誹謗中傷者の末路
きゃらをのnoteでの有料記事は売れに売れた。連続して空想話を書けることが一つの強みになったようだ。
1話だけでは信憑性がない、だいたい2日に1つは新しい空想話を生み出し続けた彼の才覚は徐々にだが確実に認知されはじめたのである。
きゃらをはnoteで記事が売れると、調子に乗りボールペンで絵画も描き始めた。それも絶賛されるに至り、彼は態度がどんどん横柄になっていった。
Instagramやtwitterなどで、繋がったメンバーにきゃらをは絵画の販売を持ちかけ始めた。
「買わなくてもいいけど、わかってるよね?俺は今やnoteでは売れっ子の作家だし、画家だからね。その俺の好意を踏みにじるってないよね。君の事悪く書いちゃおうかな~」
嫌なやつだが、絵画も5000円くらいだ、既にnoteが楽しくなっている参加者にとって余計なトラブルに巻き込まれたくないと思う人は多くい。
泣き寝入りしてしぶしぶ買う人は後を絶たなかった。それにきゃらをは買うまで執拗にDMをしてくる。ブロックしたいが・・したら何を書かれるか・・・そんな禍々しい狂気がきゃらをにはあった。
また、ある日、きゃらをは気づいたのである。
俺のnoteは笑えるのだから、笑えるってことは人の身体を心から元気にするよな。となると俺にはもしかしたら不思議な力が備わっているのかもしれないな。
そのことをnoteの記事で書き始めた。心の機微がわかりそうな人だからと記事を読んでいた人達は、突如、胡散臭いものに変貌していくきゃらをの記事に戸惑った。
それでも交流がある人達はなんとなくスキだけは押していたので、きゃらをは全く意に介さなかった。
やがて、人生観、価値観を語り始めたかと思えば、幸せになる壷を販売し始めた。いわゆる霊感商法に手をそめたのである。
スマホを固定にしてセルフ撮影に切り替え、胡坐をかいて何とかその態勢で飛び、奇跡の一枚を演出した。空中に浮けることを主張し、髭を必要以上に伸ばして貫禄を出し始めた。
この頃になるときゃらをは、わけのわからないサークルに積極的に参加するようになった。そんなきゃらをの名前の後ろには「フォロバ100」がつき始めた。
交流のあった仲間達は、そんな変わり果てていくきゃらをの姿を見かねて本気で怒ってくれる人もいたが、有料記事は売れているので、文句を言ってくる人達を、きゃらをは片っ端からブロックしていった。
これでもう文句をいう人はいない。
徐々にではあるが、きゃらをのnoteの売り上げが下がりはじめた、すると、さすがにきゃらをも考えた。
もしかしたら他に有料記事を書いてる人が増えたから、俺の記事を買わなくなったんじゃないか?
どうするべきか考えた末に、きゃらをは面白い記事を書くことよりも、売れている記事を書いている人を別垢を作り誹謗中傷しはじめたのだ。
既に殆ど友達もいなくなっていたが、ここは優しいクリエイターさんの集まるnoteの世界、全く知らない他人のきゃらをに対してさえ、的確にアドバイスをくれる人もいた。
しかし、そんなお節介な人を鬱陶しく思い。即時ブロックを繰り返し、売れているライターに対するきゃらをの誹謗中傷はとまらない。
「この女は旦那さんがいるのに、他の男をさがしていますよー」
根拠のない罵詈雑言を平気で浴びせつづけたが、いつからか、きゃらを専用スレッドが別のサイトで立ち上がり、noteの問題児として投稿が多く寄せられていた。
そうはいいながらも、714番716番はきゃらを本人だった。人を蹴落とすことに必死になっていたが、ある日弁護士から通知が届き、アカウントを消したが時すでに遅かった。
かつて誹謗中傷した人に訴えられて逮捕されたのだった。それから数ヶ月過ぎたとき、きゃらをを思い出す者もいなかった。
風の噂では
高層ビルの高所に架けられた細い棒を渡るゲームに参加したのち消息が途絶えたそうだ。
人生とはどこで狂うかはわからないものだな
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