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どんな夢でもまずは語ろう。夢を叶えるまでのプロセスを楽しもう。トロントとボストンで見つけた「夢」~IIBC Cafe Globe #15 兵頭 竜哉さん

新年一発目、2022年1月10日は第15回目のIIBC Cafe Globeでした。

Cafe Globeを開店することに至った背景はこちら

今回のゲスト

今回のゲストは兵頭 竜哉さん。

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「世界一カッコいい、夢を語れる、二郎系ラーメン屋」『夢を語れ鹿児島』代表。26歳。
夢がないことがコンプレックスだった学生時代、友人に会うため訪れたボストンで『Yume Wo Katare』に出会ったのがキッカケで、夢を見つけるために、ワーキングホリデーでカナダに渡る。世界中から夢のために人々が集まる街、トロントで、みんなが夢を語れる場所を作りたいと思い、ボストンの『Yume Wo Katare』で修行を開始。帰国後、別府、松山、奈良での修行を経て、2021年9月18日に『夢を語れ鹿児島』を鹿児島市内にオープンした。夢は『鹿児島で若者の集まるフェスを開くこと』『トロントで夢を語れるお店を開くこと』『いつでも、いつまでも、誰とでもかっこよく楽しむこと』

ヒョードルと私

カフェの時間でも話しましたが、もともとヒョードルと私はまだ知り合って4,5ヶ月ほど。私が鹿児島の天文館でゴミ拾い活動に参加していたら、そこでこれから「夢を語れ」を鹿児島に出店するんですと話している大きな人←が。元々私はボストンに留学中の叔父に会いに行った時に夢を語れボストン店に行ったことがあって知っていて、鹿児島に来るの!と感動。そして、彼の熱い想いと「かっこよさ」に対してのこだわりに強く共感し、お店作りを手伝い、気づけばスタッフとしてお手伝いをしていました。笑

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上の写真は、壁を白く塗るお手伝いをしに行った時のもの。この時私の気持ちが動き、「このお店で働きたい!」と伝えたのでした。笑 ちなみに、左端の大学生さんも、後日一緒に働くことになります。笑

オープンから3か月一緒に駆け抜けて、仕事の合間に聞く彼の辛かった過去の話やそこからの今の繋がりを聞いて、もっとゆっくりじっくり話したい!という想いが強くなり、今回カフェにお誘いさせていただきました。

今回のお茶

Cafe Globeでは、ゲストのゆかりのある「お茶」と、ナビゲーターの私がその時おすすめしたいと思った「お茶」を交換して、飲みながらお話をしています。

今回私が送ったのは、なんとお茶ではなく「黒酢」!笑
実は鹿児島、霧島で壺を使って黒酢を作っている「坂元のくろず」がとても有名。そこが「Kurozu Farm」という、明らかに私のような若い世代(?)向けにおしゃれなブランドを立ち上げており、「黒酢×りんご」「黒酢×はちみつ」などいろいろな味のお酢を作っているのです。私はここの黒酢とジャムを愛用しています。笑

ヒョードルが毎日黒酢を飲んでいると聞き、せっかく鹿児島にいるのだから坂元のくろずを飲んでほしい!とここの黒酢をプレゼントしました。

一方ヒョードルが私に選んでくれたのは、ヒョードルのお店「夢を語れ鹿児島」の道路を挟んでお向かいにある「MATENO COFFEE」さんのコーヒー。

いつもお昼営業と夜営業の間にコーヒーを買いに行っているそうで、ちょうどMATENOさんに聞いてみたら今年1月からドリップコーヒーの販売も始めるとのことだったので早速私もMATENOさんのコーヒーをデビューしたのでした。(私はいつも「森茶」という番茶をいただいているのでした笑)ヒョードル曰く、「飲みやすさの中にクッっと集中力というか1日のスイッチを入れてくれるフックみたいなのがあるのでいつも飲んでます。」とのことです。ぜひ鹿児島に来たときは立ち寄ってみてください!

