オリンピック競技に〇〇が!!
こんにちは!
京橋の貴金属・宝石・ブランド・時計買取店『CONNECT』です!!
コロナ禍で五輪が始まり、毎日色んな記事を目にしますが賛否両論。
再び感染者数も増加傾向にあり商売をしている身としてはこの先が不安です。
昨日今日とこの連休の京橋は人も多く、予想していたよりも人が出歩いています。
大丈夫か?日本。
馴染みのある東京五輪
今日の話題は『東京五輪』なのですが、実は古物商にとって東京五輪はとても馴染みがあるんです。
何故かと言いますとコレです。
記念硬貨です。
こちらは1,000円銀貨ですが、100円も存在します。
1,000円銀貨は、第18回夏季オリンピック記念として僅か1年間のみ発行された希少な銀貨です。
銀の含有率は92.5%と現在の銀の価格に換算すると約1,500円の価値があります。
当時は高度成長期。
1964年の東京五輪には生まれていませんでしたが、日本中が沸いたでしょうね。
幻の東京五輪
アジア初の五輪が1964年の東京五輪なのですが、実はもっと前に開催されなかった幻の東京五輪があったんです。
それが1940年、当時の東京府東京市(現:東京都)で開催される予定だったオリンピックです。
9/21~10/6まで開催される予定で、史上初めてアジアで開催されるということと紀元2600年記念行事として準備が進められていました。
アジアでは数少ない独立国家であった日本での開催は1936年の国際オリンピック委員会(IOC)で決まりました。
1940年と聞いてもピンとこない世代の方達ばかりだと思います。
なんせブルース・リーやジョン・レノンが産まれた年ですから(笑)
実際に当時の出来事を調べてみましたが
・阿部信行(第36代内閣総理大臣)内閣総辞職
・ウォルター・クライスラーが死去(クライスラー社の創業者)
・種田山頭火が死去(俳人)
・スコット・フィッツジェラルドが死去(小説家)
自分がギリギリわかる人物の出来事でこんなところでした(笑)
話を戻しますが、この後『幻』と呼ばれる出来事が起こります。
五輪中止の出来事
結果的に開催されることはなかった1940年の東京五輪ですが、原因としては日中戦争(支那事変)の勃発や軍部の反対でした。
まとめますと『戦争で五輪どころではない』ということでしょうね。
日本は国際情勢を鑑みて開催権の返上をすることになります。
東京市が1930年から返上までの間拠出した費用は約90万円(現在の価値で約20億円以上)
莫大な費用を使い準備を進めていた五輪ですが開催することは出来ませんでした。
その後代わりの開催地としてヘルシンキ(フィンランド)が決定しましたが
1939年9月にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した為開催出来ずに終わりました。
予定競技の中に・・・
当時の五輪の情報を調べていると実施予定競技の中に見たことのない物を目にしました。
『芸術競技』
スポーツではなさそうな競技名でしたので調べてみると
『かつて近代オリンピックで採用されていた競技の一つ。種目は絵画、彫刻、文学、建築、音楽があり、スポーツを題材にした芸術作品を制作し採点により順位を競うもの』
だそうです(笑)
採点難しすぎますよね?
ちなみに1952年のヘルシンキオリンピック以降は、文化プログラムとしての芸術展示が行われるようになり競技としては廃止されたようです。
ちなみにこれすごいですよ!
1932年ロサンゼルス五輪では絵画種目・版画部門で記念切手にもなった棟方志功が『選外』
1936年ベルリン五輪では東京大学の安田講堂を代表作に持つ建築家:内田祥三が『プール』『球場』で『選外』
同五輪の音楽種目(作曲)では、童謡『赤とんぼ』の作曲をした山田耕筰が『選外』
この競技の中で銅メダルを獲った日本人が2名いましたがどちらも存じ上げませんでした。すいません。
幻の五輪がメインのはずでしたが、面白いネタを見つけてしまった為そちらがメインみたいになってしまいました(笑)
長い歴史のオリンピックですが、過去には戦争で開催出来なかったこともあるんですよね。
折角開催するのであればコロナウィルスで落ち込んだ世界を是非盛り上げてほしいと思っています。
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