掌編小説 雨上がりのふたり

 その日は朝から雨が降っていて、漠然とした不安が幼い心を曇らせた。
 知世は、ふいに教室の自分の席から外を確認しようとして、雨露に濡れた窓ガラスにぼんやりと映った自分の姿が視野に入り、反射的に目を逸らした。自分というものを、どうにも好きになれなかった。まだ小学五年生だというのに自身の醜美を気にするなんて、と知世も考えたりしていたが、それを口外したことはない。この強迫観念とは一生の付き合いになるだろうとすでに直感し、抗うでもなく自分の中にこっそりとしまい込んでいた。

 嫌な予感が的中すると、「あぁ、やっぱり」とひどく落胆してしまう。これは嫌な出来事に対しての落胆ではなく、予感していたにもかかわらず心の準備ができていなかった私自身に対しての落胆なのだと、知世は自分に言い聞かせた。
「小林さん、分からない?」
 算数の授業中、正しい解答が分からず固まってしまった知世に、担任が問いかける。
「……分かりません」
「そう。じゃあ、他に分かる人?」
 ただそれだけのやり取りも、知世にとってはとてつもなく深刻なことのように感じた。私は、この場に存在してはいけないような気がする。
 誰にも分からないように、小さくため息をついた。

 全ての授業が終わり下校する頃には、雨は止んでいた。雲の合間から陽が差して、昇降口を濃い橙色に照らしていた。
 今日は、なんとなく嫌な日だった。さっさと忘れてしまいたいと強く思えば思うほど、記憶が頭にこびり付いて離れない。あぁ、鬱陶しい。
「あれ? 知世ちゃん?」
 昇降口を出たところで名前を呼ばれ、顔を上げる。
「涼子ちゃん」
 友達に手を振り別れた涼子が、知世に駆け寄った。
「知世ちゃん、ひとり? 一緒に帰ろうよ」
 知世と涼子は家が近所で、昔からよく二人で遊ぶ仲だ。正反対の性格だったが、不思議と気が合った。六年生の涼子は、知世にとっては姉のような存在だった。
「なんか元気ないね。何かあった?」
「うん……」
 涼子に聞かれ、知世はぽつぽつと話し始めた。雨の日は、なんとなく気持ちが沈むこと。自分を好きになれないこと。算数の授業でのこと。
「そういう日もあるよね」
「うん……」
「知世ちゃんは何も悪くないよ」
 涼子の言葉は重くも軽くもなく、それが知世を安堵させた。そして、他の誰でもなく涼子にそう言ってもらえたことがうれしくて、自然と表情が緩む。
「あ!そうそう、今日、家庭科の授業があってね」
 そう言うと、涼子は手提げバッグから何かを取り出した。
「これ、あげる」
 大きな桃色のビーズで作られたブレスレットだった。
「わぁ、きれい……。もらっていいの?」
「うん。知世ちゃんのために作ったから。私とおそろい」
 涼子は手提げバッグから水色のブレスレットを取り出し、自分の手首につけてみせた。
「おそろい!」
「そう!おそろい!」
 顔を見合わせ、二人でクスクスと笑った。
「私、知世ちゃんのこと好きだよ。だから、元気出して」
 涼子が言った。知世にはその言葉がくすぐったくて、ただ目を逸らして微笑むことしかできなかったが、涼子にはそれが分かったようで、うれしそうに知世を見つめた。
「……手、つないでもいい?」
「うん。いいに決まってるじゃん!」
 恐る恐る尋ねた知世の手を、涼子が握った。色違いのブレスレットが重なり合う。
「私も、涼子ちゃんのこと、好き」
 雨上がりの湿気を帯びた空気を、爽風が駆け抜けた。