今回のカフェ。

さて!今回のカフェです。最初の自己紹介で「まいど!」と挨拶してくれたヒョードル。歳は26歳、好きな食べ物はラーメン…とうどん(!)。出身は大阪、鹿児島に移住して7カ月目になります。

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「夢を語れ」のグループのお店は関西に沢山あり、学生時代よく通っていたのだとか。ヒョードルがそもそもお店と接点を持ったきっかけは、中学校からの親友が居候で創業者の家にいて、一緒に行ったことから。

「夢を語れ」のラーメンは次郎系。次郎系と言えば山盛り大盛りで、残さず食べないと店主に怒られるというイメージ(これ私の独断と偏見)。ヒョードルは小さいころからラーメン好き!とかいうわけでもなく、一般の人が食べる感じでラーメンを食していたそうですが、初めて次郎系をデビューした時、「なんじゃこのラーメン!」となったけれど、2,3日経つと「あれ?もう一回食べたい…」と思うようになり、気づけば通うようになったそう。

「夢がないことがコンプレックス」と事前のプロフィール紹介でも教えてくれたヒョードル。大学時代(後半にわかるが経営学部だったそう)、卒業後は健康メーカーで働きたいなと思っていたそう!「健康機器、体温計とか体重計とか身長測るやつとか血圧計とかそういうのの会社に入りたいと思ってました」に驚く私。理由を聞いてみると、太っていたヒョードルが大学時代1回すごく痩せたことがあり、トレーニングや運動に興味を持ってフィットネスクラブで働いてみて、「健康とか結構大事なのではないか」と考えた実体験が元だそう。

そんな中、大学3年生の就職活動の時期に友達に会いにアメリカ・ボストンへ。その時に夢を語れのボストン店に行き、「アメリカの二郎系ラーメンどないやねん!」のノリで行ってみたところ、「全然遜色ないどころかむしろこっちの方がうまいんじゃないかってくらい本格的な二郎系ラーメンというか夢を語れのラーメンって感じで」感動したのだそう。そして、海外コミュニティの中で生きている友人を見て、今まで見ていた友達ではなく、海外に挑戦しそこで生活している姿を見て、悔しさや尊敬、そして「こんなんやりたい!」というドキドキやワクワクが生まれます。そこで、もう一回「夢って何なんだろう?」「ホンマに自分のやりたいことってなんなんやろ?」って考えたそう。夢がなく、やみくもに就職活動をして、「これが僕の夢なのかも」と思いながら追っかけていた健康メーカーへの道。でも、「それをやりたい」と自分に思い込ませ会社を選ぶんだ、就職活動で良く聞こえる理由を無理くり自分に押し付けるんだ、としていたんではないか?と気付いたそう。

帰国したヒョードルは「わー!すげー!」という想いを消さないままに就職活動を再開してみますが、説明会とかに行ってもなかなか胸が高鳴らない。ワクワクしない。ずっと頭の中に合ったアメリカでの出来事、見てきたことを思い出し、留学について調べ始め、とりあえず留学エージェンシーに「とにかく海外に行きたいです!」と問い合わせ。すると「ワーキングホリデー」という制度を教えていただき、留学に行くためにお金を貯めていたりももちろんしていないので、ワーホリの道を選択。そして行ける国の中で、おっ!と思ったオーストリアとカナダの二択の中から、アメリカの近くであるカナダ、トロントを選んだそう。

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そしてここから、ヒョードルのInstagramに載せている写真を一緒に観ながら話を進めていきます。いざカナダに飛び立ったヒョードルは、なんとカフェで働いたそう!期間中、前半は語学学校に通い、そこからカフェを見つけて働き始めます。学校の写真や、カナダで自分で作ってみたラーメン、食べに行ったお寿司屋さん…

