見出し画像

「今」「自分」が後悔していないことをやりたい。IIBC Cafe Globe #4 宮川 南奈さん

2月10日は第四回目のIIBC Cafe Globeでした。

Cafe Globeを開店することに至った背景はこちら。

今回のゲスト

今回のゲストは宮川 南奈さん。

画像1

幼少期3年をインドネシアで過ごし、帰国後湘南に住んでいたことから、東南アジア・南国・旅行・海が大好き。大学時代日本では途上国開発・平和構築を専門に学び、2016年トビタテ!留学JAPANを利用して渡仏、社会学を学ぶ。いつか社会課題をビジネスで解決することに携わりたいと考えつつも、大学卒業後2年間は「日本で1人でも多くの人がハッピーに働く」ことに貢献したいと思いコンサルティングファームで人事・組織コンサルに従事。
現在は結婚して金沢に移住し、新型コロナウイルスの影響も受け仕事やライフスタイルの変化に伴い、地球とヒトに優しいライフスタイルをゆるく目指す。
"花のロスを減らし花のある生活を文化にすること” をミッションにフラワーサイクルアンバサダーとしても活動中。

みなとわたし

高校生と大学生の多様な形の留学を応援する、トビタテ!留学JAPANのプロジェクトチームで働いていた時に出会った奨学生のみな。私と同じ帰国子女なこともあるのか、なんとなーく考え方や感覚が似ているところがあって、事務局と奨学生、という関係ではなく、尊敬できる人としていつもフラットに話していました。

そして2020年、アメリカに行けなくなった私と同じで、インドに行くはずがコロナで行けなくなり、そして、鹿児島に移住した私より先に、石川に移住したみな。東京でご飯を食べながらお互いのアップデートをすることができなくなった今、Cafe Globeで、みながいまをどう想い、どう過ごしているのか、お話しを聞いてみようと声をかけました。

今はボーダレス・ジャパンはじめソーシャルグッドな様々な活動に取り組み、去年11月にエシカルウェディングをしたみな。結婚式が落ち着いたタイミングでぜひそこら辺の話も含めてお話したい!とアピールをしており←今回2月に開催できるに至りました。

今回のお茶

Cafe Globeでは、ゲストのゆかりのある「お茶」と、ナビゲーターの私がその時おすすめしたいと思った「お茶」を交換して、飲みながらお話をしています。

私がみなに送ったのは、鹿児島中央駅の新幹線乗り場の前のお土産屋さんコーナーに新しくOPENした「さつまgift」というナチュラル&オーガニックの鹿児島のお土産を取りそろえたお店で販売している霧島に拠点のある薬膳小町の薬膳茶。

一方みなが私に送ってくれたのは、金沢の「加賀いろはテトラシリーズ」の加賀ほうじ茶。金沢のほうじ茶となるとなんだかぜいたくな気分…(?)タンブラーに入れて、たっぷりお湯を淹れました。

お茶と一緒に届いた便箋がまた可愛かったので一緒に写真を撮ってシェア。

画像2

今回のカフェ。

ということで今回のカフェです。なんと来店人数200名越え!(笑)チャット欄で聞いてみたところ、ジャカルタ、インド、 バングラデシュ、ベトナム、中国から参加しているかたがいました!ちなみに、下の画像のみなの背景にある絵画は、同じ絵をみなとパートナーがそれぞれ描いたものを飾っているのだそうです。

画像5

実はインドネシアで小学校時代を過ごす前、オーストリアのウィーンに5歳まで住んでいたそうです。現地のドイツ語の幼稚園に通っていたそうですが、しかしドイツ語は全く覚えておらず、当時の記憶も全くなく…。今住んでいる石川を思い出すような、雪で遊ぶみなの写真を見せてもらいました。

そして小学校3~6年までの3年間をインドネシアのジャカルタですごしたそうなのですが、これがお話しを聞いたところかなりみなのベースを作ってきたんだなあという風に感じました。外では日常的に自分と同じ世代、または年下のの子どもが路上生活をしているのを目の当たりにしたり治安が悪いことから社会のリアルを感じたり社会問題について意識する機会がたくさんあったよう。また、通学していた日本人学校ではハーフや日本全国から集まった方言や考え方がちょっと違って豊かな日本人が集まり、断食するクラスメイトがいたこともあったりと、同じ日本人の中でも多様性を当たり前に感じる機会があったようにみえます。当時は日本の小学校に比べたら英語に触れる機会はネイティブの先生がいたからあったものの、普段は日本人学校で日本語メインで過ごしていたそうです。

