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・今日の周辺 2024年 やわらかくなった顔を見て

○ 今日の周辺
3年前に買ったエバーフレッシュが背丈をようやく1mほどにして「木」という感じの姿になってきた。今年は人のいない寒い部屋で冬を過ごさせてしまったので葉がたくさん落ちてしまったけれど、また暖かくなってきて新しい葉をめきめき伸ばしていて頼もしい。机に向かう自分の頭の上にパラソルのように覆い茂る姿を想像して土替え。モンステラもボトルツリーもそれぞれ元気にしている。センダック『かいじゅうたちのいるところ』みたいにする気なの?と母。

たしかに、子どもの頃から好きな1ページ

読もう書こうと思いながら2月3月4月までが過ぎた。読み書きの方を主軸にするなら本当に時間が「過ぎた」という表現が適切で、自分のこと以外を優先せざるを得なかった。仕事が忙しいというのもあったけれど、友人の職場の話を聞いたり、一時現実から離れて一緒に楽しみを見つけることが必要で(はじめて映画の応援上映に行ったりした)それはそれでエネルギーのいることで、週に2日の休日の中では自分自身の関心と深く向き合うことと両立することは難しく、ひとまずそちらに気持ちを向けていて、こちらを留守にしていた。
「できないことがあったり、することに時間がかかる人のことを待つのは当然のことでしょ」と周囲に声を張り上げてブチギレる夢を見た。夢で良かったと安堵しながら、自分のことが手付かずの時間がするすると流れていくのを「ひとまず」とその度にやり過ごしていくのは、まあそれなりにしんどくてそんな夢を見てようやく、鬱屈とした気持ちが耐えられないところまで来ているのだと気づいて、舵を切り直す。

○ あれこれ
4月は父方の祖母の家族の法事もあった。
祖父母とその兄弟たちだけで行う予定だったのが祖母が体調を崩したり、それぞれが高齢であることもあって、急遽声をかけられ手伝いとして加わるかたちになった。私にとっては初めてのそのような場所で、会う人のほとんどが、記憶のない子どもの頃ぶりに会う遠い親戚。祖母の父(37回忌)、母(20回忌)、そうして若くして10代で亡くなった妹(50回忌)の3人の法事。

お経をあげる何十分間かは、それぞれが日常の時間感覚から離れてぼーっと記憶を辿る時間。このように個人的な時間に没入するということが集団に対して用意されること自体が日常にはなかなかない体験で、心身共に無防備な状態が何十分かの間はしきたりによって守られるというのは何かほっとするような快さがあるなと感じられた。今ここ、を離れて、懐かしさ、悲しみ、後悔、楽しい記憶、なんであれ、個人的な記憶が今だけはひとりっきりではない、という感じがして。
順にお香をあげていく、部屋の中にはその香りが一層濃くなっていく。
一通り終わった部屋にはうっすらと、充満した煙が残っている。視覚的にも丁度、あちらとこちらのあいだのように目に映る。

昼食を食べながら思い出話に花が咲く。
そうしてお茶をしながら身の上話。背骨を痛めて歩けなくなるほどだったのが治療の甲斐あって、こうしてここに来られるくらいに歩けるようになった、糖尿病の注射を自分で打っている、血圧が下がってもチョコレートをひとつふたつ食べるとすーっと楽になるよね、とか、自分も歳をとったら、このような会話が自分ごととして馴染み深い話題となるんだろう、とどこか他人事というか、外から話を聞いていた。

「昭和8年生まれ、と言ってもわからないか、1933年生まれ!」と自己紹介をしてくれたのは、祖母の一番上の兄(異父兄弟)で、「それなら私は平成9年生まれです、元号って隔ててしまうと馴染みがないですね、西暦で一続きの方がわかりやすい」なんて、話のとっかかりができると、お兄さんは急に話し始めた。
「私の父は新聞記者で転勤族だったのが子どもの頃嫌だった。小学3年生の頃は名古屋にいてね、米軍の飛行機がすぐ上を飛んでいくのを見たよ、偵察機だね。」
もう一歩踏み込んで話を聞きたかった。その場には初対面の人がほとんどで、全員が久しぶりに顔を合わせる場所で、何を話すべきでないかとか、そういったことを判断することができずに「そうでしたか」とその場しのぎな言葉を続けてそれ以上の反応を返すことができなかった。自分の関心も伝わらなかっただろう、それでその話は終わってしまった。

