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・今日の周辺 2023年 手を引かれるままに1月

短歌連作50首 |躓きの石
公開しました。ぜひご覧ください。

○ 今日の周辺
疲労困憊だ。
1月5日、仕事始め1日目から普段と違う職場での仕事、年末からずっと気が抜けない感じで、案の定すごく疲れた。
職場が合わないと、無気力に打ちのめされる自分に逆戻りだ、とわかる。とにかく今回の仕事は特に大変。
こんな感覚は久しぶりだなあ、と思いながら。朝、体は横たえたままで以前と違うのは、どうすればできるだけはやく、納得して自分で体を起き上がらせることができるかをあれこれ考えている、ということ。今日の仕事が終わったら日記に書きたいことや、週末の予定を立てようとか、その後で自分が楽しんでできることに現実感を持たせる。そういう葛藤?(葛藤って言わないか、けど実感としては葛藤に近い)に1時間半くらい。それでも、自分の工夫でどうにか、時間を無駄にしたくないってことはもう揺らがない。どうしても時間かかっちゃうけど。今の最短。

自分が持っていなければならないものが、腕から溢れ出して、どうしようもなく半分自暴自棄になりながら、どうにかいつもの職場で仕事をして、
昼休みは足が進むのに任せていつものブックカフェに来た。するとここで過ごしたいい時間が自分の方に返ってくる。
本を手に取る、入口を入ったすぐそばには、卯年、うさぎの長い耳にちなんだ、「小さい声をきく」対話に焦点を当てた特集の棚。
本は私が話したりいろいろ尋ねたりしなくともなんでもかんでもきかせてくれるからいつでもすごく助かる。けれど完全に一方的なのではなくて、「読む」という行為を通して私はそこに加わって居られる。
年末から長いこと、ぴしっと蓋を閉じてしまったものだから、ああもう言葉はしばらく出てこないだろうし、冷え固まって溶かすのにも時間がかかるだろう、と思っていたけれど、去年根気よく言葉に向き合い続けたこともあってか、そんなこともなかった。少しほっとした。

誰に会うにも、まずは自立していられる自分に自信を持つことができなければ。その自分ができる範囲のことで探りたい。そうしたら人生はだんだんと道を狭めて私が歩くのに丁度いい幅に整ってくるはずと思う。
それに、躁に頼る私ばかりでなく、つまらなくともまずは躁でもうつでもない自分が発揮できる主体性や積極性を信頼したい。はっきりしない思考、考え込む時間、言い淀みや長い沈黙、ため息や涙もまずは自分に許したい。


新しい年が明けたのに、何か慌ただしいままでほっと息つく余裕もないのは世間的な流れでもあるのだろうか……。
1月〜3月のことを心の中で「ボーナスタイム」と呼んでいたのに、全然そんなことなくなってしまった感じだ。

自分のキャパシティを知る。
キャパってあるな、継続可能なキャパの縁まで行った、おお


○ 2023年 読みはじめ

なんか写真ぼけてる

日本民藝館に行った、今月はこの休日を楽しみにしてた。
100歳を迎えた柚木沙弥郎さんの展示、主にアジア、アフリカ大陸のクラフトと交ぜ合わせて配された2階の広間、
2021年のPLAYでの展示と形式、柚木さんの制作と世界観として提示された空間も楽しんだけれど、匿名のクラフトとして点在する異なる時代、目的で人の手で作られたものとして扱われることで、個人の創作の世界からより広い時空間の連なりとしてみせていた。たのしい!

文脈をより長い範囲で理解できる力が必要と思った。
単語やYES/NO、言い切りや簡潔な文言ではなく、人が語る言葉の連なりをなるべくその長さで受け取ろうとしたい。
言葉だけでなく、労働や購買もおそらく、できれば。
それは、私の仕事が、作り手の仕事や生活、それらを継続することに関わっている、繋がっているということ、自分しか含まない計画では閉ざされてしまう連なりが、見えにくいけれど確かにあるということ。


佐々木健一『日本的感性』
土地そのものと文化、国の政治を切り離すことはできないよなあ、とかぼんやりと考えていた。
暮らす場所は、将来的には言葉や経済的な制約にかかわらず選べるとよいなあと思っていて、もちろん目に映る懐かしい風景や故郷と思える所以はここの気候や季節の移り変わり、植物の色の変化、風の匂いの中とかにあると思う。文化や人柄、この場所にまつわる、いいなと思えるところに目を向けて納得して暮らしたいと思っても、嫌だなあと思うところは無視できず目につく。
同調圧力の根強さとか、政策の中に明らかに酷い差別や性別役割分業が正当化されてる、ヘイトスピーチを取り締まることができない、それはここだけではない世界的な一面でもあるのかもしれないけれど、それでも未だその中にいる、生活をここに置かざるを得ない上に手立てがないまま時間が流れることに不自由を、無力を感じる。国とか、こだわっているつもりはなくとも、些細な場面で気にかかる。切り離せないことだからこそ、曖昧にされる中でどのように捉えられえるかを考えたくて、真正面の社会学から入ると少し辛いから(いろいろなことがくっきりとしたものとして扱われ過ぎるように感じて。分析・解明する学問的な性質によることなのだけれど)、ちょっと文化や感性の切り口、側面から、何か考えを転換したり視野を広げるきっかけを得られるとよいなと思い、読む。


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花粉飛び始めてる。
今の職場の近くに能楽堂があって、毎月新しいチラシをもらいに前を通るのだけど、
今年の公演をまとめたパンフレット、開いた中に盲杖を持った役者の写真、蝉丸か〜、と気になっていたら、まさかの公演日が誕生日だった!
そういえば一昨年の誕生日も能を見ていて、今年もそんな誕生日を迎えそう。
目の前はいろいろに大変だけれど、春になれば。頑張ろう。

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