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・今日の周辺 2023年 その術をそれぞれに持っている人がいる

○ 今日の周辺
昨晩から雨風が強い。
季節の変わり目、これが過ぎ去ったらまた一段寒くなるだろう、と予感する日。喫茶店の大きな窓から見える街路樹が風に煽られているのを見る。
晴れの日ならより広い面積で効率的に太陽光を受けるために目一杯広げている枝葉も、今は風に大きく煽られながら、いやその反面、風を躱しながらこんな状況であっても適応できるような構造を持っているのだとわかる。受けたり躱わしたり、構造の両面性。幹はどっしりと構え、その下には土に踏ん張る根が広がっている。そうして明日は晴れだから、きっと朝には空に向かってしゃんとしているのだと思う。
そのような植物に備えられた適応力、柔軟性にふと気づけることには、藤原辰史『植物考』を読んだことがある。認識に変化があると気づけるとき、小さく嬉しい。
小雨の中を歩けば、完全なる屋根でなくても、木々が雨を凌いでくれる。

○ あれこれ

20代も半ばを過ぎて、これから生きていくことをいつもより遠く長く見据えたりしてみることがある。
社会に存在している仕事から選んで従事すること、マイノリティ性を忘れることなく生きていくこと、生活を続けること、今目の前にしていることを越えて理想に近づこうと挑戦すること。すべて今取り組み続けたいと思うことなのに、それらを両立することがちぐはぐなことに思えてくる、考えれば考えるほどにそんな感じがある。
この連載は鈴木さんによる能町さんへのインタビュー、でもあるのだけれど、それにしては能町さんのパートに対する鈴木さんのコメントというか、そこから連想されたり、共感したことについて、また、近い経験に関してのパートが厚い。能町さんと実際に会って話をした日があって、その後でその録音を聞いて思い返しながら書き留めた回顧録的な側面があって、インタビューというものにもう一歩主観的な視点を加えた内容になっている。ゲストに対してインタビュワーが対等であるにはどうするとよいかという意識への取り組み、というか。鈴木さんという人がいて、その人の人生の中で能町さんという人に出会うまでの時間とその日があったのだ、という実感が読み手にも伝わってくる。

このような文章はきっとまずは当事者の人たちのためにあって。けれど、そこに隣り合う人たちのためにもあるのだと思う。
どういうこと、って疑問に思われることも多いながらに、腑に落ちるところも多かった。「ああでもないこうでもない」ということには最終的にはどこかのタイミングでタイムリミットがきて、結果に終着せざるを得ないのだけれど、そのことは今はなしにして、頭を抱えたこと、決めかね続けていることを定まらない現状として開示してくれる人の頼もしさと脆さというか、私もまだ決めなくともいいかと少しの間猶予をもらうようで、ふうと肩の力をぬく。

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地元の駅前の書店が閉店することをSNSで知る。
好きなジャンルや気になる本を地元で買える、この土地らしい品揃えの大好きな本屋さんだった。本は中古をネットで探すことが多いけど、歌集や人文、哲学書も充実しており、欲しいと思う新刊はほとんどここで買えた。小学生の頃は放課後に入り浸って友だちと立ち読みしたりして時間を過ごしたし、店内はそれほど広くないけれど、ファッション雑誌や美術書、大人になるまでにぐるっと大体の棚に手を伸ばしたような思い出深い場所がなくなってしまうこと、本当に寂しい気持ちでいる。夜中まで開いているのもとても嬉しかったし、ありがたかった。

書店員さんの直近のインタビュー記事を読んだ。
人の思考の痕跡が物理的に隣り合うということ、それは人為的、作為的、独断的にではあって、また著者にとっては書店に本が並ぶ上で避けられないことでもあるのだけれど、そのような意識、状態が網の目上に張り巡らされている書店という空間をあちこちと目をやりながら歩くという体験がそれぞれの書店固有のものであるということに気づく。
書店で本を選ぶことのメリットというか、ネットで探すこととの大きな違いとして、目的以外の本や事柄に出会う機会になる、ということがよく言われるけれど、選書していくうえで何を大切にするか、ということが近い(わからない、むしろこの書店がそのような意識を私に与えたりしたのかもしれない)場所が足を運びやすい場所にあった、ということ。
喫茶店や古い建物、通学路沿いの住宅がだんだんと新しくなっていくとか、一本の道や街の雰囲気が変わっていくのも寂しいけれど、書店はその内容がぐるぐるぐるぐる新たなものに循環していく場所としてあって、常に動き続けているのにいつ行っても期待を受け止めてくれる安心感があって、代え難い場所がなくなるのだと、こうして言葉にするなかでじんわりと気づく。
最近は赤坂憲雄『災間に生かされて』を買った、この1ヶ月は思うように本を読めていなくて既に大分積んでるし新たに本を買っていなかったけど、この書店の棚で見つけて読みたい本、まだまだたくさんあって、棚になくとも、取り寄せて何冊か買おう、って木曜日、出社前に最寄の喫茶店で決める。

私が住んでいる街が登場する漫画を読み返してみる。著者もおそらく同じ街に住んでいたのだろう、家に程近い場所がそこで暮らしている人の目線で、道行きで描かれる、そのことに共感することができる。それで、少しほっとする。今は小規模の商い、活動にとても冷たいときだけれど、そのことを大切にしたいと思っている人がいるし、忘れたりしない人がいる、その術をそれぞれに持っている人がいる。

夕方、髪を切った帰りに本屋に寄る。駅前ってこと以上にいつだって賑わっていて、がらんとしていることがない。
「お金持ちになったらこの店を買う」って話している人、この本屋さんがなくなるんだよ、って両親を連れて来た人、店頭の写真を撮る人、閉店を惜しむ一人ひとりなのだとわかって、それでもこれでお店を畳まなければならないのはどうしてなのかと思われるくらいだった。

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