「No Problem!」という意味に近いインドネシア語の「Tidak apa-apa(ティダッアパ)」という言葉。よく皆使っていたそうで、その「何とかなるさ!」という空気感が好きだったそう。ハクナマタタや。

画像6

看板猫のらても興味津々。

インドネシアの影響があり、料理はもちろん、海や自然、アウトドアが好きになったみな。南国を感じられる地域に行くと、「Home」と感じられるそうです。今も旅行でラオスなどに行き、自然を感じていたそうです。ラオスすっごい素敵なところだったので私も行ってみたい。(一方で、絶景の近くで海ごみ・プラスチックの山を見つけて悲しくなったことがあったそう。)

日本の彼女の故郷は茅ヶ崎。海が本当に好きなことが伝わってきます。そして、ジャカルタで感じた想いをなくさず、大学では途上国開発について学びたいと思い、途上国開発や平和構築を専門としたゼミに在籍、カンボジアやミャンマーに海外研修にも行ったそうです。都市部や農村部、民間企業や非営利の団体や国際機関など、バランスよく訪問していった中で、必ずしも「開発」が現地の人たちを本当にHappyにしていない現状を目の当たりにし、「開発」ってどこまで必要なんだろう、と考える日々があったそう。

そして、2年間ゼミに所属した後、大学4年生になって、留学をする決断をします。留学先は、海外研修までを経て興味関心が強まってきた「難民・移民」についてを学ぶことができるフランス。日本国内でも外国人籍の方が増えてきている中で、難民を受け入れているフランスはどうなんだろう、と感じて選んだそうです。また、第二言語がフランスだったこと、提携校の兼ね合いといったところもあったそう。周りの同級生も留学をしていたようで、大学4年生で留学すること、ということにたいしての後ろめたさなどは全然なかったようです。いつまでも時間があると思うと後にまわすのは簡単。今を後悔したくない!とみな。きっと周りに流されない性格もそこから生まれてきているように思います。

海外経験があったものの、やはりフランスでもカルチャーショックに沢山あったみな。日本にいる間は予定を詰め込み忙しくしていたけれど、いざ留学するとバイトもしないし、大学4年で行ったこともあり単位もほとんど取り終えていた関係もありで時間に余裕が生まれたそう。そのような状態でパリの人たちの暮らし方、生き方と出会い、自身の中で時間の考え方が大きく変わったようです。美術館巡りが大好きになり(学生証を持っていると無料で入れるそう)、趣味や好きなことも変わり(歩いてても飽きないからと散歩が好きになったり)…日本に帰国してからも美術館に行くことが好きになってしまうなど、大きな変化を感じたそう。ヨーロッパに行くと太るとよく言われるけれど、たくさん歩いたから太らなかったんだとか(笑)

また、ヨーロッパの住み心地の良さも感じつつ、「シノワ(中国人)」と言われて人種差別をされることもありもやもやを感じたこともあったそうです。ただ、2~3か月経つとフランス人の自己主張の強さに慣れてきて、「いや、私は日本人だよ」と主張するようになったそう。一方で、日本のアニメが好きで、日本語学科がある大学で学んでいたこともあり、優しくしてくれた人もたくさんいたそうです。中国人と呼ばれることに嫌だったか、という質問がありましたが、そもそも日本人ではなくベトナム・タイ・フィリピン人と間違えられることが多かったみなはそこまで抵抗はなかったそう(笑)。ただ、フランスの人が「アジア=中国人」とひとくくりにして考えていることに対しては違和感を感じた一方で、フランス人とイタリア人を間違てしまうような感覚が日本人側にもあるよな、と思うようになり。自分のひとくくりにしてしまうような考え方についても振り返られる機会になったね、と話しました。

勉学で留学したところもありつつも、みなの話を聞いていると、現地の友達の家族のホームパーティーで感じた家族のあたたかさや、芸術との接点、時間の余裕などから自分の心の変化を感じているようにみえるので、むしろ大学での学びよりもそれ以外の場所で、今のみなを作るたくさんの影響を受ける何かが沢山あったんじゃないかと思いました。

画像8

そして帰国後、学生時代を振り返り、自分が惹かれるのは国際機関のような大きな組織や非営利などで現地に入っている団体ではないことに気づき、(高校時代にJICAに就職したい!と先生に言っていたそうですが)民間セクターとして社会問題をビジネスで解決するソーシャルビジネスに関わりたいと思い、民間企業への就職を決めたそう。ただ、インフラなのか、エネルギーなのか、領域において特にこれをやりたい!という1つの強いものが思い浮かばなかったみなは色々な業界に携われるコンサル会社に新卒で就職。2年間東京・丸の内働くようになり、散歩をしたりと時間に余裕を持つ感覚を忘れかけるようになったなと逆カルチャーショックを経験したと話してくれました。でコンクリートジャングルの中で働く日々から、意識的に会社の外との接点を持とう、と留学の同期などと定期的に会って情報交換をするイベントに参加したり、母校に留学体験を話しに行ったりと活動していたそう。

