0511

 休職することになったのでnoteを書く
これまでの経緯とか、気持ちとか、色々ね

今の会社に入社してから、4月で6年目になった、
私は専門学校卒の入社なので、
20歳から社会人をしていることになりますね
ヤバ
入社したのは都内の某メーカーで、
専門学校で勉強した事が活かせる職種だった、
その頃の私は周りが大学生をしてる中で
みんなより先に社会に出て、立派だ!と
自分をめちゃめちゃ褒めたたえていた(気がする)
まあそう思わなきゃやってらんね〜とも
ほんとは正直思ってたけどね
〇1年目の話
今考えたらあたおか〜って思うけど、
はじめて残業したことが嬉しくて覚えてる
定時までひたすら会計の本やら就業規則読んでたのが必要とされた!って思って嬉しかったなあ
タクシー帰りも多くて社会人キツいなって思ったりもしたし、プライベートが大事件があったりして死んだりしていたが何とかなっていた(?)

〇2年目〜5年目くらいの話
仕事が忙しい。1年目から忙しかったけど
やっぱ1年目とそれ以降じゃ全然違かった。
帰る時間が遅くなって、でもしがみついて、
仕事のモヤモヤとかストレスを家族にぶつけるようになってしまったのでひとり暮らしを始めた。
ひとり暮らししたことで後悔したこともあったけど家族に当たることもせずにいい距離感を保てたので、良かったなと思う(お金は無くなったけど)


〇予兆的なもの
11月位から会社の刷新(?)があって、
仕事が死ぬほど忙しくなった。
今までも仕事はクソ忙しかったけど、
もう完全に忙しい、毎日。
今まではある程度月初月末を除けば、
月2くらいは19時に会社出れる〜くらいの感じ
だったのに、それが無理になってしまって、
まあ定時で帰ることがすべてじゃないけど、
やっぱり心の余裕みたいなのが無くなってた。
チームの先輩が入れ替わり、新入社員が入り、
いちばんチームで歴が長いのが私になり、
マジで24歳にしてお局になった
ずっと下っ端だったのが、若かったのが、
もうだんだん若くないと感じ始めるようになった頼れる相手がいないわけじゃないけれど
甘える相手がいないだって私はお局・・・
お局はお局だが結局の所専門卒なので、
大卒の先輩に自分の仕事を教えたりしながらも
雑務も大量にあってめちゃめちゃイライラしていた(これは愚痴) 


〇体調の変化のはなし
25歳近くになってから体力が〜って年上の後輩が 
言ってたからマジ怖え〜と思ってたけど、
何だかんだ今までそこまで体調を崩したりする女では無かった(生理痛でぶっ倒れて更衣室でクソ寝てたら終電逃したことはあるが)
12月に溶連菌感染症にかかった(noteだとリンクとか飛ばせるだろうけど面倒臭いからググって) 
まあ溶連菌も重篤な病気では無いので2日か3日くらい休んですぐ復帰した、(この時はまだメンタルは元気だったし溶連菌って子供がなるやつじゃん〜wwwって言われて若いんで〜って返せるくらいには元気だった)
調べたら免疫力の低下とかストレスが原因らしく
まあ仕事のストレスは実感していたのと、張り切りすぎて朝の7時から会社に居て終電で帰ったりしてたので、早起き体に悪いと心から思った(私の場合は)

