掌編小説 伊吹おろし

 買い物帰りに、自転車を漕ぐ。市街地を抜けると、のどかな田園風景が広がっていた。稲を刈り終えた後の田んぼはどこか寂しげだったが、それが冬の雰囲気を際立たせた。

 私は、田んぼに挟まれた一本道を一心不乱に突き進んだ。その日は、冷たい風がひっきりなしに吹き抜けた。びゅおう、びゅおうと音がする。それを真正面から受けた私は、顔を歪めた。
 自転車のペダルが重い。なかなか進まない自転車にじれったさを感じながらもふと空を仰ぐと、雲一つない青天だった。
 空が広い。息を切らしながら自転車を漕ぐ私に対して、雄大な空は厳かに鎮座しているように感じた。北風と私だけが、荒れ狂っている。なんとも滑稽に思えたが、こうでもしないと家に帰られないのだ。ひたすらペダルを漕ぐしかない。

 遠くの方に、雪山が連なって見えた。あの山のどれかが伊吹山なのだろうか。
 冬はあそこから風が吹いてくるのだと、昔、大人から教わった。伊吹山へ行ったことはなかったが、学校の帰り道、冷たい風が吹くとなんとなく伊吹山を思い出した。
 いつだったか、友達と歩いて山へ行こうとして、結局辿り着けなかった記憶がある。濃尾平野で育った私は、遠くに見える山々を羨望の眼差しで眺めた。決して近くはないが、存在だけは強く感じていた。
 だからなのか、伊吹山から遥々やって来たこの風にこうして悪戦苦闘しているのが不思議に思えてくる。風は、どこまでも吹き抜ける。もしかしたらこの世界は、風で繋がっているのかもしれない。

 ふいに強い風が吹き、自転車がよろめいた。
「負けるもんか」
 体勢を立て直し、ペダルを強く踏み込んだ。
 誰かの白いビニール袋が、宙を舞っているのが見えた。