1年留年をしていたヒョードル、いい企業に就職しないとという焦りもあったそうですが、卒業後、就職をせず、23,4歳でワーホリの道に進むわけですが、就職活動を途中で辞めてその道に進むことについて聞いてみると、「みんなの就職してからのを見てたんで今行かないとなかなか行きづらいっていうのはわかったんで逆に行けた」と。ワーホリに行く前に大学のゼミの先生に相談して卒業論文などをサポートしてもらいつつ、準備期間として英語の勉強の時間は確保。大学にある英会話教室に通ったり、独学で頑張ったそう。実際にカナダに行ってからは、「元気に挨拶してたら何とかなりました」「結構英語喋ってなくてもすごい好きになってもらってました」とヒョードル。Instagramの写真からも楽しそうな様子が伝わってきます。人柄力だな…

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そして、ここでヒョードルは「夢」にやっと出会えます。語学学校で自分の夢について話そうという授業があり、それぞれが考えて準備して発表する機会があったそう。周りは「フライトアテンダントになりたい」とか夫婦で受講している方が「帰って2人で幸せな生活を今後もしたい」など発表。「健康メーカー…」という夢はリセットされていたヒョードル、大好きになっていたラーメンが思い浮かび、「あ~どうしよう、何にしよう。ラーメン屋でいっか。」ぐらいの感じで「将来ラーメン屋さんをしたい」って言ったそう。すると、周りがみんな「かっこいい!」「COOL!」と大絶賛。思い切って言ってみるとこんなに応援してくれるんだと気持ちよく感じたそう。
それから、ずっと「日本に帰ったらラーメン屋さんがしたい」と言っていたそう。

最初のきっかけはノリだったってこと!?と驚く私に「めちゃくちゃノリでした」と答えるヒョードル。ただ、そこから言っているうちに「こういうラーメン屋がいい」「みんなが集まって何かが始められるラーメン屋がいい」など夢が具体化。そして、自分がいちばん好きなラーメンが次郎系であり、友達伝えで知っていて、修行~独立支援をやっているということを知っていたことから、「夢を語れ」でラーメン屋をやることを決意。せっかくカナダにいるからと、帰りにボストンに寄り海外のラーメン屋さんを見せてもらおうと訪問。そしてそこで1か月だけ修行させてもらったそうです。

修行からの独立支援のプログラムが気になり、詳細を聞いてみると、
1年間、ラーメン屋さんについてなど経営に関する勉強をし、実際に夢を語れの店舗で修行を経て、自分の好きな場所で3年間「夢を語れ」の看板を背負い出店ができる仕組みがあるそう。今現在は全国で17店舗あるそうですが、全員がヒョードルのようにラーメン屋がやりたい!として集まっているというわけではなく、「経営してみたい」「夢を語れる場所を作りたい」など、その「夢を語れ」のコンセプトに共感している・惹かれてきている人の方が多いそう。ヒョードル自身も、半分はラーメン屋がやりたい、ラーメンが好き、もう半分は「自分自身が今までやりたいことがなかったって状態から夢を語ったことでやりたいことを見つけられたから、それをみんなに経験してほしい、そういう場所を作りたい」という気持ちから来ていたそう。すごいフィット。

さて、1か月のボストンでの修行後、日本に帰国したヒョードル。ちょうどコロナの時期と重なり、変更等がありつつ、夢を語れ別府と松山で、創業者、西岡津世志さん(ヒョードルはカフェ中ずっとフルネーム呼び捨てで呼んでいたので、この後はそのように呼ばせていただきます笑)の元で修業をし、その後に8か月奈良で修業をしたそうです。1年間の間にいろんな夢を語れのお店に行くんだ?と聞いてみると、どうやらイレギュラーだったそう。
というのも、西岡津世志が「夢を語れるSNS」アプリを作る、と一度ラーメン屋さんを引退(最近復活し、鳥栖にこの1月に「夢を語れ総本店」という名でOPENしているそうです笑)。そのため、その時に修行していた人たちが他の店舗に転々としていたそう。そのたびに住む場所を変えていたのかーと思うと、かなり鹿児島に慣れるのに時間や労力をかけた私はすごいなーと感動するわけですが、「結構大変な修行なんでそこら辺を考えてるあれはなかった」とはなすヒョードル(笑)。