最近心細いのは、自分が思うような人生の、一歩先を歩く人が身の回りにいないことで、大人になって二十数年ぶりに会っても親しげにいろいろと話を聞かせてくれる家族や親戚というものの、薄くも濃いような関係にありがたさや、かけがえのなさのようなものを少し感じる1日だった。
こうした儀式染みた集まりはいつもうっすらと疎外感を感じるようで居心地が悪かったけれど(少なからず誰もがそうか)、自分の何十年か後にこのような時間があってほしい、あってもいいと思えたりした。

集合写真を撮った。
時間が過ぎていくのを止められない、という感じが自分の中に残った。

正月に祖父に借りた資料を返して、また新しい資料を借りてきた。ひとまず、緩やかにでもこのやり取りを続けられたらいい。

○ 気になり
2月からの数ヶ月、本を買ったり手に取ったり、気になるものを見に行ったりはしていた。
マームとジプシー「equal」、シアターコモンズ’24 アピチャッポン・ウィーラセタクンのVR作品「太陽との対話」、アリ・アスター「ボーはおそれている」など、楽しみにしていた作品の公開が目白押しで、毎度それらを中継地点にするように毎週を走り抜けた。
読み書きが主軸でない毎日では、言葉に「する」ことよりも、「しない」選択をすることの方が大切であるように思えて、積極的に控えるようにすると、なんとなく良くも悪くも「しないほうがいいか」と思えるのは、ひとつひとつの「するか」「しないか」よりも「する」モードと「しない」モードの切り替えというか、私としての一貫性を検討したり調整することの方にエネルギーを要するということも関係している、という言い訳染みた心境。

職場で美術品を扱っていて、毎月個別の作品というよりも何百という量としての美術品と対面していると、何か足りないというか、その対象は思うよりも制限されているような窮屈さを感じざるを得なくなるようになって、美術品として定義されず扱われず前提となっていないものや含まれてこなかったもの、流通に乗りにくいものの存在について関心を向けるようになった。
ヘラルボニーの活動を見ていることや、横道誠『創作者の体感世界』、横道誠・青山誠『ニューロマイノリティ』を読んだことも関係していると思うけれど、そのことに自分としてどのように関わりを持つことができるだろう、ということが最近の考え事の中心。

これから読む本

伊藤亜紗『手の倫理』で知った五感の優劣の認識によるヒエラルキー、ゴンブリッチ『美術の物語』15章レオナルド・ダ・ヴィンチによる絵描きの社会的地位向上に関しての記述は繰り返し読んだ箇所でもある(職人仕事との区別化によって得られたという側面があるけれど)。井奥陽子『近代美学入門』にも芸術とそうでないものの認識の移り変わりについては冒頭に書かれていて、営み、その人がすることとその人の扱われ方の関係というか、まだまだ揺り動かしようのある領域という感じがして、接点を探っている。
自分の人生を長く見通して、不可視化されていたり前提とされていない物事を取り出して手掛かりを見つけたり、ほぐしていくような術を磨いていきたいと思っている、のだと改めて自覚する。


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SNSで見かける西瓜の絵文字。を、仕事の往復、電車や駅で目にするようになった。ハンドバッグの自分の側にくる方にパッチを付けている人、いくつものプラカードを入れた大きなトートバッグを持った人、白黒の模様のクフィエを身に纏った人も。東京のターミナル駅を利用しているということもあるだろうが、匿名で利用するSNSで目にしたこれらを現実にすれ違う人に目にしたということに、「立ち止まりたい」と強く思う。

連休の間に映画や展覧会に足を運ぶこともできたし、またすぐ書きたい。
まずは簡単に近況、雑記。

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