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音楽のサイズの話(物理的な)

音楽のサイズについて考えてみた。
「音楽のサイズ」というと一般的(業界的?)には「尺」、すなわち楽曲の長さについてを指す。
だが今回考えてみたいのはそのことではなく、物理的な「サイズ」のこと。
空間的な広さ、物理的な距離、の話である。
なかなか興味深かったので、ちょっと文字にして残しておきたい。

きっかけはこんな話を聞いたところから。
テレビやラジオ、イベントなど多岐にわたってスーパーな活躍をされているお笑いコンビが、次に新しく武道館でのライブへ挑戦するという話。
キングコングというコンビである。
話はその武道館ライブを目前に控えたタイミング。
梶原さんの
「武道館だとさ、やっぱ普段こうして(普通の部屋でマイクなしで)喋ってる感じでやるのは難しいんかな〜?緊張するわ〜」
という趣旨の発言。
それに対して相方である西野さんは
「それはもう全っ然違う」
と返した。
西野さんは既にかなり大きな会場でのイベントを何本もやったことがあり体感としてリアルに色々よくわかっているのだろう。
西野さんの話は続き、「こうやって普通の部屋でただ並んで喋る時の距離感と、武道館でライブする時の距離感は全然違う」というのである。

そこからは具体例が出てくる。

例えばラジオ。
ラジオといえば、リスナーとの距離がとても近いメディアとして知られている。
深夜に一人ベッドの中で聴いたり、ドライブ中に一人きいたり、イヤホンでパーソナリティーの声に耳を傾ける。そんなメディアである。
では喋る側はどうしているのか?
パッとラジオ収録の現場をイメージしてみてほしい。
なんとなーーく、狭いスタジオに椅子と机があって、二人が向き合っていて、間にマイクがあって…。
そんな環境をイメージするのではないだろうか。
そう、ラジオ収録の現場というのはとても狭いのである。
たまに大御所タレントがラジオをやる際に、かなり大きなスタジオを抑える時があるという。
それでも、机の周りにわざわざ衝立を置き、せっかくの広い部屋を区切り、狭いスペースを無理やり作るのだという。

同じラジオでも、対して公開収録というものがある。
ご存知の通りこれはちょっとしたイベント、ライブのようなもので、実際にパーソナリティの前にはたくさんのお客さんがいてライブでお客さんとやりとりしているものを録音し、それをそのままラジオの電波に乗せて流すというもの。
話は続きキングコングの西野さんは、ラジオが公開収録だとリスナーが置いてけぼりになる、という。
一つはシンプルに場所が共有されていないから、その場の空気感とか流れてる時間、雰囲気というのが伝わらず、なんとなーーくリスナーは疎外感を感じるから。
もう一つは、会場の規模がでかいから芸人さんは声を張る。
ライブ仕様の発声になるわけである(生で聞いたことのある方はわかると思うけれど、こういう時の芸人さんってびっくりするくらい通る声で、ありえないくらい音量がでかい)。
そうすると、その場にいる全員の心を射抜くことができる反面、寝室で一人イヤホンで聞いている人からすると、「おいおい俺のテンションとあってねーよ…」というふうに感じてしまうのだという。
確かに、巨大なアリーナでの「どうも〜〜!盛り上がってるか〜〜〜!」的なMCには、どうしたって物理的な距離を感じる。
テンションはめっちゃ上がるけど。
それは喋る側が「東京ドームのサイズ」で声を発してしているからなのだ、と。
いやめっちゃわかる。

何が言いたいかというと、声というメディアはかなり露骨に距離感ないしテンションが伝わってしまう、ということ。
そしてその距離感が受け手と喋り手でずれていると、どうしても受け手側はしゃべり手側にうまく共感しづらい、ということがありそうだな、という話。

例えば深夜に一人寝室でイヤホンで行くことを想定しているなら、喋る側も、暗くて狭い部屋で少人数でしゃべっていたほうがよりダイレクトにしゃべり手側の思いやポロッと吐露する感情でリスナーの心を共振させやすい。
(実際にキングコングさんたちは昔ラジオでそうしていたとのこと。)

対して、ひろーーーーい会場で、巨大なスピーカーから爆裂大音量で数千人に聞かせるようなものを想定をしている場合、それに近い広さのスタジオで、遥か遠くにいる人間の心も刺せるくらいのパワーで喋らないと、はっきり言って全く届かない言葉になってしまうこともある
(まあそれでもボソボソ喋るキャラ設定も最近は多い気がするけれど)(その場合にしてもギャップを作るキャラ設定の時点で会場の広さは逆説的に意識されているように思う)。

