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時代

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。

別にnoteの皆さんを持ち上げる気はない
けども

noteの投稿クオリティーは
比較的どのSNS媒体よりも高いと思う

昔、出会い系サイトで
只管日記を書いていた

そのサイト内では日記にランキングがあって
いつも書けば1位を総なめしていた

だけど、時々俺より古くからいる人が
日記を書けばびっくりするくらいの
いいねがついていた

正直、嫉妬したかな(笑)
何故かと言えば、面白くない記事なのに
何故だろう?というものだった

まぁ妬みか(笑)
そんな気分は俺にはきちんとある。

出会い系サイトで日記を書いていた時に
思ったのは

俺の記事ってクオリティー高くね?
でもまぁ
所詮出会い系サイトだからなぁ
と思っていたけど

noteで書き始めたら
やっぱり評価いいじゃないか?と思った

その延長線上にいるのが
Instagramのような気がしている

何が違うかといえば
そもそもの参加者数が桁違い

迷いが生じなければ
フォロワー数は1月に1000はいくことは
確定路線だろうから
今年にはそこそこのものになりそうだ

よく、記事を書けないとかネタがないとか
そういうのをここnoteでもみかけるけど

SNSってそうだっけ?と
最近強く思う事がある
そこかずれている感覚

別に記事を書かなくても
いいねやスキは押せるわけで
投稿するだけがすべてではない

もっと言えば
参加しない時期も含めてSNSのような
そんな気がしなくもない

書けなかった想いに
書きたくなった想い

そこに心があるならば
その投稿は誰かの心に届くものになる

それに比して
毎日心のこもっていない
どうでもいい記事をあげて
お礼してお礼されてそこに
コミュニティーをみつけることで
安心感を憶える人は多いけど

それって正解なのだろうか?

だけど殆ど多くの人が
取り繕われた常識に抗うこともせず
その範囲の中で小さく暴れている

大切なのは自分本位で
誰かを傷つけなければいいだけで
自らの変態性をアピールしても
俺はいいと思うけどね

そう。人は皆、変態だ。

例えば、グロテスクなホラー映画が
本当は物凄く好きだけど
それを言えば引かれるかもしれない

別に、それが好きだからといって
グロテスクな殺人を
犯すわけではないだろう

アダルトビデオで痴漢ものを視聴したら
罪になるのだろうか?
俺は痴漢をするのだろうか?

震災に備えたリュックを買ったときに
結構なサバイバルナイフを買った。
略奪者はぶっころす用だ(笑)

けど、平和なこのときに
それはふすまの奥のリュックの中
しまわれたまま陽の目をみることはない

サバイバルナイフをもつということは
危険思考だから
もってはいけないと諭そうとする世論

本音と建て前の乖離が著しい時代は
想像力が欠如する

名誉のために書いておくけど
ホラーものは俺は好きではない
痴漢ものはよく見る。
サバイバルナイフは本当だ(笑)

別に取り繕う必要を憶えない
嫌うならば嫌えばいい。
だけどだからこそあなたの変態性にも
俺は嫌悪感を憶える事はない

多様性って本来そうやって
つくられていくものだと思う

SNSの使い方は人それぞれだけど
きっと心を解放する使い方をする人が
楽しめるように出来ている気がするな

そういう時代なんだよ。

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