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「自分は特に大した人間じゃない、だから周りに頼る。」ガーナの盲学校でICT教育の先生がブラインドサッカークラブを立ち上げる!?~IIBC Cafe Globe #26 羽立大介さん

12月10日は第26回目、最終回のIIBC Cafe Globeでした。

Cafe Globeを開店することに至った背景はこちら

今回のゲスト

今回のゲストは羽立大介さん。

広島県出身。大学で教員免許を取得(中高社会・特別支援)するも、卒業後は福祉施設で勤務。
「外国で生活してみたい」という理由でJICA海外協力隊へ。
ガーナの盲学校でブラインドサッカーの指導普及を行っていたが新型コロナウィルスの影響で帰国。
帰国後は広島でJICAの広報を担当しつつ、セネガルでパラスポーツの普及活動をしている団体「WITH PEER」に加入。
趣味はサッカーの代表ユニフォームを集めること。

羽立さんと私

第17回のきんちゃんがゲストで来てくれた回に参加していた羽立さん。
21時から30分間開催している懇親会で一緒にお話しをし、その内容がとても面白かったことから、参加してくださった他の皆様から「次のゲストはぜひ羽立さんに!」とリクエストをいただいたので、お呼びすることになったのでした!なので、私もお会いしたことがない方なのです。Cafe Globeを始めて2年、Cafe Globeでできた繋がりで今回お呼びすることになりました✨

今回のお茶

Cafe Globeでは、ゲストのゆかりのある「お茶」と、ナビゲーターの私がその時おすすめしたいと思った「お茶」を交換して、飲みながらお話をしています。

今回私が送ったのは、今年9月に知り合った、鹿児島の東市来の高校生起業家、しえるちゃんがブレンドティー好きのお母様とコラボで作られたサワーポメロのブレンドティー。東市来の名産で、間引きのために廃棄されてしまうサワーポメロがもったいないと目をつけ、アロマスプレーなどをつくる精油にしたり、こうしてブレンドティーにしたりしています。そんなSDGsなプロダクト作りをしている彼女の応援も兼ねて、羽立さんにプレゼント!「おいしい」と喜んでいただけました!

一方で羽立さんにお送りいただいたのは、旅行で行かれた金沢で美味しい!と購入してくださった、「白折入糸より玉露」。そもそも玉露は日本茶の中での最高級ランクのもの。ネットで後日調べたところ、この茶葉で使われている「茎の皮」の部分では生産量の少ないものだそうで、飲んでみて思ったのですが渋みが少なく旨味が多いというか、飲ーみーやすい!玉露デビューにも向いていそうな気がします🔥どうやらこちらがホームページのよう!

今回のカフェ。

さて、今回のカフェです。
今までのJICAで海外に行かれていたゲストの方々同様、皆様帰国された後に報告会をするのでそのスライドを使いまわしてお話ししてくださりました。今回羽立さんは出前講座で使っているものを見せてくださいました。

 まず、羽立さんは高校まで広島で生まれ育ち、大学と社会人の最初は滋賀県、それからJICAでガーナに1年9カ月、コロナで早めの帰国をして現在は広島で活動をしています。
 
元々ずっと小学校から大学までサッカーをしていた羽立さんは、「サッカー選手は無理だろうな」と将来のことを考え始めた中学生の頃、海外への興味が芽生え、高校時代に「海外に関わる仕事がしたい」と学校の先生に相談したところJICAの事を教えてもらい、そこで初めてJICAのことを知ります。
 
後々、教員を目指し教育学部のある大学へ進学。中高の社会科と特別支援の教員免許を取得します。そこで社会の授業の中で取り上げる開発途上国のことなどを学んでいくうち、「自分の言葉や自分の撮った写真で話せるようになりたい」と思うようになり、新卒でJICAを受けることを決意。しかし、ここでは競技歴だけで応募できるサッカー指導をするポジションで応募したところ選考に落ちてしまいます。「正直サッカーで行きたいというわけではなかった」羽立さんは、「協力隊に行きたい」という想いは変わらないので、別の職種でもよい、と考え、学生時代のバイト先の重度の知的障害がある人たちのいる施設で社員として働かせてもらい、実務経験を積み再度「障がい者支援」(190近くある仕事の中で「社会福祉」という大きなカテゴリーの中での「障がい者支援」)という職種でリベンジをします。
 
