。人間たちが演じる芝居より、「技」は際立ったであろう。
 話は、江戸糸あやつり人形の人形遣い・孫三郎が将来を悲観し人形を燃やそうとするところに、台湾布袋劇の若い人形遣いが登場し、孫三郎を元気付けようと「劈山救母」を披露する。主人公沈香が岩山に16年閉じ込められた母のために、神様や孫悟空と闘い、最後には助け出す物語。それを見た孫三郎も元気を取り戻す。上手で二胡や笛、銅鑼などの生演奏。台湾語は日本語に翻訳され字幕で提示。

 自分の観劇感想としては、二胡などに混じった銅鑼の音が結構かんかん耳に来たが、それも含めて、当面は行くこともないだろう海外旅行の雰囲気を味わうことができたとは言える。
 布袋劇は初見。残念ながら人形のカラダが小さいため、客席の後方では見にくかったと思う。予想以上に動きが速い。窓に飛び込んで消える!(技!)そして、人形同士の殺陣シーンが圧巻。人形が走り回って、剣を交えて戦うのだ、人形だがその勢い、力強さ。へえ。。素人目にはわからないが、導線が混乱しないように何度も稽古を重ねているのだろう。

 と、思ったところに、佐藤の言葉だった。
 佐藤はまた「技の世界がだんだん薄れてきている」との危惧も口にしていた。

演者として舞台に立つことは、全ての人間のもの

 さて、自分は演技に関してはアマチュアの立場で、劇評的なものをここに時々書いている。
 「観客側の視点」を積み重ねていきたい、と思っているからだ。
 演劇はもともとアマチュアのものである、という視点もある。
 
 演者として舞台に立つことは、他人の視点に曝される中で、自分の中にある別の自分、新たな自分が出てくる発見でもあり、その体験自体は人間が持つものとして、アマチュアのもの、というか、全ての人間のものと思う。
 
演劇教育、演劇療法などの存在意義が言われるのもその辺りか。

より研ぎ澄まされた「技」で客に満足を与えるプロ

 その基盤があるうえで、より研ぎ澄まされた「技」を要求され、観客に「ある程度の満足(刺激など、何かを持ち帰ってもらうことも含め)」を与えるのが、プロまたは専門家と言えようか。

 勿論、生まれながらに天才的な技を持つ人がいないとは言わない(神に仕える巫女と言う特殊職業説もありや)。ただ、現代では、鍛錬して技を磨いていく人が大多数を占め、アマからプロに育っていく道筋を通る人が大半だろう(一部伝統芸能などでは、幼少期から「プロ」の世界に生まれ育つ人もいる)。

批評に専門家と観客(アマチュア)の両輪が揃わない?

 その「プロの技」を、専門家はもちろん観客あるいはアマチュアが適切に批評することで、その技は更に向上していくと思うのだが、その両輪の批評が揃う場面は少ないように思う。

 専門家の批評は、言わば「BtoB(企業間取引)」に近い。
専門家として知識を蓄えたうえで、俯瞰し、時に議論し、「客観的に評価」する。
 一方、アマチュアたる客の方は千差万別、好みという「主観」で物を語ろうが自由。

客の損回避「正常化バイアス」はないだろうか

 そして、客の批評態度に関して、ここから先は全く勝手な推測だが、一種の「正常化バイアス」が働くのではないか、とも思う。
 
チケット代を払い、劇場に足を運んで観劇する客について、だ。

 自分がチケット代を払って観た芝居を「損した」とは思いたくない「正常化バイアス」。観てしまったからには、「良い芝居だった」と思い込みたい心理。
 「面白くなかった」と口にすれば、自分の費やした金と時間は無駄になってしまう。なので、楽しんだ部分だけを記憶に残し、気に入らなければ、無言で、次回からその劇団なりの芝居を観に行かなくなる。ただ、それだけ。
 従って、表に出るのは「いいね!」のみ。

