掌編小説 僕と花

 得体の知れない黒の中。気づいたら、僕はここにいた。自分がどこの誰なのか、どこから来たのか、分からない。あぁ、黒が僕を塗りつぶしてしまったのか。
 ただひとつ、思い浮かぶのは、花。

 ずもう ずもう ずもももう
 花は、赤く燃えていた。黒に負けない、力強さを持っていた。自信と勇気に満ちていて、僕の心も花と一緒に燃えていた。
 花となら何でもできると思っていた。

 ぽすう すわあ ぽすう すわあ
 花は、いつも光を集めていた。ろうそくの光もランプの灯りも流星も、全て花に吸い込まれていった。周りが黒ばかりになっても、花だけは鮮やかに光っていた。
 僕は、そんな花を見て胸を張った。僕にとって、自慢の花だった。

 んにゅし にゅし んにゅし
 花は、どんどん大きくなった。最初は僕よりずっと小さかったのに、いつの間にか雲より高く伸びてしまっていた。雲の上で、花が燦燦と輝いている。
 この世の何よりも生き生きとした花にとてつもない力を感じて、僕は少し不安になった。

 花は、光という光を集め尽くした。これでもかというくらい、大きく大きく大きくなっていった。
 そして、ついに――。
 がふん ふごむ ぐまほ!
 太陽までも飲み込んでしまった。花は震え、光が飛び散り、僕は眩しくて目を細めた。
 花はもう、僕の知っている花ではなくなっていた。

 ぺすん うくおうん ぺすん ぺすん
 花は、大きくなりすぎた。もはや上を向くことができない。黒が、まとわりついてくる。
 花は残った力でそれを跳ねのけ、花びらを散らしながらしおれていった。苦しい金切り声が聞えそうなくらい、強く激しく燃えながら。
 その光が不気味で、僕は恐ろしくなって逃げ出した。

 そう、思い出した。それで、気付いたら僕はここにいたんだ。
 たぶん、花は枯れた。燃え尽きたのだ。
 僕の周りに、黒が立ち込めた。

 ぐ ぐご
 花がなくなった今、僕は何もできない。
 ぐごご
 なぜ僕は、ここにいる?
 ぐごごご
 僕は、花のようにはなれない。
 ぐごごごご
 悔しい。悲しい。僕はその場にうずくまって、ぎゅっと目を閉じた。
 ごひゅん
 もう、おしまいだ――。

「やり残したことが、あるんじゃないのか?」

 確かに、誰かがそう言った。僕にはそれが花の声のように思えて、素早く立ち上がった。
 花は枯れた。でも、僕にはそれが信じられなかった。まだどこかで花は生きている――そんな気がしたのだ。
 僕は、恐る恐る一歩踏み出した。

 僕は歩いた。何もないように見えるこの世界を、ひたすらに。黒が、手招きしてきた。さっきまで僕の噂をして、ニヤニヤ笑っていたくせに。
 僕は、お前とは違う。お前とは違うんだ。僕は――!
 はっとした。どこからか、緑のざわめきが聞こえる。空の青が、見え隠れする。黒の中に、一筋の光が差し込んだ。
 僕は、泣きながら走っていた。

 随分と遠くまで来たようだ。汚れた靴で、大地を踏みしめる。
 僕は、空に向かって歌った。

 ぽうん ぽうらん しゅらり らるらん
 風に乗って おとが聴こえる
 かわいい小鳥のおと
 優しい日差しのおと
 たくましい草木のおと
 僕の生きるおと
 僕は確かにここにいる

 なんとも心地が良くて、うんと伸びをする。僕のそばで、花が笑った気がした。
 世界がきらりと輝く。言葉が僕の心に宿り、小さな双葉となって芽吹いた。
 やっと会えたね。明日、じょうろを買ってこよう。