修行の中身についても話してくれました。ラーメンの事はもちろんですが、それよりは経営者・指導者・人を引っ張っていくリーダーとしての心得がメインとなるようで、最初は部屋の掃除の仕方やトイレの掃除など、道徳的なところから始まり、「綺麗になっていなかったらスープを触っちゃダメ」と言われていたそう。

ここでヒョードルのラーメンの作り方にこだわりはありますか?という質問が参加されている方から。(ありがとうございます!)回答は「生きているラーメン」でした。「チェーン店のお店はすごいおいしいんですけどどこで食べてもいつ食べても同じ味。だからいいし、どこでも同じ楽しさがある。僕のやってるラーメンはスープもずっと炊きながらやってるし、自分で麺も作っている。色々動きがあるラーメンなんです」「1回の営業の中でも営業の始めと最後で味が全然違ったりする。始めはスープが煮詰まってないんで醤油をバシッと感じるラーメン、最後は煮詰まってきてるんで豚の旨味がしっかり出てきてる。『ニンニク入れますか?』って聞いて野菜の量とかカスタマイズできるんでホンマに『その人にその時にしか出ないラーメン』っていうのを拘ってます。」寸胴の状態を見ながらその時のベストを常に出せるように火加減の調整などを行っている、まさに「生きている」ラーメン。時間帯や日によって味が違うのは面白い!

修行後、開業までで大変だったことは何ですか?という事前にいただいていた質問もこのタイミングで聞いてみました。答えは「全て!」。何をすればいいんだろというところから始まり、物件探しで6,7月の暑い中フルマラソンぐらい歩いたりと身体的にも大変だった時もあったそう。そして、その中で鹿児島という場所を選んだのは、「長渕剛が好き」というのがきっかけだったそう!実際に下見に来たときに、桜島を見て、「ここだ!」と感じたものがあったそうです。場所は決めたもののお店はどこに作るか決めておらず、とりあえず、移住(!)。「どこに何があるのかさえ分かっていなかった」とのこと!その突き進んでいける行動の源が何なのか気になって聞いてみると、「面白いなと思ったらとりあえずやってみる」とのこと。カナダ留学についてエージェントさんのところに飛び込んでいくのしかり、大阪から鹿児島に移住した時も原付で移動したり(!)、もともと行動力はある方のよう。もはや「挫折するものか!」という勢いを感じる。

さて、全部自分で決めてやるという、やることの多さが大変である一方、全部自由であるということは楽しいところと話すヒョードル。「自分がやりたいと思ったことをできるしそれをみんなが応援してくれたりメンバーたちが助けてくれるっていうのは楽しい。」次は夢を語れ鹿児島のInstagramの投稿を見て話していきます。お店の看板も全部ヒョードルが自分で描いたそう。
ヒョードルが話しているお店の、ヒョードルの後ろに写っている壁は、お客さんが自分の夢を書ける壁。青色のペンで書いているようですが、その色もヒョードルが決めたそう。そうした準備をしていく中、「お店をやっていく中で助けになる物・事・人は」という質問の答えも出てきました。「すべての人」とのこと。お向かいのMATENO COFFEEさん、お客さん、SNSで応援してくれるお客さん、スタッフメンバー。特にメンバーは、初めの大変な頃に「うちの店でメンバー同士がキャッキャしてたり楽しそうにしてるのを見て『この場所作ってよかったな』っていうのがすごい助けになった。」とのこと。