今のパートナーと出会い、結婚、そしてパートナーの住む石川へ。そのあとにパートナーの2020年4月のインドへの赴任が決まりましたが、新型コロナウイルスの関係で着任延期。なかなか先が見えない中、会社を辞めて働いていなかったこともあり、友人知人もつながりが非常に少ない石川で、外国の観光客の激減と緊急事態宣言の影響で軽々に苦しむ飲食店のためにテイクアウトができるお店の情報を集めたWEBサイトを有志で作ったそう(発生した費用はサーバー代などの最低限のもののみ!)。まずは「自分に社会に貢献出来ること、できることをしなきゃ」という想いで取り組み、地元とのコネクションも増やすことができたそうです。結局そのWEBサイトは今は閉じてしまっているので、継続的に運営ができなかったことに関しては「失敗」ととらえられるかもしれませんが、みな曰くやったことにはみな自身が後悔をしていないし、その時だけであったとしても石川の飲食店を少しでも救うことができたと考えているようです。らて「失敗ととらえるか、学びととらえるかだね」。

そして今はインドに行ける日を待ちながら、もともと興味関心があった社会起業分野に関われる、日本のソーシャルビジネスで有名なボーダレスジャパンさんや、自分の興味から自ら連絡を取って関わり始めた、フラワーサイクルアンバサダーとしての活動を開始。自分のやりたいことに近しいことをっやれている人たちと関わる中で、「お金を生みながら社会解決ができるって一番持続可能な形なんだな」と感じたり、非営利だったりすると「途絶える瞬間(スポンサーの支援など)」が起こりうると感じて、ビジネスでできるものならお金を生みながら課題を解決していけるのはやはりいいなと感じるようになったそうです。

ある意味、「待ち」の状態であり、自分の描いていた道がどんどん後ろ倒しになっている状態のみなが考えているこれから。直近でこれをやりたい、というものはないそうなのですが、金沢での地方の暮らしを通じて地方の良さを感じつつ、環境問題や気候変動の領域に関心がここ1年で強くなり、首都圏にも自然と共生する学びの場が作れたら、数年でできたら、と考えているそうです。そのために今は情報を収集中とのこと!

最後に見せてくれたのは、そんなみながパートナーと開催した、エシカルウェディングの写真。印刷会社で廃棄される予定だった紙(傷つきや誤差で出た紙)を使った装飾や、綺麗なのに売れ残ったという理由だけで廃棄されてしまうロスフラワーを救い、活用した装飾や引き出物の飾り。とてもあたたかい雰囲気が伝わってきました。CRAZY WEDDINGさんと一緒に創ったそうです。

画像8

最後にみなからメッセージ。「どうやったら行動できるのか」「勇気を持てるのか」という質問が多かった中で、(後先心配するとはもちろんみな自身にもあるけれど)大切にしているのは自分の中でワクワクする、楽しそうと思えることにはどんどん関わるということ。アクションに移すときには自分がワクワクした・楽しそうなことに関わっていそう・近しい人にコンタクトを取ってみること。ロスフラワーを結婚式で活用することに関しても、過去に実績があるかどうかもわからない状態で自分からインスタでDMして直談判したそうで、あまり躊躇せずに新しいことにトライしてみることは大事かなと思っているそうです。そして、新しいこと、新しい人や物・コトとの出会いが好きなみなは、それを素直に日々楽しんでいる。「自分が何をしたら楽しいかな、ワクワクするかな、ということを大事にするといいのかな」と伝えてくださいました。

1時間というあっという間の時間の中で、何度もみなから伝わってきたメッセージは「今、自分が、後悔していないことをやりたい」ということ。あの時、ああしておけばよかった、というのが、嫌だそうです。ジャカルタの時から「自分がどれだけ恵まれているか」を考える機会があり、何かできる環境があるのであればお金や時間が許す限りチャレンジしてみたいという意識が強くなったのではないか、と自分でも分析していました。恵まれた自分の環境をいっぱいいっぱい生かそうとしているんだね、とらて。チャレンジ精神、一歩踏み出す勇気、色々な言葉がありますが、みなの根本的な考え方には「いま、わたしは、これをやりたいか」と、自分に問う、自分に矢印が向いていることと、そこで決めたことを自分のできる範囲から全力で取り組むエネルギーが伝わってきました。「日本では、失敗しても死なないもんね!」とらて。確かにね!


