ゴールデンカムイ
(Vtuber配信用の台本)
字幕:「ゴールデンカムイ」の感想
字幕:ネタバレ無し
良い映画を褒めます。
詰まらない映画も褒めます。
信じる・信じないは、あなた次第。
「今日も優しく、うそを語ろう」
映画館で「ゴールデンカムイ」を見ました。
字幕:傘を置き忘れた
ショッピング・モールの中にあるシネコンで観てきました。
僕の住んでいる場所から少し離れたモールです。
行く時には雨が降っていました。
映画が終わってモールを出る時には、雨は止んでいました。
で、家に帰って気づきました。
「あ、どこかに傘忘れてきた」
忘れたのがシネコン内なのか、モールの中なのか、それとも途中で寄った大手喫茶店チェーンなのか、はたまた、どこかのトイレなのか……まったく覚えていません。
ありふれた透明のプラスチック傘で、そんなに高い物じゃないから金銭的なダメージは少ないけれど、やっぱり精神的なダメージは受けます。
忘れ物って、なんであんなに、精神的に「引きずる」んでしょうね。
自分が使ってきた物には、なんか自分自身の魂の一部が乗り移っていて、それが失われてしまったっていう感覚かも知れません。
「その傘に僕の『念を残した』まま何処かへ置き去りにした」っていう、まさに文字通りの「残念」です。
ここは、意識して気持ちを切り替えましょう。
皆さまも、くれぐれも傘の置き忘れには注意してください。
さて、劇場版・実写版の「ゴールデンカムイ」の感想です。
字幕:客席の雰囲気
日曜日の昼間の回を観ました。
ショッピング・モール全体は、やっぱり若いカップル、若いグループ、そしてヤング・ファミリーで賑わっていましたね。
娯楽大作映画・公開直後の日曜日である事を踏まえて、「満員御礼かな?」と予想していました。
300席クラスの劇場で観たんですけど、席の埋まり具合は、実際には70パーセントといった感じでした。
映画が終わって客席が明るくなった所で、周囲を見回しました。
お客さんたちの空気は、まあまあ、といった所ですかね。
「ものすごく良い映画を観た、こりゃ傑作だ!」というムードでもなかったし、「ふざけるな! 金返せ!」という雰囲気でもなかった。
「まあまあ楽しめたし、まあ、合格点かな」っていう表情のお客さんが多数派だったように思います。
字幕:軽く総評
僕は「ゴールデンカムイ」の原作漫画を読んでいませんし、アニメも観ていません。
だから、原作に対してどうだったか、という判断は出来ません。
純粋に1本の映画としての感想を言いますと、
「良い所もあるし、弱い所もある。全体としては、まあまあ楽しめた」
といった所です。
ネットの感想記事などを読むと、わりと原作ファンからの評価は良いようです。
おそらく、原作を知っていたら、もっと楽しめた事でしょう。
字幕:良かった点
まずは、良かった点から。
字幕:出演者の存在感
出演している役者さんたちは、皆さん良かったです。
中でも主演の山崎賢人の存在感が光りました。
僕は原作を読んでいないので、彼の作り上げたキャラクターが原作通りか否かは判断できませんが、原作うんぬんをいったん横に置いて、アクション映画のヒーロー像として判断すれば100点に近かったと思います。
イケメンで、肉体も鍛えられていて、動作のキレも良い。
「かつて戦場で『不死身』の二つ名で呼ばれた凄腕の帰還兵」
という、シルベスター・スタローン「ランボー」系統の王道アクション・ヒーロー設定ですが、演じている山崎の顔には常にどこか浮世離れした空虚な感じが漂っていて、それが良い味わいになっています。
字幕:格闘アクション
格闘戦のシーンはスピーディかつ重量感が有って、素晴らしかったです。
冒頭の203高地でのロシア兵との戦闘は、いわゆる「引き」の画角では少しCGっぽさが目につきましたが、杉元とロシア兵の肉弾戦に入ってからは、とにかくスピーディーな展開で興奮しました。
突撃する杉元の足元を追いかけるカットから、もう興奮しっぱなしでした。
この監督は、肉弾戦・格闘戦の表現に、とても強いこだわりを持っているんだな。
格闘のシーンは、どれも良かったです。
では、ここから少しネタバレを含みますので、ご注意ください。
字幕:ネタバレ注意!!!
(少し、間を空ける)
字幕:残念だった点
まず1番残念だったのは、ストーリー的な盛り上りに欠けていた事です。
連載漫画のストーリー・テリングには、
「毎週毎週、小さなクライマックスを盛り込みながら、数年~十数年をかけて大きな物語を紡いでいく」
という特徴があります。
これを映画化する場合、
1、漫画全体を貫く「大きな物語」を完結させるには、2時間では全く長さが足りない。
2、さりとて、連続する「小さなクライマックス」だけでは、2時間は持ちこたえられない。
という問題が発生します。
おそらく、漫画→2時間の長編映画への変換過程で、「小さなクライマックス」と「大きな物語」の中間に位置する「第1章の区切りとしての、中規模のクライマックス」を構築する必要があるでしょう。
この「第1章の区切りとしての中規模クライマックス」が、今回の映画は弱かった。
もし僕が原作漫画のファンだったなら、第2部以降に何が起きるのかを既に知っている訳ですから、続編への期待感を持って、この第1部を観終える事が出来たのかも知れません。
しかし残念ながら僕は原作漫画もアニメ版も知らない「一見さん」です。
単独の映画を観に映画館に足を運んだ訳ですから、この作品単独で楽しめる起承転結のあるストーリーにして欲しかった。
とくに「結」の部分が物足りなかったです。
仮にこれが3部作の序章に過ぎないとしても、単独の映画としてのクライマックスと着地点が欲しかった。
疾走する橇の上でのアクション・シーンは確かに素晴らしかったです。
しかしストーリーという観点で言えば、クライマックスとしては物足りませんでした。
それとCGについて、予算の都合も有っただろうと想像できるから強く非難は出来ませんが、白い狼と熊に関しては、もうちょっと頑張って欲しいと思いました。
今回、この映画を観て気づいたのですが、CG臭さが顕著に現れるのは、「質感」よりも「動き」なんですね。
現代の技術をもってすれば、動物の毛並みなどの質感は可成りの所まで再現できる。
少なくとも、「このレベルなら騙されても良いかな」と観客が思えるレベルには達している。
それが動き出すと、とたんに嘘臭くなる。
かつて、19世紀に写真が発明されるまで、「走る馬」の絵を正確に描ける画家は居なかったと言います。
どんなに才能のある画家でも、疾走する馬の足がどうなっているのか分からなかった。
写真が発明され、連続撮影が可能になって初めて、馬の足の動きが解明された。
それから100年以上の時間が経過していますが、
「やっぱり二足歩行動物である人類にとって、四足歩行動物の動きは分析と再現が難しいんだな」
と思ってしまいました。
字幕:余談、小樽のセット
小樽の街並みは、たぶんセットでしょう。
「あれ、どこかで見たことあるなぁ」と思いました。
黒澤明の「白痴」に出てくる街並みに似ているように思うのですが、気のせいでしょうか。
(少し、間を空ける)
「僕の言うことは全て、うそだ」
と、クレタ人が言った。
「今日も優しく、うそを語ろう」
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