【今日のsora】イケオジ上司は自称変態
今日は変態な元上司のお話です。
⚠️かなり長文です。
それはわたしがまだ、うら若き20代の頃。勤めていた広告制作会社の東京支社に、それはそれはイケオジな上司・Kさんがいたのだった。わたしよりも20歳も年上なのに、オジサンの匂いのまったくしない不思議な人だった。
大手メーカーと契約を結び、東京表参道におしゃれな事務所を構え、誰もが羨むような大きな仕事をする。しかもその風貌は、マイルド役所広司さん。
ぜんぶカッコええやん。ぜんぶ持っていくやん。ズルいやん……
社内には当然のごとく、羨望と嫉妬と悪意が渦巻く。なのに本人はどこ吹く風。俗世間とは距離を置き、飄々と孤高を泳ぐ。そんな人だった。
「soraちゃん。がんばってる?」
経営幹部でもあった彼は、月に一度、社内会議に出るため来阪する。そして必ずわたしのデスクにやってきた。
これは世界七不思議のひとつなのだけど。
なぜかKさんは、わたしのことを可愛がってくださっていた。華やかな世界に生きる彼にしてみれば、大阪の「もうかりまっか、ボチボチでんな」の浪花節業界で、ぷかぷか泳ぐ謎の珍獣、と思われていたのかな。
入稿前は徹夜明けのことも多い。ぼさぼさ頭で目の下にクマを作っている情けない姿の珍獣を、ランチに連れ出してくれる。
わたしは「なんでこんなに忙しいのか」と、いびつな社内体制について憤る。Kさんは「大変だねぇ」と笑いながら聞いている。ただそれだけなんだけど、わたしの心はなぜか落ち着く。Kさんはいつも凪のような人だった。
広告人に必要なものはなにか。
Kさんからは、ずっとそれを問われ続けてきた。そんなのわからない。知識もスキルも経験もない20代のわたしにわかるはずもない。なのに、会えば必ずそれを聞かれ、禅問答のような、答えのないやりとりを求められた。そして最後はきまって、クルマか、愛妻の話になる。
Kさんは、大のクルマ好きだった。HONDA 車から始まった彼のクルマ遍歴は、いくつかの国産車を経た後、ジープ ラングラー、ランチア デルタ、フィアットバルケッタ、 ハマーH3、マセラティ 。。。
シタ カミソウ(舌、噛みそう)
高級外車など、なにひとつわからないわたしは、ただ、ふんふんと聞くしかない。
コツコツ手入れをする。壊れたら自分で修理する。目を掛ける。手を掛ける。運転を楽しむ。とことん乗りたおす。Kさんは、そんなふうにクルマを可愛がった。まるで恋人のように。
「どの子にもね、物語があるんだよね」。遠い目で言う。
「エンジン音が倍音でさ、とてもいいんだよ。ストラディバリウスの音色みたいでさぁ」
そんな彼の原動力は、自分を着飾る見栄や、モテたい下心なんかじゃない。それは紛れもなくクルマ愛。クルマがすき。異常なほどすき。
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いつものように、仕事について語り合ってた日。どこまでクライアントに寄り添えるかという話題になり、わたしは何気なく言った。
「やっぱり、愛、だと思うんですよね」
まだ愛なんて知らない、何もわかってない小娘が、愛を口にする。
Kさんは、いつもみたいに優しく微笑んで言う。
「soraちゃんも、だんだん変態になってきたね」
ん?
ヘンタイ?
わたしが?
全裸にトレンチコートだけを羽織り、コンニチハ~する変態さんの姿を思い浮かべる。
「変態、ですか。
えーー。なんか、いやらしいなぁ」
不満げなわたしにKさんは言う。
「なんで?いいじゃん変態。だってサナギが蝶に変わるのだって、変態だからね」
ずっきゅーーん。
「愛って言葉、きみの口からやっと聞けた。ぼくたちの仕事には、やっぱり愛が必要なんだよ。まずはぼくたちが、商品やクライアントを愛さないとね」
ずっきゅーーん。(2回目)
「もう、変態って言っていいほどの異常な愛だよ。あ、ちなみにぼくはクルマとシゴトのド変態なんだけどね笑」
知ってます。
アナタ、異常です。
ド変態です。
Kさんはクルマと同様、仕事や、担当する商品にも、尋常ではない愛とこだわりを持っていた。それがたとえ撮影時の、取るに足らないようなライティング加減ひとつであっても、決して妥協しない。普段のソフトな物腰からは、とても想像できないが、必要とあらばクライアント相手でも大喧嘩する人だった。
それでもクライアントはKさんに絶対的な信頼を寄せる。クライアントは彼が常に、自社の商品を誰よりも愛し、目を掛け、手を掛けてくれることを知っている。そして必ず良い結果をもたらしてくれることを信じている。
そうか。成功するのにはちゃんとワケがある。この業界でKさんが突き抜けているのは、愛にあふれた変態だから、なのだな。
ふむ。変態って、めっちゃカッコいいやん。
この日以来わたしは、変態という言葉への拒絶反応がなくなった。
そこに愛があれば、異常性もまた尊い。
愛は変態。変態は愛。
この方程式がわかってから、わたしは進んで変態になりたがる。だがしかし。これが、なかなか難しい。変態になるにも、素質と才能がいる。わたしには、何かが欠けているのかもしれない。
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さて、それから数年後、わたしはその会社を辞めた。普通、上司なら、嘘でも一度は引き留めると思うんだけど、Kさんは違う。いつものように「いいじゃん」って笑ってた。「がんばってね」と送り出してくれた。
思えばKさんから、仕事の矜持のようなものをたくさん教わった。あのワケのわからない禅問答にも意味はあって。師弟愛のような、愛をたくさんもらったこと、とても感謝しています。
結局、その後のわたしは、浪花節業界の川をアップアップと泳ぎまわった。さらなる自由を求めてフリーランスになって、今もなお、バタ足を続けている。コロナ禍の煽りも受け、仕事は激減し、水没寸前。さっさと片足だけ洗い、週の半分はウェイトレスをしている。
残る片足が溺れそうになっているところに、流れてきたのは藁、ではなくインスタやnoteだった。それを掴んで、変態の道をとことこ歩いている。
noteには、たくさんの変態さんがいた。
ここまで辛抱強く読んでくださったあなたも、きっとそうだよね?
全裸コートでコンニチハ~するその日まで、変態修行はまだまだ続けていくつもりだ。
END
長くてスミマセン!
読んでくださって、ありがとうございます。
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