中締めをした後のアフタートークでは、「みなは海外で働こうとは思わなかったの?」と私からの質問から始まります(笑)。そこはフランスに行ったことが大きかったよう。フランスのワークライフバランスを見て、インドネシア帰国後に染まっていた自分の中での「日本」を外から見ることができ、「日本で働く人をHappyにしたい」と思うようになったそう。「大人になりたくない」という言葉が聞こえてくる、働くということがポジティブにとらえられていない日本で、「働く大人にあこがれる社会になってほしい」という想いが積もりつつ、世間でも「働き方改革」という言葉が聞かれるようになってきていたタイミングだったこともあり、新卒で入社したコンサル会社で人事分野への希望を出したのだとか。海外の方が心地よくてそっちに住むことも選ぼうと思えば選べたけれど、改めてルーツは日本なんだなとフランスで感じて、日本の事は嫌いではないけれど、住みにくい・息苦しいなと思う日本をちょっとでも変えられたらいいなと日本での就職を選んだそうです。

次に、事前にいただいていた質問で、海外に住んでいた人として「同調圧力」を感じたことはありますか、といったものがあったので聞いてみました。すると、インドネシアにいたときに日本人学校に在籍し、関わる日本人の大人たちも「濃縮された日本人コミュニティ」だったことがあり、子どもながらに「見えないヒエラルキー」を感じ気を使う場面が多く、ストレス耐性や察する力がむしろ他の人よりも高く身についたなと感じたそうです。その結果、新卒時代にも察する力を活かし日々業務を学んでおり、お客さんに会った際には新卒ではなく中途と間違えられることがあるほどだったとか!でも同調圧力に限らず、日本社会の中で息苦しいと感じることはもちろんあり、通勤電車の中で殺伐とした空気を感じたり、泣いている子どもの声を聞いた時、ヨーロッパの温かい雰囲気や助け合いが自然と起きる場を恋しく思うと気があったそう。

東京と金沢の違いはありますか、という質問では雪かきと即答!また、東京ではスマホを見ている人、我先に歩いている人、ベビーカーに目を配れていないサラリーマンを見て殺伐とした空気感を感じた一方、金沢では切符を切る駅員さんと「ありがとうございました」と声をかけたり、環境問題とかのトピックでも出てくる「逆戻りしてもいいのではないか」という話を、地方に住んで感じることが増えたそう。便利さを知ると逆戻りするのは難しいけれど…物質的な豊かさってどうなんだろう、と考えるきっかけがインドネシアに住んでいたことからあったのかもしれないとも話していました。

また、日ごろ習慣化してやっていることはありませんか、という質問で、留学期間中に毎日自分自身が日記をつけていたこと、それを今も続けていることを紹介してくれました。自分が新しく発見した「something new」を1つでも見つけて記録に残す。観たものでも出来事でもアイデアでも、何でもOK。それだけで普段歩く道や普段の生活がまた楽しく彩り豊かになると。前向き・ポジティブなエネルギーがそこから出ているなあとらてと私はほっこりしました。

アフタートークも含めると1時間半というあっという間の時間でしたが、みなの話やライフストーリーから”「I(私)」を持て”、という「姿」が伝わってきました。これがまた、とても強いメッセージというか、「自我」のイメージがあるのに、画面の向こうのみなは、ゆっくり話すし、とても温かいオーラを持っているし、安心感があるし、とても素敵なんだよなあ…

インドに行くことができる前に、金沢に会いに行きたくなりました!!

画像4

画像4

最後、みなからカフェ中に応えることができなかった質問の回答をいただいたので、このnoteの最後に紹介させていただきます!

そんなカフェの様子は

当日のカフェの様子は、こちらにて!

もっとみな

今後のみなを応援したい!という方は、まずはみなのInstagramを。

そしてnoteでも発信を始めているので、ぜひフォローして応援してください!


次回のカフェ。

ということで、次回のカフェ。3月10日20時からです。大岩根尚さんをお呼びします!

実は私も知り合って半年経っていません笑 鹿児島に移住したばかりのころ、硫黄島が好きすぎて移住したんだよね、と自己紹介してくださったひさしさん。よくよく話を聞いてみると、南極観測隊に参加していたとか。以前Cafeをしたときに、「南極に行った方の話を聞きたい」とアンケートに書いてあったのを見て、真っ先に「ひさしさんじゃないか!!!」と思い出し、お声がけさせていただきました。実は私もまだまだ知らないひさしさん。一緒にひさしさんが見た世界の海の航海の話を聞いてみませんか?