そういうわけで武道館ライブとラジオの収録の部屋のサイズの違いによるリスナー側への届き方の違いについてキングコングのお二人は話されていたわけだ。
そして、これはもしかしたら音楽も同じなのかも?と僕は思ったのである。

例えばイヤホンで聞いてもらうための楽曲は、近くて優しくて柔らかい方が届くのかもしれないし、野外のスタジアムで聞くならそうじゃない方がいいかもしれない。
この話を通して初めて、僕は音楽の規模、サイズ、物理的な大きさというものを初めて認識したのだ。

確かに、以前僕の大好きなBruno Marsのアルバム「24K Magic」が発表された際、界隈での多くの反応は、「あれ〜〜?なんかどうなの…?」というものだったと記憶している。
で、どなたかお名前は忘れてしまったが(ごめんなさい)著名なミュージシャンの方が、「そう思うのはわかるけど、これは巨大なスピーカーで野外で聞いたときに最高にアガる音だよ、だからその時を楽しみにしていよう」というような趣旨の発言をされていた。
あーそんなこともあるんか〜と、当時はその程度にしか認識できていなかったけれど、実際に巨大なスタジアムやライブ会場でのパフォーマンスを見ると、ああ確かに、これは巨大なダンスフロアで流す前提で計算された音なんだな、ということを強烈に実感したものだった。
イヤホンで聞いてもイマイチピンとこないけど、巨大な箱で巨大な音量できくとまあ映える映える。
ちょーーーーかっこよかった。

反対に、コロナ禍で自宅で一人音楽を楽しんだり、いいヘッドホンで音を聞いたり、もしくはストリーミング時代で基本的に音楽は全部イヤホンで聴きます〜という流れの世界では、どちらかというと広い空間で録音された声や音楽はイマイチしっくりハマらないのかもしれない(かもしれない、ね)。
それよりももっと密室的な環境で録音された、囁くような気だるい声の方が共感を呼んでいるのかも、と。
現にベッドルームポップスのこの盛り上がりは(もちろんシンプルに機材の普及ってのはあるだろうが)、そういう僕ら受け手側の聞く環境の変化、聞く時の気持ちの変化というのも大きな要因なのかもしれないなあと思ったわけである。
聞き手側が、音楽をどのくらいの距離に置いているか、という。

とても興味深い話なのであった。
歌い手側としては「広い空間を意識して!」なんて言われることもよくある。
確かにより広い空間を制圧できた方が、より多くの人間の心に刺さるわけだ。これは僕も体感としてよくわかる。
けれど、今の時代(まあ随分前からそうだけど)、必ずしも聞いてる人が複数いるとも限らないわけだ。
ひとり静かに音楽にふと耳を傾ける、そのくらいの距離で音楽を楽しむ人も増えていると思う。
だとしたら、少なくとも録音をする際には「広い空間を意識して!」歌う必要はないわけだ。
それよりも、狭い四畳半の部屋にいる大切な人に届くようにそっと歌う方が、遥かに心の琴線に触れることがあるってことだ。
シンガーの端くれとして、あ〜なるほどなあ〜、と思ったわけよ。

で話は自分の曲に移る。
僕のこれまでの曲にはそのどちらもが混ざっている。
明らかにベッドルームポップス的な、隣にいる人に向けて録音しようと作った歌(まあ実際に隣に誰かがいるわけじゃないけどね…)もあれば、日暮れのフジロックのメインステージで歌うんだーー!と思って作った曲もある。
その両者の「サイズ」にはかなりの開きがある。

これまでは自分で聞き直すたびに、小さいサイズの曲の方がなんか聞いててしっくりくるな〜という印象だったけれど、初のライブを前にスタジオでリハをすると、これがまた全く違う印象になっていたりするのだ。
やっぱりイヤホンで聴くのと、実際に広いとこで聞くのは違う。

ついに今度ライブハウスで演奏ができる。
そこまで大きな箱ではないけれど、イヤホンよりは距離が出せる。
規模の大きな場所を描いて作った歌が、ようやく映えてくるのかも、と思うと正直ワクワクが止まらない。
この先、ライブハウスよりも大きな空間をイメージして録音したものを、リアルなその規模で演奏できる日がきたら最高だろうな〜〜〜〜〜。
楽しみだな〜〜〜〜〜〜。

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