特別支援の教員免許を取っていた羽立さん、もともと興味があったのかなどを聞いてみると、正直、小学校の教員免許を取る授業に苦手意識をもって取り組んでいたところ卒業する単位が足りないことに気づき、急遽特支の免許の取得に切り替えた結果とのこと。ちなみにサッカー指導は強豪国のブラジルやアルゼンチンなどではなく、アジアや大洋州の国などからサッカー指導の要請が多く出る傾向があるのだとか。
 
さて、「障害児者支援」でJICAに選ばれた羽立さん、行きたい国で選ぶ人や要請内容で選ぶ人等様々な選び方がある中で、知的障がいがある人との接点が多い自分が活動できるところを探した結果、たどり着いたのは「ガーナ」でした。感想は「あれ、希望に書いていない国だ」。どうやら渡航先希望に3つまで国を選んで提出できるそうですが、その中に入っていなかったよう。
 
今までCafé Globeに来店くださったJICAのゲストの皆さんは渡航先の国の写真を見せてくださいましたが、羽立さんは研修施設での日々の写真も見せてくださいました!JICAの渡航前の事前の研修(語学訓練や衛生面・安全面の講習等を合宿形式で行うところ)は福島と長野に施設があり、羽立さんは福島の方に70日間みっちりと勉強してから飛んだそう。ガーナは公用語は英語なので羽立さんは英語を勉強。また、180人くらいの同期が11の生活班のグループに分かれて過ごすそうですが、全員がガーナに行くというわけではなく、モンゴル、ルワンダ、タンザニア…と渡航先の国もバラバラ。素敵な写真を見せていただきました。(是非YouTubeでチェックを!)
 
羽立さんがJICAに選ばれたのはなんでだと思う?と聞いたところ、書類でボランティア経験欄をかけるところに「日本でブラインドサッカーチームに関わっていました」と記載したらそこについての質問ばっかりされたのだとか。自分の専門分野プラスアルファのモノが、意外にも繋がったのではないかと話してくださいました。
ちなみにブラインドサッカーは大学卒業ぐらいの時期にテレビで元サッカー選手がやっている様子を見て知り、面白そうと思って参加したことをきっかけに1年ぐらいゴールキーパーとして帯同していた時があったそう。ちなみにこれが、後々の羽立さんのJICA滞在中に大きな活躍をしてくれる経験になります。

ここで、JICAに応募したいと考えている参加者から大学でやっていて役だったこと、卒業後の経験でやっておいてよかったことが質問に。羽立さんの答えは「語学」と「色々な経験」。語学に関しては「できたほうがもっとよりコミュニケーションが取れたなと思う」とのこと。経験に関しては、例えば障害者支援と一言で言っても障がいの種別が違ったりとそこにも多様性があるし、自分の専門分野と興味で始めたブラインドサッカーが後述の経験に繋がることもあったりするので、「専門ではないこともやっておけば思わぬところで繋がるなあというのが今ここに来ての気づき」だったとのこと。
 
では、ここでそのブラインドサッカーの繋がりです。
羽立さんが派遣されたのはガーナの西アフリカに位置する「ワ」という街。前のゲストのきんちゃんと同じ場所ですね。かなり首都から離れたところですが英語で子どもたちとやり取りをするくらいだったとか。
そして、「SCHOOL FOR THE BRIND」(盲学校)に配属。最初ICTの教員としてタイピングの仕方などを指導されたそうです。しかし、中学部にしかないICTの授業は、中1,2,3で週2コマ=週6コマ、つまり1週間に6時間しか教えないという勤務時間!それ以外は「待機」ということでやることがなく、羽立さんは体育の授業に「体育俺も入っていいい?」「おぉいい、入れ入れ」というノリで(笑)子どもたちに混ざって参加します。職員室にロープがあるのを見つけ、勝ち負けが目が見えなくてもはっきりわかる綱引きを企画したり。ただ、体育もやはり各学年週1コマなので全部フルでやっても小1~6と中1~3での9学年=9コマしかなく、ICTと体育を合わしても15コマ…ガーナに来てまでこんなのんびりするのもなあ…と思い、放課後にブラインドサッカークラブを始めるのです。
 
ちなみに日本の盲学校との違いの質問が来ていましたが、日本の盲学校での勤務経験がない羽立さん、視覚障碍者が出てくる映画の学校のシーンで左側通行・右側通行みたいなルール分けがされているシーンを見て、「ガーナはそういうのなかったな」と気付いたエピソードを話してくださいました。「別にそんなどっち側を歩いてくださいってことはなくてちょくちょくぶつかってましたね。」なんかガーナらしいというか…なるほど…!
 