お申込みや詳細はこちらから。

来月も楽しみです^^


みなからいただいた回答

いつも100人前後の来店される皆さんと作っていたカフェですが、今回は300人近くが参加され、質問の数もいつもより3,4倍ということで、1時間で答えることができなかったものがたくさんあるので、みなに相談をして、カフェ閉店後、いくつか答えていただきました。

直接的な回答になっていないものもあるかもしれませんが、ぜひYouTubeにアップされた動画をみて、みなの「答え」「メッセージ」を聞いてみてください。

まずは、みながInstagramで回答されていた画像をシェア。ストーリーに上がっていました。

画像9

画像10

画像11

画像12

画像13

つぎに皆さんから事前にいただいた質問を。

◆留学について!
・留学にあたってはやはり日常会話程度は英語でできるレベルでないと難しいでしょうか。
→英語の語学力に関しては語学習得を目的とした留学と、何らかの学問を学ぶため現地の講義を現地の言葉で受講するのかで異なると思います。
上記によって事前準備や求められる語学力が変わってくるため、「何を目的にどういった留学をするか」「何語圏に留学に行くか」を明確にした上で検討されるのがよいと思います。

・留学した経験がのちに仕事で役立ってるなと思う場面や留学時の自分が活かされてるなと思うことを教えてください。
→就職後に留学経験いきたと感じたのは大きく2つ。
①いろんな考え方や価値観の人がいても動じない、歩み寄る方法を探れる
就職してから逆カルチャーショックのような場面や、ああこんな価値観もあるのか…(遠い目)と感じる場面は多々ありましたが、そういうのも含めて多様性!と捉え、あまり動じない、怯まないでいられたのは留学の経験によるものだと思っています。
否定することや避けるのは簡単ですが、職場においてはいろんな価値観がある中でどう歩み寄り物事を円滑に進められるかが重要なので、そういった場面では留学経験は活きていたと考えています。

②忙しい中でも自分を大切にしながら生活できた
コンサル時代は正直時期によっては、土日も仕事/終電帰り続くタイミングはありました。
帯状疱疹になったりしたことも。。笑
そんな中でもふと留学中(フランス人のライフスタイルなど)を思い出して自分を大切にしようとリフレッシュする時間を意識的に持てたことは自分の中で大きかったです。
そしてその考え方を留学で得られたからこそ2年目あたりで「自分が好きな自分」や、「こんな大人でありたい」という理想像から少しずつ遠ざかってることにも気づけました。
そういったことから思い切って退職し、旦那の赴任についてインドへ行こう!と決意できました。


◆みなの「グローバル人材論」について!
・グローバルな生き方をするために必要な資質は
・海外で仕事をするために語学以外で必要なもの
→適応力(特に新しい環境を楽しむ力)、寛容さ、図太さ


◆語学の勉強方法!
・私は自分の好きなものから入るタイプだったので、フランス語習得の際は移動中など(普段は英語で聴いている)好きなディズニーソングなどのフランス語⇔英語交互に聴いていました。
映画をあえてフランス語字幕で観るなどもしていて、日常会話を習得するには役立ちました。

◆フラワーサイクルアンバサダーについて、エシカルについて、ソーシャルビジネスについて!
・お花に興味をもたれたきっかけを聞きたいです。
→自身の結婚式準備がきっかけでした。
・どのような思いと経緯でフラワーサイクルアンバサダーになられましたか?
→結婚式の準備をしていた際に、1日限りで廃棄さられてしまう花(あるいは卸されず花農家さんで廃棄されてしまう花)が多いことにショックを受け、まずはこういった現状をより多くの方に知っていただくきっかけを自分も作りたいという想いでした。

◆みなが考える、コロナとこれから
・海外に行けない今だからこそ心がけていること、やっておきたいこと
→日本の良さの再発見。
私は幼少期約6年を海外で過ごし、その後も10年以上近しい親戚含め首都圏が拠点だったことから、地方に行く機会は稀で旅行で数日間滞在する程度でした。

金沢に住んで初めて北陸の魅力を感じ、義実家のある滋賀でも琵琶湖をはじめ大自然を目の前に、日本にもまだ自分が知らない様々な魅力や可能性があることを感じました。


改めて、みなに感謝です!

そして、たくさんの質問をくださった皆様にも感謝。

今後も、楽しいカフェの時間を毎月作っていきたいです^^

こんな私ですが、ぜひサポートお願いします。 いただいたサポートは、自分に沢山の学びと気付きの機会を与えてくれた人や団体、そして社会に還元していきたいです。