メガネを外して


私は小学校高学年頃から徐々に視力が悪くなった。

世界がだんだんと、ぼやけてきた。

机に向かって絵を描いたからか、部屋のすみでSNSをしていたから、6年間硬筆習字を習っていたからか、親の遺伝子からか、さまざまな事項が重なったのだろう。

いまでもPC中心の仕事で、しかもインターネットが大好きだから、少しずつ視力が落ちている気がする。

そんなこんなで視力は0.1もない。コンタクトレンズとメガネがなければ生きていけないレベルだ。

視力が悪いひとには伝わるだろうが、ピントの合わないぼやけた世界を歩くのはかなり危険である。視力が良いひとにもぜひ想像してほしい。ものの輪郭がはっきり見えず、他人の顔もろくに認識できず、遠くにある文字は基本読めない。

けれど、そんなぼやけた世界が意外にもたいせつな気がする。

たまにはぼやけた世界を歩くべきでないかと思った。


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なぜならこの世界は、あまりにもはっきりと見えすぎているからだ。

はっきりと見えすぎた世界は、他人の目がはっきり見えてしまう。この人はあちらを見ていると安心するが、こっちを見ているとなんだか恥ずかしい。自分は変じゃないか、間違っていないか、余計なことばかりをグルグル考えてしまう。

あの言葉も、もしかして私に向けているのではないか。はっきりと見えすぎてしまって、私が歩きたい道を歩けない。


ぼやけた世界というのは、他人がこちらに目を向けているのかよく分からない。言葉もよく見えない。

なにも気にせず、私は私の好きな道を歩くことができる。よく見えないからこそ、進んでみないと分からないワクワク感が生まれる。

だからこそ、なにかにぶつかってしまうのは当然である。けれどなにかにぶつかってしまったら、そのときにはじめてメガネをかけたらいいんじゃないかと思う。

メガネをかけるということは、なににぶつかったのか、その理由をはっきり知るということだ。なぜぶつかってしまったのか、じゃあどうすればぶつからずに済んだのか、ピントを合わせることによってしっかり考えることができる。

もちろんそのメガネは、自分にあったメガネじゃないとだめだ。

度数がゆるいと、あまり変化が分からない。度数が強すぎると、頭が痛くなる。視力検査をおこなって自分の度数を知ることで、自分のメガネが完成する。

あまりにも情報が多くて疲れるのなら、いま一度視力検査をおこない、もう少しぼやけたピントで過ごそう。

あまりにも情報が少なくてもっと勉強したいのなら、いま一度視力検査をおこない、もう少しピントをはっきりさせてみよう。

自分にどれだけ情報がほしいのか。自分はどこが居心地を感じているか。


疲れてしまったならば、メガネを外せばいいだけだ。

うるさい人の目も、トゲのある言葉も、ぼかしてしまえ。

そんな世界は悪くない。そんなぼやけた世界こそ自分が大いに前進できる。視力が悪い私が、メガネを外して道のすみを歩いたときに、ふと思ったことだ。



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