元々要請内容にブラインドサッカーというのは全くなかったのですが、羽立さんの自主企画的な形で始まったブラインドサッカークラブ。ですが、「現地業務費」という形で配属先に出してもらいたいけれど配属先に予算がない、でも活動に支障が出てしまうorあったほうが良いと判断したものに対してJICAから出してもらえる費用があり、羽立さんの活動に関しては認めてもらうことができ、費用を確保することができました。そして、先ずは視界をふさぐアイマスクの入手から。やはりワのどこに行っても見当たらないので、ガーナに行く時の飛行機でもらったアイマスクを服を作ってくれるテーラーさんのところに持っていき、「こんな感じのを作ってほしい」と打診。ゴールポストもJICA予算内で制作してもらいます。そして、音が鳴るサッカーボールに関しては、もともと自分が持っていたボール1つとは別に写真に写っていた残りの9個はどこから仕入れたのか聞いたところ、なんと日本企業の駐在員の方からの寄付という。というのも、日本のブランドサッカー協会をCSRの一環として応援している企業にお勤めされている駐在の方と出会い、ボールを寄付してくれないかと打診したところ会社としてはダメだったと。しかし「ここまできたなら」とその方が個人で支援をしてくださり、帰国後もその後に駐在でガーナに来た方に1,2個ずつ持たせて持ってきてくだったりと、少しずつ増やしていくことができて最終的に10個になったのだとか!「本当にいろんな人に協力してもらった結晶がこの10個ですね。助けられてばかりで。」発信や先ずは行動、その大切さを実感するエピソードでした。

英語などの言語とは違って目が見えない事など様々なチャレンジングな場があったときの羽立さんのコミュニケーションの取り方についての質問が。すると、「目が見えないっていうのは確かに1個障壁ではあったんだけど、逆に言えば目が見えない以外は全部いわゆる普通、って言ったらあれですけど、障害がない状態なので、言葉でやり取りできたらある程度意思疎通とかはできて…」と。「目が見えないことの関わり」が当たり前の学校に当たり前のように働き、弱視の子や同じ敷地内に住んでいるスタッフの子供が手伝ったりフォローしてくれたりしつつも、特に苦労するといった経験はなかったのだとか。実際、幼学部・小学部・中学部・職業訓練部で合計200人の全校生徒のうち、全盲はおそらく3割くらいだったのでは、と。弱視の中でもまあ見える方からほぼ全盲に近い方までまた程度があるそうですが、基本的には若干見えている子と全盲の子、で分けられていたそうです。そうした「程度」に合わせてコミュニケーションをとっていたのですな。逆に、見えてないこと以外の気配を察知するといったあたりの能力がすごく、自分が近くを通ったときに見えてないだろうなと思っても「先生おはよう」と話しかけてくれたりして驚くこともあったとか。
 
さて、ブラインドサッカー、盲学校を飛び出し、色々なところでワークショップをするようになったのだとか。
「目が見えない子たちにスポーツする機会を提供する」の先に、「目が見えてる人たちの心構えとかが変わる方が可能性あるな」と思ったそうで、「目が見える人たちが目が見えない、っていうのを疑似体験でもいいからしてみて、『ここに障壁があると見えない人がぶつかったら危ないよね、よけておこうか』っていうマインドをちょっとでも植え付けられたらいいな」と、ワークショップへの展開を始めたそう。
実際やってみると、「音が鳴るボール!?なんだこれは!?」と食いつき、怖いもの知らずで「なんだこれー!」と積極的にチャレンジしてくれたのだとか。「グイグイ来るやん!この子ら」と驚いたそう。私ならビビる。実際日本でもワークショップをするとみんななかなか動けないのだとか。国民性。
ちょうど質問でパラスポーツのアフリカにおける認知度について質問があったのでこのタイミングで聞いてみると、日本以上にかなり低いよう。大会があってもいざ行ってみると開催していないということもあるようで、ゆるい感じでやっているので難しさがまだまだあるのではないかとのこと。

