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だ・である調で書く

「だ・である調」で文章を書いたことがないのである。

今まで書いてきた、提案書も、設計書も、手順書も、そして障害報告書も、たいてい「です・ます調」で書いてきました。

ビジネス文書において、自分が書くものも、人が書いたものを目にするのも「です・ます調」が主流です。
電子メールでも「だ・である調」で書いてくる人は見たことがない。
「〇〇の連絡である。」というメールを受取ったらドン引きなのである。

今回、技術的な解説記事を作成する機会をいただきました。
その媒体は、「だ・である調」であることが決まっています。
「です・ます調」で原稿を書いたとしても、掲載時には「だ・である調」に編集側で修正されるとのこと。

この話をいただいたとき、最初は「です・ます調」で提出して、「だ・である調」に修正してもらうことを考えていました。
しかし、世に存在する文書を改めて眺めてみると「だ・である調」の文書というのはそもそもの書きっぷりが違う。
言い切ることの責任感があり、潔さからくる説得力がある。

そういう目線で読んでみると、新聞の社説は興味深く面白くて仕方ない。
今まで読み流していた文書の細部まで目に入ってきて、あぁこう書くのか、とか、自分ならこう書くな、などと考えるようになる。
文章を通じ、筆者との対話が始まる。

それに気づいてから、自分も「だ・である調」で原稿を書いてみようと思い直しました。

自分の見識を伝え、意見の述べることを強く意識し、「だ・である」と言い切るのである。

とは言え、まだ慣れていないので、ご覧のとおりこのnoteも「です・ます調」と「だ・である調」が入り混じっています。
ものの本によると、2つの調子を混在させるのが一番ダメたのだとか。

今後、noteも「だ・である調」で書いてみようと思います。
何事も練習が大事である。

一方で、noteの持つ柔らかい雰囲気は「です・ます調」だからこそ醸し出せる訳であり、どちらも捨てがたいのでありました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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