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無縁仏

Mさんは高校二年の時、バスケットボール部に所属していた。彼は夏の合宿の時に奇妙な体験をしたという。
その年の合宿は隣県の強豪校と練習試合をするため、二泊三日での遠征となった。
遠征先は緑が豊かで風光明媚な土地だった。
Mさん達のチームはその日の試合を終えると、マイクロバスに乗って宿舎へと向かったという。
バスが信号で止まった時、Mさんはふと窓の外に目をやった。
道路の周りは田園風景が広がっていたが田圃の間に、ぽつんと空き地がある。
空き地と言っても雑草が生い茂って荒れ放題だった。
空き地の隅に一本の木が生えていて、その前を誰かが行ったり来たりしているのが見えた。
ちょうど午後から冷たい霧雨が降っていたので、はっきりとは見えなかったが着物を来た年配の男性である事が分かった。
雨のそぼ降る中、傘もささずに何をしているのか。
よく見ると、その老人はゆっくりと円を描くようにして歩いているようだ。
虚ろな表情を浮かべて、口は半開きになっている。
さらに妙だったのは老人の歩き方だ。
普通、人間が歩行する時は上下左右に小さく身体が揺れるものだ。
だが、まるで地面をすべる様に移動している。
怪訝に思ったMさんは隣のシートに座っていたチームメイトの肩を叩いて空き地の方を指差した。
そのチームメイトは窓の外に目を凝らしたが、空き地には誰もいないと言った。
そうこうするうちに信号は変わり、バスは発車した。
宿舎について入浴し、夕食をとっている時もMさんは空き地で見た老人の事が気になっていた。
それでも昼間の練習試合で疲れていたので、布団に入るとすぐに眠りに落ちた。
しかしMさんは真夜中ごろにふと目を覚ました。
大広間でチームメイト達と布団を並べて横になっていたが、他の皆は泥のように眠っている。
ぼんやりと天井を見ていると、再び空き地で見た老人の姿が頭によぎった。
あんな何も無い場所で一人で何をしていたのだろうか。
とりとめもなく昼間の事を反芻していると、宿舎の玄関のドアが開く音が聞こえた。
別棟に泊まっている顧問の先生が様子を見に来たのだろうとMさんは思ったという。
やがて大広間の襖が小さく開いた。
人影がすうっ、と室内に入ってくるのが分かった。廊下の電気は消えたままで真っ暗だったので、その姿ははっきりとは見えなかったが、大広間の中を壁伝いに移動し始めたという。
Mさんは怪訝に思った。
先生は電気も点けずに何をしているのだろうか。
やがて先生と思しき人影がMさんの枕元に近づいて来たので、彼は目を閉じて寝たふりをした。
気配が頭の上を通過していく。
何かが腐った様な匂いが微かにしたという。
Mさんは気になったので、薄く目を開いてみた。
汚れた着物の裾が闇の中に浮かんでいる。
視線を上へと向けると、それは小柄な老人の背中だった。
僅かに残った白い頭髪が首にかけて垂れているのが見える。
顔は見えなかったが、間違いなく昼間空き地で見かけたあの男性だ。
それが大広間の中を、ものも言わず歩き回っている。
Mさんは自分が異常なモノを見てしまった事に気がついて怖くなり、掛け布団を頭から被って目を閉じた。
老人の気配はしばらくの間、広間の壁際をぐるぐると回っていたという。
朝になると老人の気配は消えていた。
その日もMさん達のチームは午前中のうちに練習試合の会場にバスで移動する事になっていた。
否応無く昨日の空き地の所に差し掛かった。
昨夜の雨は上がり、よく晴れている。
Mさんは空き地に目をやると老人の姿はどこにも無かった。
ただ、生い茂った雑草の間から小さな石碑みたいな物が一つ見えた。
バスはすぐにその地点を通過したので、それ以上の事は分からなかった。
その後も練習試合は順調に消化されて、全ての日程を終えた。
その頃には相手の高校のメンバーとも仲良くなっていたので、Mさんはふと空き地の事について尋ねてみた。
「あそこは昔、墓地だったみたいだよ。今は移転されたらしいけど。確か無縁仏のお墓が集められてたって話」
無縁仏というのは、供養する親戚縁者がいないお墓の事だとMさんはその時知ったという。
三年生になると部活を引退したので、その土地が今現在どうなっているかは分からないそうだ。

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