そんな羽立さんがガーナにいる間ぶつかった「壁」。それは序盤の週6コマで派遣されたことに対しての意味に対しての問いでした。「なんで俺ここにいるんだ?」「要るかな、俺ここに。」「いなくても別に成り立つよなぁ。」帰りたいとまではならなくても、この違和感は最初は強く、最終的に全くなくなることはなくても最後まで抱いていた疑問だそうです。その中でモチベーションの維持に苦戦し、体育の授業に関わったりブラインドサッカーを始めるようになるまでの半年間はかなり低かったそう。
そのタイミングで、JICAの隊員をサポートしたり連絡の窓口になったりする「ボランティア調整員」という方がたまたま出張で首都ではないガーナのワにも来て、羽立さんの話を聞いてくださります。「どうしよう、俺、要る?」と正直に悩みを打ち明けたところ、羽立さんがやりたいことを聞いてくださり、「絶対やったほうがいい。時間が限られてるんだし」と背中を押してくださいます。そして、前述のお金を使うための許可の取り方などを教えてくださるのと同時にJICA内部での話が通るように素地を作ってくださったそうです。「自分一人で立て直してたか、って言われるとかなり厳しくて、本当に周りの人の力を借りてっていうようなことが、自分の場合は大きかったかな。もちろん『やりたい』ってことを口にしたからこそだとは思うんですけど、【やりたいこと口に出したらサポートしてくれる人が結構周りにいた】、これは本当に大きかったかなと思いますね。」
 
他にも、残った時間でガーナの食べ物や乗り物、伝統衣装などの写真を見せてくれました。
一定期間住むという経験はガーナが初めてだった羽立さん。食のトラブルやホームシックも特になく、瘦せることも太ることもなく過ごしたとのことですが、一番のカルチャーショックの経験を聞いてみると、都市間移動バスに乗っているときに自分が寄りかかっていた窓が急に外れて、窓が落ちたとドライバーに言ったら、車を一時停止→窓をロープでどうにか括り付けて10分で再出発、という、「あるもんで何とかする」という現場に出くわしたエピソードを話してくれました。

 ガーナでの生活を謳歌し始めていた羽立さん、2020年3月、コロナの感染拡大により、当時全世界に派遣されていたJICAのメンバー2000人ほどが一気に日本に帰国するということになり、有無を言わさず、羽立さんも帰路につくことになります。1月くらいからニュースがガーナにも届いており、まあアジアはやばいけれどアフリカは大丈夫だろうと思っていたら、3月に「来週帰国」と通知が来たのだとか。残りの任期が3か月というタイミングだったので、1,2ヶ月で戻れないだろう、これはもう自分は戻れないだろうな、最後だろうな、と感じた羽立さん。帰国後は実家でステイホームをしながら、ガーナの写真をみて懐かしみ、のんびり過ごしていたのだとか。いつ戻れるかな、といったこともなく、これで終わりか、じゃあ次何か仕事を探さないと、とゆるゆると就職活動を始める流れになったのだとか。
 
国境なき医師団に憧れていた時期があった羽立さん。大学院に行き、心理学を学び、臨床心理士の資格を取りたいなと考えていた時期があったそうで、「大学院に行くためにこれくらいお金を貯めるためには、月にこれくらいほしいな」と考え、その時に今の仕事のポジションでの募集が出ており、「これを受けてみるか」という軽い感じで受けてなんと合格。その時は「地元愛と将来性」で採用されたのだとか。ちなみに、今はそこまで大学院進学に対しての強い想いはなくなってきているのだとか(笑)
 
その就職したのは広島県JICAデスク。ポジションはJICAをもっと知ってもらうための広報活動。出前講座の講師やイベントでのブース出展など、幅広く広報になる業務を担当されているそうです。ただ、今のポジションは3月でいったん終わろうと思っているそうで、その後については今のところ未定なのだとか。「未定」であることに対してのそこまでの不安がないことに対しての理由を聞くと、1つは教員免許があること。「いざとなったらという表現もよくないですけど『教員に就くこともできるだろう』と」。そして、2つめはいままで本当に人に恵まれてきて、いいことばかりが起きているから、どこかでマイナスな出来事があるだろうと思いつつ、無いまま今まで来ているので、「もしかしたらこのまま俺はいい感じに行けるんじゃない?」「いざとなったら助けてくれる人が居るのかもしれない」という本人曰く「変なポジティブマインド」があるのだとか。「自分は特に大した人間じゃない、だから周りに頼る」。オープンマインド、すごい大事だな。
 
