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自分の『関心領域』を知る方法?

映画『関心領域』を観てきました。
何とも”気持ちの悪さ”が残る映画というのが率直な感想です。

そして時間が経つとともに、この”気もちの悪さ”こそ、人の持つ希望なのかもしれないと思うようになってきました。

映画『関心領域』のオフィシャルサイトはこちら

スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か?
               
オフィシャルサイトのAbout the Movieより

映画出だしから、本当にまぁ居心地が悪いんです。
 さぁ「観るぞ!」の気合をいきなり外されるし、何より聴こえてくる音楽も”外れて”いて、不快と言っても良いほど。
そして突然家族ムービーのような映像が…。

 庭に咲く花の香りを楽しんだり、子どもの成長を気にかけたり、自分の頑張りを評価されて喜んだり…私たちの「日常」が、いかに自分たちの想像(≒認識)で作られたものであるかがわかります。
 認識できないことは、それがどんなことであれ、この世に存在していないのと同じ。「自分事」にできるとか、できないとか以前の問題です。
 この家族に、”おぞましい”人間の姿を感じるのは、ある意味簡単なのですが、それすらスクリーンを隔てた「物語」として認識している自分自身の姿であるという事実…。

 もう救いの無い映画って感じで滅入ってしまうのですが、実は、この”気持ち悪さ”を登場人物たちも感じていた事がわかります。認識は出来ていないけど、身体が何かを感じている。理由はわからないけど、何か変調をきたしている自分に気付く…。
 そう、自分の『関心領域』を知るのは、頭で理解するのではなく、身体で感じることなのかなと。そこに、何かしらの望みがあるのではと信じてみたくなるのです。

いやぁ、本当に凄い映画でした。

*カバー写真は、新利根協同農学塾農場(上野牧場)
 日本の酪農が自分にとって『関心領域』でなかったことを痛感。


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