そしてここで、ヒョードルが一度辛い思いをした時の話も話してくれました。松山で創業者の元で修業をしていたころ、自分のレベルと求められているものが合わず、周りにも相談できず抱え込みすぎて1人でしんどくなってしまい、修行を一時中断してしまった時があったのだそう。実家に戻り、外に出れなくなり、家にずっといたそうです。札幌や沖縄の代表の人たちが次々に「大丈夫か?」「すぐに良くなるよ」と連絡を取ってくれても、なかなか動けない。もはや辞めようとおもっていたそうです。そんな中、奈良ののちにヒョードルの師匠となるカワラヤさんから、「自分暇やろ?実家に帰ってきて暇やろ?手伝いでいいから来てくれへん?」と連絡が来ます。ちょっとでも助けになるなら行ってみようかな、と動けたヒョードル。そこから奈良のメンバーたちと出会い、一緒に働いている中で少しずつ回復していくことができたそう。そんな奈良のメンバーからは最後に卒業する時には盛大に祝ってもらい、鹿児島でお店をオープンするときもわざわざ駆けつけてもらっています。師匠からも、最初は「辞めます」と伝えようと思っていたヒョードルに「次いつ来るの?」と次の出勤日の質問攻め。そしてヒョードルはいつの間にか、「戻る」ことができたそうです。ヒョードルが「人」「すべての人」に感謝しているところの背景がここにもあることを感じました。

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次々に質問に答えていきます。今まで聞いた夢の中で「これは!」と思ったものはあるか?と聞いたところ、内容もそうだけど、夢を語るのにすごい勇気がいる人、人前で話すような人じゃない人が緊張しながら話し、その後に、メンバーや店内にいるお客さんが声をそろえて「Good Job!」とその夢を応援することができるのですが、それをみんなが行った時に安心する笑顔を見るのがいつも印象に残るそうです。内容そのものだと、ちょうどカフェをする数日前に学生さんが話した夢で、「地元を出て看護学校へ行くと言った時に『お前に看護師なんか無理や』と言われてその人たちを将来看護するのが僕の夢」と話していたことだそうです。「そういう人らを見返すとか言うんかな、見返すために看護師になるって言うのかな、と思っていたら、看護するのが夢、って言っていて、ジーンときた」そうです。

アドバイスを求める声も。「自分の夢が狭き門。どのような努力が今できるだろうか?」という質問には、「わからないけど、その仕事に就けるか就けないかだと不安になるけど就職で成功失敗を判断するのではなくどうやったらそれを楽しく目指せるかを考えることを修業時代に教わった」とヒョードル。そこまでの道のりが楽しくワクワクするものであれば結果どうなっても、万が一駄目だったとしても楽しかったよね、人生どこで終わるかわからないから道のりを楽しくするのがいいのでは、と話してくれました。
途中でなくなったとしても、「でも、その瞬間は楽しかったよね」と考えられる、と。点ではなく線で楽しくするように心がける、「頑張らんと」というより「ワクワクしているから自然に楽しくできている」と思うことだそう。まさに、ヒョードルが松山、そして奈良での修行を経て感じたことだそう。「夢を語れる楽しい空間を作るんだ」と意気込みすぎるのではなくて、ラーメンを作っている瞬間も、一個一個楽しむ姿を見せることも大事なんだと思い、こう考えるように変わったそうです。「『楽しむために必死に頑張るのももちろん、必死すぎて楽しくなかったらダメだよね』って。じゃあどうやったら楽しめるだろう?、を考えるようにしてます。」

そして、「語れるような夢を見つけるためにどんなことをすればいいですか?」という質問。「語れる夢を見つけるんじゃなく、夢だと思ったらなんでも語るようにしていけば、なんでも夢語れるんじゃないかな」が回答でした。ヒョードルの背景にもある壁一面の「夢」。書いてもらうときには大きな文字で書いてねと言いつつ、大きな夢ではなくていいと言っているそうです。将来こんなことがしたい、彼女作りたい、〇〇を食べたい…そして、その次の夢を語れるようになる。そして、その夢もどんどんレベルアップしていく。ラーメンを食べたい→作ってみたい→誰かに食べさせたい→お店を開きたい、と大きくなっていくように。そして、その夢を誰かに言う、語るというのがまずは1歩目なのではないかと。

