介護現場の今

はじめに

とあるメディアで、新型コロナウィルス感染症によって影響を受けている社会的弱者の声を可視化するというプロジェクトがあった。「映像を通じて、社会の中で潜在化している課題に光を当てることで、少しでもより良い社会にすることを目的とする」という趣旨に大変感銘を受け、ぜひ参加したいと思った。
テーマとして求められていたのは、シングルマザーや外国人労働者、DV被害者など、まさに社会的弱者と言われる人々のドキュメンタリーだった。ありがたいことに、私の周りにはそんな状況に追い詰められている友人、知人はいない。
それでも何かしら関わりたくて無い知恵を振り絞ったところ、昔の知人が福祉関係の仕事に就いていたことを思い出し、細い糸を手繰って連絡を取ってみた。それが、元屋あい子さん(仮名)を取材したきっかけだ。


コロナ禍以前の問題が浮き彫りに

約19年間、台東区で介助職員として働く元屋あい子さんに話を聞いた。

2011年東日本大震災の原発事故当時、担当していた利用者さんの中に24時間要介護の方がいたため、3歳の娘とご主人を郷里の熊本に避難させ、自身は単身赴任の道を選んで現在に至る。
なぜ、家族と別れてまで介護の仕事を選んだのだろうか。
「これは他人事ではないから。もし自分が介護される立場だったら。そう考えると、利用者さんを放ってはおけなかった」と言う。

現在の介護保険の生活援助(洗濯・掃除・調理・買い物など)における1回の時間区分は45分。その45分では依頼された仕事をこなすだけのシステマチックな介護にならざるを得ないのが現状だ。利用者が人間らしく生きるためのコミュニケーションはほとんど取る時間がない。今回のように病院を回る時間も介護保険の範囲では賄えず、超過した時間はサービス残業になることも多かったという。このような人の善意とやりがいだけに頼るのは限界があるのではないだろうか。


なぜ介護職は慢性的な人手不足なのだろうか。どうして離職率が高いと言われるのだろうか。
元屋さんは「もっと利用者さんと長く接すると、やりがいや楽しさ、仕事の意義を感じられる。長く続けることができないのは、労働条件だろう」と話す。低賃金で労力に見合わない、仕事が見つからなくて仕方なく就く仕事と思われがちだと肩を落とす。
「人的ゆとりがあれば、もっと行き届いたサービスができるのに。もう少し給料が高ければ、人も集まる。休みも取ることができる。身体的にも生活的にも、そして心情的にもあと少しのゆとりがほしい。それがサービス向上にも繋がるだろう」と続ける。

もし自分や家族に介護が必要になったとき、限られた時間で、限られた最低限のサービスで我慢しろと言われてもいいのだろうか。この問題は近い将来の自分たちの身にも関わる問題だと、元屋さんは訴える。

介護職とは社会の運用に欠かすことのできない職業でありながら、社会の関心が弱い。
決して他人事ではなく、介護現場の抱える問題は、近い将来の自分事なのだ。

※結果的に、私の動画撮影技術がヘボすぎて、ドキュメンタリーへの採用はボツになったようだけれど(だって動画はド素人だもん!)、この現場の現状は伝えたい。そう思って、このnoteで数回に渡って記事を上げていきます。

(何回か続きます)


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