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公教育に関する私なりの答え

私は子どもが好きです。
子どもたちのより良い未来を考えた時に
決まって最後は『教育が大事!』という所にたどり着きます。

興味が湧き、
情報を集めるようになり
学び始めてから、

戦後の教育で日本はダメになった。
失われた日本語がある。
日本人の心を奪われた。

そんな事を見たり聞いたりして
ここ数年間は、公教育を根本から作り変えた方が良いと思ってきました。

数日前、ふと気付いたんです。

公教育に対する負の感情、
『それも偏見ではないか?』

そもそも学校の成り立ちを考えると、子どもたちに読み書きや計算を教えた、寺子屋に辿り着きます。
町民がボランティア同然で、読み書きや、そろばんを教える。
そうする事で、子どもたちが将来 家業を継ぐために必要な知識を身に付けるといった目的がありました。

公教育に発展し、その後の歴史の中で戦争など紆余曲折あったにしろ、根本的な考え方は、現在も同じ。
公教育があるから、私たちはこうして”文章を書く”と言う、文化的なエンターテイメントのnoteが成立しています。

公教育に寄せられている多くの批判的意見の中で、恐らく問題視されているのは、
「生き方」「在り方」「人間力」といった部分が公教育でカバーしきれていない点です。

では、学校の基礎ができた寺子屋の時代に、「生き方」や「人間力」を育んでいたものは、一体どんな学びだったのか?

今のように情報は簡単に手に入らず、科学も発展していなかった。
気象状況で飢餓や疫病に怯えた。
神様を信じる心や、自分の体を鍛え、自分の命を守る意識など、命と向きあっていた時代。

その頃の日本人が重んじていた精神的な基盤となるものは
恐らく「仏教」「儒教」や「武道」「武術」だったのではないのか?そう思ったのです。

私は、この気づきにハッと
目が覚めたような気分になりました。

根本的に、公教育が問題なのではなく
「学問と宗教」や、「学問と武道」のような
二軸で人間力を磨くことこそ、本来の教育なのではないか?

日本には宗教らしい宗教はないかもしれない。
でも、八百万の神様がいて
全ての物に感謝する意識が根付いているはず。
そうした「在り方」を武術に鍛錬する大人や、神様に手を合わせる親の姿から、自然と子どもたちが学び、そして大人を尊敬する。

親から子に伝えること
大人が背中を見せること

この重要性を忘れて、公教育だけを悪者にするのは、やはり偏った見方だと感じました。

『だから宗教を取り入れよう』とか
『スペリチュアルに生きよう』とかじゃなくて

「生き方」「在り方」を学び
真の意味で「人間力」を体得できる場所ができて、みんながバランスよく生きる。
公教育で知識を習得し、心を鍛える努力を武術や先人の言葉から学び、日々鍛錬する。

公教育はすでにあるので、
今の現代人に必要なのは
心の軸となるもの。

子どもにより良い未来を伝えていくために、
心の軸を親が持つ!
大人が「生き方」「在り方」を学び、軸を持つことが最優先!

そんな中でも、子どもへ絶大な影響力を持っているのは、『母親』です。

母親が子どもにかける言葉一つで、子どもたちの人生が大きく変わることは、もう十分過ぎるほど知っていますよね?

子どもと家族をよりよい未来へ導くため、
そして かけがえのない自分のために、
自分の心の軸を持てる学びをしましょう♪

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