〇溶連菌に掛かった私は
そもそもストレスを溜めないためには、
適度な運動とちゃんとした食事と睡眠!と言うが
全てが無理になっていた(まあ運動は前から嫌いだけどさ)
飲酒量が増えた、
というか帰りが遅いから夜ご飯は酒!
効率良くアルコールを摂取するために風呂で酒!
みたいな24歳OLとは思えん毎日を過ごした
本当は多分ここでちゃんと穏やかに定時退社して
ゆっくり休んでゆっくり寝て〜としていれば良かったんだけど、仕事はガンガン増えていき、後輩の残業時間がゴリラだったので私がドーピングしたり、たまに土日も仕事しなきゃ〜と思っていたのが土日は当たり前にパソコンを持ち帰る生活に変わっていった、
多分この頃からちょっとおかしくなっていて 
後回しにするなって上司に叱責されたり責任取れるのかと言われたりしてもうバグになってた、
元から上司は言い方がキツめなタイプであったので話しかけるだけで泣きそうになっていたので(泣いてた)結局マジでボロボロだった 周りも前は私が上司に色々言われてるのを見て笑っていたけど(笑ってた奴らは来世で呪いますが)もう私がギャン泣きするもんだからみんないじってこなくなった(それは良かった)後回しにするなって言われて、じゃあいつやればいいの?今?土日休んでるのが悪いんだ、資料作りに時間がかかるのがきっと気に入らないんだろうし土日に資料は作ろう、それで・・・と毎日何のために働いてるのか分からず、親のことを思い出して上司に怒られてるとき以外も涙が出ちゃうから個室に籠ってボロボロ泣いて、私って何なんだろうって思ってたある日の日曜日の夜、眠れなくなった。
寝てる場合じゃないのに、仕事しないといけないのに、明日の午後一で上司に見せる資料を作らなきゃいけないのに・・・と考えながら泣き疲れて寝た朝、体が動かなかった。自分でもびっくりした。 憂鬱な日の朝とか、心臓が重くなったりすることはずっと前からたまにあったけど、その日はもう無理だと思った。打ち合わせも、提出すべき資料もあったけどとにかく無理で、体調不良とか貧血とかそういう理由も言わずにただ『今日は本当に体が動かなくて無理なので休ませて下さいごめんなさい』とチームにチャットを送っていた。この時は自分でもめちゃめちゃパニックだった。
ていうかnoteって文字数制限ないのかな(突然の疑問)
今まで、寝坊したから貧血ってことにして午前半休しちゃお(最低)みたいな事はやらかしたこともあったけど、電車で貧血起こしても会社には必ず行ったのにそれがショックだった。
私どうしちゃったんだろうと、思った(マジで) 
それが3月の中旬くらいで、その後ちょうど上司と面談があったのでいつもはなんも変わりません大丈夫ですって言うけど言えなくて辛いって言った、上司は言ってくれてありがとうって言った、その言葉に私は会議室A(ガラス張りでスケスケ)で爆泣きした その辺りには、優しいフォロワー等から心療内科の通院を進められて楽になりたいと思ったから行こうかなって思うようになった けど
仕事してない時は元気だし、私はまだ大丈夫なんじゃないかなと思って迷ったりしていたあと、
ツイッターに仕事(;〰;)ツラタンと書くのと実際の上司に言うのはやっぱり全然違くて、言わなきゃ良かったかな、やりにくくなったかなってちょっと悩んだ
4月、繁忙期に入って私は死んだ
コロナの影響で在宅勤務になったけど、
皆の前で叱責されることも辛いけど
ひとりぼっちの部屋で電話越しで叱責されるのも
辛いなあと思った
ツイッターしててもひとりぼっちだなって思ったなんかポエムみたいになってきたけどまあいっか
お母さんが都内のコロナの事で心配して、
栄養あるものちゃんと食べるんだよ!とか連絡くれたけどなんでこんなポンコツな娘を心配するんだろうってずっと思ってて返事を返せなかった
会社と提携してるクリニックはコロナで行けなそうだったので家の近くのメンタルクリニックに行った、緊張したけどお酒は悪い睡眠薬だよと言われたので安定剤と睡眠薬を貰った 帰り道に聴いたSCHOOL GIRL FANTASYは春の匂いがして泣いた午後から仕事をしたけど上司にメンタルクリニック云々の話をメールしたりしてたら落ち込んできた 私ダメダメじゃん、なんも出来ないのに上司に迷惑掛けてるじゃんって思った その日はロクに働けずに終わった そんな日が2週間くらい続いた 
相変わらず仕事は忙しかったし在宅勤務って嘘つき放題だから朝9時に在宅勤務開始しますって言って20時に終了しますって連絡しても終電があるわけでもないから普通に毎日余裕で日付は超えてた、睡眠導入剤みたいなの貰ったけど寝るのが遅すぎたので午前中起きれなくて午前半休する日が増えていった さすがにまずいなとおもっていた 
2週間後に同じ近所のメンタルクリニックに行ったらコロナの対策で扉全開でお医者さんとの距離が最終面接くらいでバチバチに緊張した(ここは笑うところ)最終面接はコロナのせいで2分で終わり同じ薬を1ヶ月ドカンと出された ここのクリニックはやめようと思った 
優しいフォロワーが行ってる有名なメンタルクリニックに行った 人事部は電車に乗るなと言ったが会社には行かせるのに意味わかんね〜と思ったので電車で行った、何かお医者さんに今まで上に書いてきたことをつらつら話した そしたら薬飲みながら頑張って仕事するんじゃなくて ゆっくり仕事から離れる時間も大事だよ 診断書かくから会社に出しなさいと言ってくれた ぐう正論だった
心療内科のお医者さんも看護師さんもみんな優しかった、よく来てくれましたねって感じだった フォロワーくらい優しいと思った
診断書の値段と診察代は優しくなかった
血を抜かれたり木の絵を書かされた 
この前2回目の診察とその絵と血抜きの結果を
教えてもらったけど木の絵書くやつは上司からの圧がヤバいって書いてあって思わず笑った
血抜きの結果はマジで超健康だった
ありがとう肝臓 酒は飲みすぎないようにするな 
診断書を会社に出した 休職することになった 
つらつら書いて思ったけどマジで一文でまとまったじゃんウケる 多分これもう2時間くらい書いてる気がする 今度ツイッターライブで読み上げるか  
診断書出して休職扱いになったが、普通にまだ繁忙期の延長線上なので仕事をするしかない
メンヘラみたいに仕事から離れらんない
まあメンヘラだけどさ ウケる  
昨日、お母さんに今の状態を話した
お姉ちゃんからも連絡があったので
駅まで向かう5分と電車待ちの5分で話した 
前に電話したときから様子がおかしいと思って心配してたんだよとお母さんは言った 私は何だかどうしていいか分からなくてうーん、となんでもない様な声を出した、けど何だかあったかくて私のお母さんだと思った いつか私も娘が出来たら気付いてあげたいなと思った お母さんに言うことはただ心配させるだけだと思った ただ心配させちゃっただけなのは変わらないかもしれないけれど、でも辛い時に辛いって言うことってすごく大事だと思った 在り来りだけど 絶対に救われる
自己肯定感は仕事でしかあげられないと思ってた都内の一等地で仕事をしている自分という事にしか価値が感じられなかった、最近は それが美徳だと思ってたけど そうじゃないのかもしれないなって思って何だか今日は嬉しい気持ちになった 
休職中にお母さんとおばあちゃんに羊毛フェルトでなにか作ろう 作りかけだったやつ なんかそんな気持ちがある 明日からみんな仕事してるのに私はって思ってしまいそうなのが怖いけど今日の気持ちは大切にしてゆっくり休めたらいいなと思ったもう2時半だ、睡眠薬増やしてもらったけど多分また夜が明けちゃうだろうな まあいっか 
日付変わっちゃったけど1年前の今日も
私にとって大事な日だったな 来年また今日のこと思い出すのかなっておもった 終わり




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