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移住しなさそうな人でした。

実家住まいで自炊含め家事のの経験が皆無、虫が嫌い、車の運転免許持ってない。通っているダンススクールが好き・舞台鑑賞が好きだから大都市東京から離れられない。自分が活きるスキルなんてないから仕事なんて見つけられっこない(教員免許は持ってるけど学校は嫌だ)。未だに「都会の人っぽい」と言われるし、「帰ってくる」と思われているし、まあ、「私=東京」のイメージです。

そんな私ですが、住めば都。すっかり鹿児島人になって今日で2年と1か月が経ちました。


数年前までは、利尻島に行ったり、小布施に行ったり。色々なところに足を運んでは、なんとなーく、「いいなー」と思っていました。でも、行動に移しませんでした。「今」に不満がなかったから。そう、実際自分が移住に踏み出せたのはその時の「今」に不満があったからです。

2020年夏。仕事を無くし、実家を出たくなり、コロナでダンスは休校、舞台は無期限休演。東京という街が自分にとって白黒の世界・つまらない世界になってしまっていました。

さらに、たまたまですが2020年頭にアイルランドでホームステイを経験し、「あ、生きていけそう」という実感を得たというのもあります。

そんな時にタイミングが重なり、鹿児島から声がかかり、ちょうど仕事的にも身軽だったので、行動に移すことができました。

だから、「移住しよう」と決めて、場所から選んだり、色々な説明を聞きに行ったり、制度を調べたり、適した仕事を探したり。そういう計画的なことは自分には合わないし、移住の相談とか、のることができないんです。

「~したい」という自分の想いがあって、そこにたまたま繋がったご縁から今の自分がいます。その時に「あ、いこう」と「動けた」のは、きっと論理的にも説明できないし、だからと言ってそれが感情なのかもわからない、何かがあった。きっと。


そんな自分が、移住して2年経って、思うのは、現地での生活に溶け込むために、「1/3くらいの余白」って大事だったな、と。


最初の1年ちょっとは「いつまでいるの」と若い人=長く居ないという前提で話しかけられることがもうそれはそれは多く。そうした中で「移住したばかりなんです教えてください」というスタンスで、教えてもらったらそれを実行に移す、ということを繰り返し、信頼性を作っていったように思います。そのためにも、お金的にも時間的にも余裕が必要だな、と。

そして、情報がネットにないので、人伝えやアナログでの情報収集が必要になり、足が必要になるので、その意味でも余白が必要。地元メディアの方や町おこし関係の方、人脈が広い方、UIターンの先輩(だいぶ長い方も、ちょっと先輩の方も両方ともが◎)。逆にネット上にある情報が知られていなさ過ぎて抽選に当たりやすくなったりするものもあって。笑 そうした中でも発信してくださる方をTwitterやインスタでフォローしたり。地域を絞ってSNS広告を出しているところは結構すんなり受け入れて閲覧してよさそうだということもわかりました。

なんとなくですが、「どうせまた次どこかに行く」「コロナが落ち着いたら東京に帰る」と思われている空気だったのか、「いい意味で他人(私)に興味を持っていない人が多かった」ので、何も臆さずにチャレンジできていたと思います。関係が浅く構築中で色々チャレンジできるフェーズだったなあと。そうした中で、色々な人と出会い、深い関係性を作ってきて、やっと次のフェーズに移ってきたと思うのです。最近は、「いつまでいるの」を聞かれなくなったんです。


正直、「いつまでいるの」を、もう、本当に、かなり言われたので、精神的に辛かったです。私は住民票を移し、実家から全部の荷物を持ってきていて、がっつり地元のスポーツクラブの会員になったり公民館の講座を受けたり、こっちで仕事も得たり、ごみ拾い団体に属してごみ拾いをしたり、鹿児島の歴史を学んだりしているのに、なんか「未だ」壁を作られている気がして。冒頭に言った「移住しなさそうな人」感がきっと出てたんだと思います。だから、ひたすら、「鹿児島も私の一部である」ということを発信しました。こんな記事の寄稿もしてたよ。

そして、最近は「鹿児島に来てくれてありがとうね」「こんなにも鹿児島のためにいろいろしてくれてありがとう」と言われるようになったんです。時間の経過だからかなあ。本当に、「いつまでいるの」を聞かれなくなりました。精神的に辛かったフェーズを乗り越えた気がしています。先輩方も同じような経験をしているのかなあ。


ちょっと面白い記事。

だからこそリセットして鹿児島にやってきた私は異端児だったのかもしれないな、なんて。


正直、心のどこかに、「どこでもやっていける力をつけたい」とは思っていました。その最初の挑戦の場として鹿児島、みたいな。

でも、まあ、しかし、こんなにもどっぷりかごんま人になるとは。

どこかに行くことになったとしても、鹿児島との2拠点を考える最近です。



じゃあ、最後にどうこのnoteを終わらせればよいかわからないので、鹿児島に移住して2年経ったタイミングで今度はこんなクラファンをしているので、宣伝して終わりにします。

鹿児島の海で拾ったプラスチックごみをレジンアクセサリーにして問題啓発をするということをゆるーく今年の1月から始めていたんですが、1/3の余白の範囲でやっていたはずが、なんだか波に載ってしまったようで、自腹で趣味でできる範疇を越えてきてしまいました。せっかくなので、鹿児島のイイモノと人を繋げる企画としてクラファンという形で活動資金を集めることにしてみました。もうお気持ち支援だけで必要資金確保できてしまったので、あとはリターン品をご支援いただける方には選んでほしい。こうした活動からまた、「こいつ本当に鹿児島にハマってるなー」というのを発信できたらいいな、なんて思ってます。



あ、移住関係、これ是非。インタビュー受けてた。



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