 批評するに必要な蓄積がないだけかもしれないが。。
 少なくとも、芝居を観るのが年に一回、数年に一回ならば、その方が幸せとも言えるかもだが。

座・高円寺一階

批判が表面化しない構造

 もし「観るに値しない」と思った人がそうした声を適切に反映する場もなく、無言で去っているのなら、観客消失につながっていくのではないか。

 たいていの場合、ほぼ無料で観ることができるテレビと比べる。
 現在、某テレビドラマが「脚本がひどい」などと、それこそアマチュアからもネット上で日々叩かれている。
 受信料を払っているか払っていないかは別にして、そのドラマを観るために個別に料金を払っている人はほぼ皆無だろうから、そのドラマを見て金を損した、は基本ない(時間を返せ、はともかく)。なので、「正常化バイアス」は働かず、叩く人は叩くことを楽しみに観てどんどん炎上している(同時に、観る価値がないと思った人は無言で去っているだろうが)。
 何を言いたいかというと、批判的な声が表面化しているし、良くも悪くも表面化しやすいということ。映画も、映画com.などでレビューがまとめられ、批判的なものも掲載されている。
 なんでも叩けばいいというものではなく、建設的な批判と言う意味で。

 舞台は日程が一般的に短く間に合わないこともあろうが、「専門家」ですら、直前の通し稽古かゲネプロを見て「紹介」か「絶賛」レビューのみが目立つ気がする。もしも「建設的な批判」がどこかに掲載されたとしても、その時には上演が終了していることが多そうだ。商業演劇には矛先もゆるむか?
 さらに、アマチュアはポロポロ感想を述べるにとどまるような。

 いやいや、舞台そのものに関心を持つ人が少ないせいか?

 まとまらなくなってきたが、まとめると、
 専門家と観客(アマチュア)の両輪が揃った適切かつ建設的な批評が舞台に求められているのではないか、ということだ。少なくとも、その方向を目指す努力が、何かを(何を?)活性化させるのではないか。

 自分がものすごく不勉強で、今、それがある! というなら誠にすみません。
 映画com.くらいの感じで、あるといいな~
 昔はあったのかな?

 付け加えると、アマチュア演技者でも、客としては「それなりに」目を持ってるつもりなんだが……的なもやもやの中に自分はいる。この「それなりに」が判断困難。
 ただ、ヒントは「比較」と思っている。

佐藤「違いを知ること」「最終的に同じこととして理解」

 そうだ、だらだら私見を書き連ねてきて、急に冒頭の佐藤の話をもう一つ思い出した。メモをめくる。

 佐藤「違いを知ることも大切だが、最終的に同じこととして理解できるか

佐藤信演出の布袋劇『劈山救母』アフタートークにて(2022年9月4日、座・高円寺2)

 これは、日台の違いを知ったうえで、最終的に(人間として)同じと理解する、ということかな。

こんなシールをもらえました。異文化交流!

「あるある」「ないない」の客観的並び替え

 参考にしよう。
 自分の考えでは、物事の本質を理解しようとするときに、その対象「A」だけ一つを見て深く考えても困難で、別の「B」との比較により、差異を見つけることで立体的な理解が深まる。だが、共通点も同時に見つつ。
 「あるある」は共感を得やすいが、新しい発見には結び付きにくい。「ないない」だけでは否定の連続になる。「あるある」「ないない」を客観的に並べ替えてみると、何かのヒントが見つかる気がする。

 そのうち、綺麗にまとめることができれば、だが、今はそんな思考中。 


 
 

 



 アングラ世代は、当時演劇界の主流(?)だった新劇に対して反発した。新劇が明治維新以来、歌舞伎などを「古い」とし、出てきたもの。アングラはその新劇に物足りない人たちがやっていたので、新劇が否定的だった伝統芸能の能・狂言や歌舞伎に日本芸能のルーツを探る傾向があり、佐藤は特に能を重視してきている派、と思う。実に様々なことをやってきているので、人形劇もその範疇に入るんだろう(推測)。


  

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