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夏にかけての景色


どうやら1年前の今日はまだ20歳だったらしい。

20歳なんぞもう4,5年前の話な気がする。平成最後の20歳であったし、令和最初の20歳だった私たち。1年前に令和にになったことが嘘のようだ。

それくらい世の中のスピードが凄まじい。

1年前の記憶がかなりぼんやりしていたので、情けないがスマホのカメラロールを開いてみた。


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4月。平成最後だし、20歳だし、どこかに行ってリフレッシュしたいと思い、夜行バスに乗って富山へ行ったことを思い出した。

三列シートのカーテン付きの席。対して長くない道のりなのに、抱いていた緊張感と寝心地の相性がどうもよろしくなかった。ような気がする。午前6時、富山駅に着いた瞬間に朝風呂に飛び込んだ。銭湯とは別館の場所に入ってしまいホテルの受付の人を困らせた。ような気がする。


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快晴のもとに咲く美しい桜並木、壮大にひろがる立山連峰、水辺に映えるスターバックス、一面ガラス張りの開放感あふれる富山県美術館、それらの富山の街並みにぐっと息を飲んだ。

私が行きたいと信じた場所が、美しくないわけないか。


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富山県美術館の屋上には公園がある。いますぐタイムスリップして5歳になりたい。子どものころってなぜか上に登りたがるよね。なんでだろう?背丈が小さいから?でもね、大人もじゅうぶん小さいんだって。

遊んでいた子どもたちの顔がとてもすこやかだった。天井にバリアがないからどんな声も空に響きわたる。柵はあるから思い切り走り回る。そんな端っこにポツリと立つ私。ただの休日。春。快晴。これが生きるということなのかもしれない。


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5月。高校の後輩と沙弥島に行ったことも思い出した。ちょうど瀬戸内国際芸術祭の春会期が行われていたころ。島と付いているが現在の沙弥島は陸続きになっている場所だ。

人間は簡単に海を埋めたがる。ものをつくるってなんだろう。沙弥島から見た淡い瀬戸内海と、不思議に置かれるアート作品を思い浮かべた。


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アートは好きだが分からんもんは分からぬ。でも時折涙がぽろりと出てくるアートもある。時折涙がでるくらいでいいかな。全ての作品を理解しようとするとドッと疲れるぞ。いろんな人間がいるように、作品にもいろんな顔があるからね。

好きなものだけ、息を合わせればいい。


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夏にかけてのワンピース。今年の春は活躍してないな。けれどTシャツにゆるいズボンのほうが好き。無理しておしゃれなんてしなくていい。背の高いヒールは脚を痛めて歩きにくいように、衝動買いの下着は胸を締め付けしまうように、いつも可愛いを保つのは、意外と可愛くなかったりする。


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6月。社員旅行で北海道に行ったことを思い出した。とにかく飲んで食べてを繰り返し、美味しい料理とお酒に頭を下げた。

タクシーでモエレ沼公園に行ったことも思い出した。4月に行ったあの屋上の公園の100倍の広さだろう。テキトーなことは言えないな。歩いても歩いても景色が変わらない。


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北海道のたった一部しか回っていないのにも関わらず、北海道の広大さを知った。これもまたテキトーなこと言えないな。もっと東に行ってから、広大さを知ろうか。北海道に行けたのも会社の利益があったからだ。1年後に売上が嘘のように下がることを、あの頃は全く想像していなかったと思う。


この一週間後に長崎へ行ったことも思い出した。ハウステンボスで大好きなバンドの野外フェスがあった。かなり前からチケットを取っていたので、偶然にも北海道の次の週に長崎へ行くということになってしまったのだ。


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今年このフェスは行われない。ウイルスのせいではなく、単純に今年開催するのは難しいと2月くらいに主催のバンドが言っていた。田舎町のご近所付き合いは大変だそう。続けるって難しい。ハウステンボスに吹く風を回す大きな風車を眺めながら、たらふくビールを飲みたい。

先週タクシーで行ったあの公園とハウステンボスはどっちが広いんだろう。そんな簡単にググったりするもんか。どっちが広いんだろうと想像する時間が楽しいのだ。


どれだけ外出自粛が緩和されても、最後の最後まで自粛要請されるのは「大型イベント」ではないだろうか。たかぁい天井、ひろぉい大地、そんな公園でも開催は厳しいかな。


春から夏にかけての景色がいちばん好きだ。いつもならどこか旅へ出かけている。日常にまほろばを求めに行く。それが生きがいの一部なんだ。



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