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101回目のnote

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。

昨日の夜池袋の現場
単なるトイレ詰まりだと思ったのもある

仲間が体調不良だったのもある

独りでいってみると
階下漏水をしたあとで
便器横にある掃除口はなく

便器を外すしかない
正直、馴れというものが
どうしても俺にはこないんだよ

1つの事に集中しているとき
それ以外のことはおざなりになるから
便器を外して、つまりを抜くことに
集中しすぎると
便器を外していることを
忘れるわけにいかない

空間把握能力がないのか
あるいは、インスタにはまれば
noteのお礼まわりがなくなるように

雑な性分だったりもする

まぁ仕事として
便器を外していることを
忘れるわけにはいかないから

集中力にセーブがかかっている状態で
集中しないといけないとき
疲労困憊度合いが凄い

多分、他の人にはわけなくできることが
俺にはしんどいことは多い
それでも優れている人にみられることも
結構ある

所詮は一長一短でしかない生き方
無事解決して、便器を戻すと
日がとっくにかわっていた

3時間もいたかな?と思ったところで
時刻は嘘をつくわけではない

インスタは制限にならないように
人の投稿物をみて3時間に一度
100近いいいねをつける

お礼のフォローを期待しているところが
正直多いから
フォローを返してくれそうな人には
多めにいいねをする

作品の良し悪しではなくて
着眼点はそこなんだ

年内には3800を超えて
明けて数日たった今3950前かな
4000までなかなか進まない

結構戸惑いがある。
いいねをずっとくれているのに
返さないでいることで
迷いが俺のインスタの成長を鈍らせる
突如お礼をしに
既存フォロワーさんをまわったり

仕事をしているために
ルーチンワークがこなせていない
だから現場近くで一人寒い中
温かいコーヒーを買って
地面にすわりこんで

いいね徘徊をしたのは夜中2時

何をしているのかな?俺
と不意に乾いた笑が込み上げてきて

夢なんかみなければ
楽なのにな

そんなことをふと考えた

どれほど、絵をいいといってくれたって
誰かが代わりに走ってくれるわけではない

少しセンチメンタルな気分を
冷たい風が愛撫する

それでも走ろうという意思は
揺るがなかった

ねぇここnoteにいるからには
皆、それなりに何か書くでしょう?

例えば100の記事を書いて
凄く読ませるようになる人と
相変わらずの人がいる

どちらがいいとかわるいとか
そういうことではなくて

意思がいると思うんだ。

ただ日常をそのまま綴る
エッセイでは101回目の記事もかわらない

だけども
走ろうと思ったとき
言い換えれば少しでも気持ちを
伝えるようにするには
どうしたらいいのかな?
と常に考え続けた101回目の記事は

きっと人の心を打つようになっている

一昨日、昨日、今日、明日、明後日
日常は繰り返されるしたいして
変わることはない

寿命が尽きるその時まで
逃げ切れる人生を逆算する人は多い

一昔前ならそれでいいと思っていた
けど、どうも都市伝説ではないけども
節目が変わったのは確信している今がある

正しいか間違いだったかは
結果でしかない
自分がどうなりたいのか

自分の旗を掲げないと
今からの時代はしんどいことになる
そんな気がしているんだ。

101回目のnoteは
多くの人の心を掴む
そうなるように生きていく。

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