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私は、「夢」がとても遠いもの・難しいもの・大きいもの、と定義づけしていたな、とここでハッと気づかされました。身近な、人によっては些細な事かもしえれないことでもいいんだ、と。ラテも「本当に小さい実現したい何かを夢だと語っていくと見つかるかもしれないんだね!」とワクワクモード。

そしてあっという間に今回も時間が来たので、最後にヒョードルに夢を語ってもらいました。

「『夢を語れ鹿児島』のヒョードルです。夢、語ります!僕の夢は将来カナダのトロントで夢を語れるラーメン屋さんを開くことと、ラーメンとうどんが好きなんで今週中にうどんを食べに行くことです!」

夢を語った人には、「GOOD JOB!」とグーサインを出して応援します。ラーメンを全部食べ切ったお客様にも「よくやった!」という形でやるそうです。では、せーの!

「GOOD JOB!」

集合写真もGOOD JOBポーズになりました!

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アフタートークでは、色々なことをまた語りましたが、私はなぜ最初天文館のごみ拾いに参加したのかということを聞きました。どうやら、私たちが参加しているごみ拾い団体greenbirdさんの、ボストン支部を西岡津世志が代表をしていたそうで、それで知っていて、鹿児島で人とのつながりを作るために、鹿児島にもgreenbirdの支部があるかな?と調べて見つけたことが始まりだったそうです。色々な人からまた色々な人とのつながりを作っていくヒョードルのチカラ。元気をもらいます。

いやー、「アメリカで働いてグローバル人材になって日本に帰って教育現場で還元する!」と夢を抱いていた自分、コロナでアメリカの仕事が内定取り消しになりキャリアプランが白紙になり、路頭に迷ってこうやってカフェでいろんな人の頑張っている話を聞いて1年とちょっとが経ったわけで、
やっぱりそうした中でも自分の中では「夢」をそもそも大きく描きすぎてしまっていること、そしてそこまでのプロセスを自分が楽しめていないのかもしれないということに気づき、カフェを閉めた後は少し泣いて余韻に浸ってしまいました。未だに「これから何をしていこう?」が見えていなくて、とりあえず毎日を生き延びながら、悩んでいるわけですが、よくよく考えてみれば、「カフェで働いてみたい」「いろんな人の夢を応援してみたい」と今カフェやヒョードルのラーメン屋さんで働かせてもらっていて、それもある意味自分にとっては「夢」なのではないか、日々のそこでの時間を楽しまなくては、と前向きにとらえられることができました。こうやって小さいかもしれない夢を少しずつ語っては叶えていって、そして、自分の方向性をまた形作れて行けたらいいなあ、と。今回のカフェも、本当にありがたい時間でした。


私の夢、語ります!
このCafe Globeに来店してくれたゲスト全員と、対面でオフ会として集合して、ゲスト同士がつながる場を創りたい!
そして、そこに、今まで聞きに来てくださった方も来店いただき、ゲストと繋がってほしい!パネルディスカッションとかして欲しい!
そこで、私は、皆さんにドリンクを提供したいから、それまでに、いろんなお茶や飲みものに詳しくなりたい!
きゃー!言っちゃった!叶えるぞ!


もっとヒョードル

ヒョードルの活躍を今後も応援したい方は!ぜひ「夢を語れ鹿児島」のInstagram or Twitterをフォローください!

ちなみにこの↑の写真を撮ったのは私です。笑

当日のカフェの様子はこちらから

懇親会タイムは入っていませんが、最初の1時間の様子はこちらからご覧ください!

次回のカフェ。

ということで、次回のカフェ。2月10日20時からです。前回急遽延期したしゅうごとのカフェタイムがやっと実現します!

お申込みや詳細はこちらから。

集合写真とかアップしてるのでぜひカフェのFacebookもフォローしてくださいませ~!

来月も楽しみです!


こんな私ですが、ぜひサポートお願いします。 いただいたサポートは、自分に沢山の学びと気付きの機会を与えてくれた人や団体、そして社会に還元していきたいです。