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・今日の周辺 2023年 また目まぐるしく動き出す

○ 今日の周辺
通勤の道のりががらっと変わって、臨海部、モノレールを使って職場に向かう。帰る頃には薄暗くなって、ビルや遠くの橋の明かりがぽつぽつと灯っているのを、素直にきれいだと眺めながら、ひとつ先の駅まで歩いてみる。空が大きく開けているだけで帰路の心持ちがこんなにも違う、埋立地という場所に身を預けられるほどの快さがあるかどうかはさておき、長袖1枚で心地よく歩ける静かな夕方。すーっとスムーズに走っていくモノレールに乗っている人たちは、それとなく外を見通すように先頭の方を向いている。

「結晶を育てよう」という結晶を育てるキットを買った。真剣に小学生みたいな遊びをしたくなるときがある。
結晶を作る液体80mlをヨーグルトの瓶に注いだらちょうどぴったり、机の端に置いて観察している、2週間ほどで成長?するらしい。
出窓の植物、エバーフレッシュは今年も冬を越せなかった……また芽から再スタート、私の部屋が寒すぎるせいなのだけど、床置きにすると猫が食むので……天敵が多すぎて申し訳がない、今年1年また大切に育てよう。

新しい自転車、取りに行く。オーブンを新調する。
それと、避難バッグの点検。
2年前に自分用の避難バッグを作って、幸い使う機会はなかった、中身を見直す。


○ あの木のはなしのつづき
ここ最近、カラスがゴミを漁る。
あの木が、

一本の幹から枝分かれする部分からばさりと切られてしまった、おそらく数年に一度こういうふうにして切っているんだと思う。
そこを憩いの場所としていたカラスやオナガ?が居場所をなくして近所の家の屋根の上を慌ただしく行き来している、その後からカラスがゴミを荒らすようになった。今日で3度目。家の前の道にゴミが、向こうのほうまで散らばっているのを見るのは朝から本当がっくりくるけど、カラスの困惑を感じとる?ちょっと考えたりしてしまう。気のせいでも、ゴミを片付ける間、そう思って近所の鳥に気持ちを寄せてみていたほうが掃除は捗る。


○ あれこれ
心待ちにしていた新刊『スキップとローファー』8巻、ようやく読む。
スキロー、本当毎巻素晴らしすぎないか……。客観、あるべき視点みたいなものはどこにも存在しないということの描き方。
温泉入ったあとみたいに心温かくぼーっとしてた。自分が思って言うこと、相手が思って言ったこと、その両方をそのままの解像度で手に取ることも、重なることがあることも知れない。
味方でいて欲しいとか、自分が思うままに認めて欲しいとか、熱った自分にはなんだか物足りなくも思える周囲の肯定のやさしさを思う。

早く目が覚めて、NHKラジオ「ほむほむのふむふむ」聴く。ほむほむって穂村弘のこと。これまであまりぴんとこなかった、木下龍也さんの視点、おもしろく感じる。

 だしぬけに葡萄の種を吐き出せば葡萄の種の影が遅れる  

神様が描写し忘れる瞬間をつこうとする、と穂村さんは言っていた、
この世界の法則を私の行動によって抜け出ることができるのではないかと試す、今私が振り返ること、予測できなかっただろう、と鏡に向かって、何度も振り返ってみる、みたいなこと。馴染みのあることのように思い出した。

鈴木晴香さんが紹介していたビリー・アイリッシュの「Ocean Eyes」、明け方のラジオで聴くのにきれいな曲だった。


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久しぶりに絵を描いたりした。
これまでは仕事で撮影した写真のレタッチをしながらニュース見たり、Podcast聴いたりしていたけど、仕事が職場で完結することで、ただ手だけを動かす、みたいな時間が減りそう。なので、また絵を描いてみようかなと思いついてやってみる。
結構いい絵が描けた、ふと描き始めて、観察や手の動きは、そのときの自分の状態とは一致しない、調子よくても絵がまずまずということ、調子わるいなあと思ってもこれはなかなかいいな、ということも。これまで描いたものを並べてみて、1つのシリーズとして同じ紙の大きさに描いて、なんとなく目標地点があっても、1つ1つは全然異なる。前の職場でイラストを描く機会はなんだかんだ毎月あったけど、紙に描くのは久しぶり、いい感じ、たのしい。

しなくていいのは、自分が結論として言いたいことを強調する、根拠づけるためにもう一方を否定しきること。それらは両立したり、並存して当然で、
そのどちらがいいとか、どちらであるべきとかでなくて、言うことができるのは、
「私からはこのように見えている」ということだと思う。
自分の立場を自覚したうえで、「私からはこのように見えている」と言うことは、他者の「私からはこのように見えている」と並存することができる。
そのことに優劣はないし、「なるほど」とか「そうなんですね」以上になりえないことが保たれることで十分に思える。

私にとって身体を介さない、時差を許容できるコミュニケーションの方法は安全性が高い。
これまでの10倍の人と浅く付き合いながら仕事をする中で、思うより、優しい人は多い、かもしれない、わからない。親切な人は多い、というか。
私は些細なことで怪我をする、その怪我が治りにくい、というのが周囲の人と違っていて、見えにくいところなのだと思う。
「みんなそうだよ」というのは、同じ怪我をする可能性は誰にでもあって、そのことに誰もが自然治癒力を持っている、ということ。
けれどその中には怪我の治りが早いとか時間がかかるとか、そういう違いもあって、治らないままに怪我がどんどん増えていく、そういう身体を抱えている、ということは想像の外にある。

私もいろいろ、頼りにできる人の声を聞き続けながら、自分のことを振り返りつつ理解を深めて、また、周囲の人に伝えていけるようにしたい。
こういうこと、病や障害、そしてその周りの領域は、私の中だけにあるわけではないということは、本などの媒体を介して触れる、アクセスする中で、助けを必要とする人とその手助けをしようと応える人のやりとりがどれも固有であることとその数の多さによって知ることができた。
年末年始に転職の準備をしているときに読んだ『病と障害と、傍らにあった本。』についてはまたあらためて言葉にしたい。

無事入社し、前職を退職し(結局半月くらい重なってしまった)、長く歩いてベンチに腰掛けたときのじんわりとした快い疲れみたいに、春がきたことをゆっくりと、受けとめているところ。

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