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小樽の波止場
部屋の冷房をつけて最近読んでいたのは、『川瀬巴水探索』という本。川瀬巴水さんという大正頃に活躍された画家の絵について分析した本です。
川瀬巴水は「旅情詩人」とも言われ、日本中を旅して景色を描いた方。この本では巴水の絵に描かれた場所を根気強く特定し、記述した本です。
というのも巴水は、あっとわかるような名所をあまり残していません。どこにでもあるような、他の人が見落としてしまう風景を多く描いています。そんな「無名なる風景」を、絵に描かれた石などの細かい点に注目しながら特定するのです。
要するに、文化的レベルの高そうな特定班が本を書いたわけです。炎上しそうな一文でまとめてしまいました。
そんな本をゆるゆると読んでいると、『小樽の波止場』という絵に行き当たりました。この本で分析される絵はほとんどが関東(巴水がその辺の絵をよく描いていたからですが…)。そのため、「小樽」という地名を聞いて少し気分が高揚しました。行ったことがあったからです。
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夕闇の中、小さな波止場で海を見るふたり。
どうも巴水自身もお気に入りの一枚だったようです。
綺麗な絵と知った場所に喜んでページをめくると、驚くべきことが判明しました。
どうも小樽に行った時、この波止場の横を通っていたようなのです。
巴水が波止場を訪れたのは、1932(昭和7)年。当時の小樽には銀行が林立しかなり栄えていたことは、多くの人が知っているでしょう。小樽湾は船が所狭しと行きかう大変賑やかな場所だったようです。
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中央右端が小樽駅舎、そこから延びるのが中央通り
遡りますが、1909年(明治42年)の小樽。大分賑やかなのがわかります。巴水が行った当時は、もっと栄えていた事でしょう。
そんな栄えていた小樽を前にして、巴水の描いた絵はどこか寂しげです。大きな船の前で、海を眺めるふたり。小さな波止場。
この小さな波止場は、巴水が訪れた翌年、港の拓殖工事によって、姿を消したのでした。
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現在、この波止場は海の上にはありません。本によると、上の画像で赤いピンを立てたあたりに、描かれた波止場は位置していたそうです。
私が小樽に行ったのは、去年の3月初め。残雪どころか、冬真っただ中の小樽でした。
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一面雪で覆われた地面をそろりつるりと駅から運河まで歩き、先にクルーズ船のチケットを買った私と友人。そのまま時間があったので、少し海を見ようという話になり、雪に囲まれながら埠頭に近づきました。
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途中で雪に覆われて立ち入りできなくなった広場を横に通り過ぎ、駐車場を横切って、第3埠頭と第2埠頭の間に挟まれた海を眺めました。
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その帰り道、雪に遮られた道路の向こうに、「小樽港観光船」という札を掲げた建物を、確かに見ました。冬には運休する観光船――乗れないのが残念だったから記憶に刻まれたその建物こそ、波止場があった場所でした。
絵に立ち返ると、私たちはふたり、海の向こうで、海を眺めていたことになります。
『小樽之波止場』
変化した小樽。絵の中で少しだけ重なった気がしました。
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