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明るい塗り絵

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。

小学2年生で初めた
サッカークラブは仲の良かった友達が
通っていたから
親に無理にいって通わせてもらった

友達のニックネームはトマト
寒かったり興奮するとトマトより
色彩豊かな赤い顔になる。

だけど、練習は凄くきつくて
彼はすぐにやめてしまった

哀しかったけど
親の手前直ぐにやめられない

キーパー候補として
育てられることになった

ある日、マラソンとダッシュ
パス練が終わるとコーチに呼ばれて

コーチは俺の前でまるまって

飛べと。

何をいっているのかわからないでいると
恐怖心を克服するためだけに
コーチの上を横跳びをしろと

やらないとげんこつとビンタが
飛んできた。

擦り傷は耐えることはなかった
ずっと練習に行きたくなかったけど
1軍でキーパーの地位は得た
と思っていたら

4年生の時に近くのチームと
合併した際に、キーパーを追われて
3軍に落とされた。

理不尽な理由は
noteにも書いたことはある。

親父は理不尽の理由を知っていたから
やめちまえと憤慨してくれたけど

ここで辞めたら負けじゃないか
と俺が言ったとか。
その言葉が息子に対する
過剰期待に繋がってしまい

親父の無理なプレッシャーに
最期は仲違いしたまま親父は逝った

小さなサッカークラブでさえ
自分の子供をレギュラーにしたいから
大人たちは結託して
生傷の絶えないほど泣きながら
練習していたのに・・・と

恨みに思うことはあまりなかった

練習は毎日あったけど
練習のない日は公園で
ラジオ体操終わりから暗くなるまで
おにぎりを作ってもらって
昼に帰ることもなく
リフティングをしつづけた

6年生の時には1軍に戻れた

そうさ。

結局実力がつけば覆らない
人より頑張ればいいだけだ
なんて高尚な想いはなかった

もっとシンプルに阿呆だったんだよ(笑)

なんとかつま先で100回
ボールを落とさずにつけることに
熱中しただけ

それが200回になり300回になり。
399回でボールを落としたときは
かなり悔しい想いをした(笑)
その悔しさは理不尽なことをされた
悔しさより尊いもののように今は思う

昔から塗り絵は好きだったんだよ
それはどんなものでもね。

そりゃ、画家として
世界から歓迎される
そんな自分になれたらいいなって思うよ。

でもね

リフティングと変わらない。
あと、1回でも多くボールを突きたい
少しでも笑顔が欲しい。

知名度を上げたいとか
お金を稼ぎたいとか
そういうことはなくはないけども

誰か1人でもこの一瞬だけ
ちょっと笑顔になってくれたら嬉しい
リフティングに近いかな
その数が100人になり、399人なら
あと1人とやっきになるかもね(笑)

子供のころはカラーだったものが
大人になると灰色に変わっていく
あるいは色あせていくというのかな

明るい色が好きなんだよ
自分と似たテイストの絵の人は
基本暗い感じがする(笑)

結局毎日悲しいニュースは訪れるけど
与えられた難しいお題に
塗り絵をするようなものだ

難しいお題ほど
映えてくれる気がするよ。

いつか、命が尽きるその時まで
明るい色合いを塗り続ける
そんな人でありたいと願う

わざわざ暗い色を使うこともない
明るい塗り絵が好きなんだよ

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