他にも「日本でパラスポーツが盛り上がるにはどんなことが必要だと思っているか」という質問が。羽立さんとしては、「日常にある物として認識されだしたらいいなと思っている」とのことで、自分自身の活動は続けていきたいし、もっと学校現場に入っていきたいと思っているそう。
そんななかで、ブラインドサッカー、チームは結構各地方にあり、全国で20数チームあるそう。練習頻度は月1や週1とばらつきはありつつも、どのチームもいつでもウェルカムだそうで、是非軽い気持ちで一度行ってほしい、1回言ったらずっとやらないといけないってわけでもないと思うと羽立さん。「そこでハマれば続ければいいしちょっと違うなって思ったらまた別に行けばいいんじゃないかなっていうまた緩い感じです。」
前回車いすバスケの活動をしている美優が話してくれた時は、場所の制限や車いすの費用などの壁を話してくれましたが、ブラインドサッカーはそういう面ではけっこうハードルが低いよう。体験会とかは結構簡単に参加できる機会もあるそうで、「ハードル高いと思ってしまったら根付かないと思うので楽に『ちょっと遊びに行く』ぐらいなかんじで関わってくれたら」とのこと。
 
そのあとは5月からセネガルに行きたいとのことで、新しくセネガルでJICAの協力隊の2人が立ち上げたブラインドサッカーの団体に広報として関わっているそうで、実際に行ったことがないから行こうと思っているのだとか!現地では広報素材を集めたり、代表たちの活動っぷりを見たり、セネガルの人たちがどんな人たちなのかを見てきたいのだという。

こちらのインスタも羽立さんが運営しているそうです。
  
さて、ここまで羽立さんの事をたくさん聞いてきましたが、参加してくださっている方からの質問にあった「アフリカの人々となんかしたいと思ってる人に伝えたいこと」を聞いてみました。もちろん現地に行って直接触れ合ってもらうことが一番良い、と思いつつ、JICAや各県にある国際交流協会、そして羽立さんが関わるWITH PEERのような団体が主催する「アフリカイベント」のような、日本にいてもできることはたくさんある。日本でできるアフリカとの関わりに触れてもらいたいとのことでした。自分にできるところから始めていくの、大事ですね。これに関しては看板狼モカも「『やりたい』って思うからいろんな繋がりを見つけるんだね」とゆるくも少しずつ自分自身のペースで動いていく羽立さんに元気をもらっていました。

最後に、羽立さんからのメッセージも。
「ガーナに行く前の協力隊の訓練所で、英語の先生にフィリピンの方なんですけど『YOLO(ヨロ)』という言葉を教えてもらいまして。『You Only Live Once、人生一度きり』の頭文字で『YOLO』。これを締めの言葉として紹介させてもらうことが多くて。皆いろんな状況があるとは思うので、人それぞれ違うと思うので、全員が全員『みんなにアフリカ行ってほしい』とまでは言えないんですけど、人それぞれのペースではあるけど、人生一度きりなので是非是非やれることに関してはどんどん挑戦してほしい。みんながして、みんながそれを応援できるような感じになっていければいいのかなと思っています。なので今日のこのCaféが何か皆さんの一歩踏み出す『やってみようかな』っていう心の変化に繋がれば幸いです。」

実は人見知り要素もある私、だからこそ知り合いをゲストに呼ぶという形でCafé Globeをやらせていただいていたのですが、今回、まったくの初めましての羽立さんをお呼びして話をしていても、全然緊張せず、楽しく話を聞くことができて、元気をもらったのは、こうした羽立さんのあたたかさを色々なエピソードを通して感じることができて、背中を押してくれる言葉がけをしてくださったからなのだなあと思います。

そんな当日のカフェの様子はこちらから

懇親会タイムは入っていませんが、最初の1時間の様子はこちらからも観れます!ぜひ!

もっと羽立さん

カフェ以降も羽立さんの活動をみてみたり、応援したい!と思った方へ。WITH PEERのインスタは前述ですが、羽立さんのインスタもシェアします!是非フォロー&DMを✨

最終回でした!

ということで、今回でIIBC Cafe Globeでのナビゲートはおしまい。次は私が旅経ちます。今まで出会った25人のゲストの言葉で背中を押してもらいながら、自分も一歩踏み出します!過去の25人のお話しのアーカイブはこちらから。もちろんnoteにもアップしてるので見てみてください。カフェのFacebookも。

渡米の夢が見えなくなり、人生を迷ってしまうような2年間を過ごしましたが、毎月、Café Globeで色々な知り合いの方からの話を聞いて元気をもらい、背中を押してもらい、やっと2023年、自分自身もまた海外に踏み出せることになりました。今までCaféでお話しした25人のゲストと一緒に時間を共有してくださった参加者の方々、皆さんと過ごした時間を自分のチカラに変えて、自分も大きく一歩前に進んでみます。

トランクの中には、しっかり、日本のお茶を入れて。


こんな私ですが、ぜひサポートお願いします。 いただいたサポートは、自分に沢山の学びと気付きの機会を与えてくれた人や団体、そして社会に還元していきたいです。