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バックキャスティングなタイプではないから。「その時一番いいと思う決断をする」~IIBC Cafe Globe #21 木勢 翔太さん

7月10日は20代に入りました、第21回目のIIBC Cafe Globeでした。

Cafe Globeを開店することに至った背景はこちら

今回のゲスト

今回のゲストは木勢 翔太さん。私はきせっちゃんと呼んでます。

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人生の夢は持たずにその時々の出会いでいきあたり”バッチリ”な過ごし方で気づけば29歳。東京生まれの都会っ子。
大学卒業後は、外資系TV通販企業に就職。マーケティング部門で既存顧客のリテンション施策などを担当。2018年にトビタテ!留学JAPAN事務局に転職。個人寄付の立ち上げに従事。トビタテ生の姿に影響を受け、海外渡航を決意。JICA海外協力隊でモザンビークに赴任。現地ではお魚市場で動画撮影などを行なう広報担当。2020年3月コロナ禍に伴い、僅か4カ月で一時帰国。再派遣の道は諦め、今に至る。現在は株式会社雨風太陽で親子地方留学事業を担当し、岩手県と東京を往復中。趣味は小4から続ける合気道。

きせっちゃんと私

私が2019年まで働いていた、学生の留学を支援する奨学金を運営している「トビタテ!留学JAPAN」で、一緒に働いていた、きせっちゃん。トビタテ生に影響を受け海外に行くことを決めてほぼ同時期に退職したものの、お互いコロナ禍にがっつり影響を受けてしまいました。20年の緊急事態宣言下、お互いにこれからどうしていくかわからない中、一度ゆるーくオンラインで話していたのですが、今回は、改めて、このカフェという場でお話ししたいと思い、お呼びしたのでした。

今回のお茶

Cafe Globeでは、ゲストのゆかりのある「お茶」と、ナビゲーターの私がその時おすすめしたいと思った「お茶」を交換して、飲みながらお話をしています。

今回私が送ったのは、美山という、薩摩焼を作る人たちが住む街で去年OPENした日本茶スタンド、HIOKI CHAHOの水出し緑茶。

インスタが素敵なのはもちろんですが、以下の紹介記事もぜひご覧ください。店長に直接このカフェの事を話したら、7月の初夏にぜひ飲んでもらいたいからこの水出し緑茶を!と進めてもらったのでした。

一方きせっちゃんは、すごい素敵な箱で新茶を送ってくださいました。

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「日本で最北端のお茶処」である新潟県村上市の村上茶さん。2年前にワ―ケーションにきせっちゃんが行った時に出会った素敵なお茶屋さんだそうで、「日本海に面して冬はすごい寒いところなんですけど実はお茶ができる」ということだそう。とても飲みやすい優しい味の煎茶でした!しかも新茶✨

今回のカフェ。

さて、今回のカフェです。

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きせっちゃんは東京生まれ東京育ち。4歳下の妹がいる長男さん。小さい頃は毎年夏休みなどの長期休みにYMCAのキャンプで栃木や長野に1,2週間親元離れていくといったことをよくやっていたそう。
自分も初耳でしたが叔母(お父さんのお兄さんの奥さん)がオーストリア人のきせっちゃん。何を言っているかわからないけれど英語で可愛がってもらい、小さいころから海外は身近に感じつつ、正直留学や海外で働くことについては「全然」興味がなかったそう。大学になって「留学」という手段を知るまでそうした感覚は一切持たなかったのだとか。

ということで、きせっちゃんの本格的な初海外は大学生になってから。英語のスコアが高くなかったので、長期に行きたかったけど短期のショートプログラムでアメリカのシアトル(!)へ。University of Washingtonの夏の3週間のプログラムに参加し、観光もするという、ツーリズムとスタディプログラムが一緒になったような経験をしたそう。

この経験を経て、海外で働くことにも興味を抱きつつ、新卒として就職したのはQVCジャパンというアメリカのペンシルバニア州に本社がある外資の会社。そこの日本オフィスに就職し、将来英語で仕事ができたらいいな~ペンシルバニアに行けたらいいな~と思いつつ営業職で働きはじめます。ただ、働き始めてからペンシルバニア州に行けたことはなく笑、行けたのは大学卒業前に卒論の関係でアメリカに行った時についでに寄ろうと本社に直接伺い半日見学した時のみ。ということで、2,3年働いても全然いける気配がない、とモヤモヤして退職に至るという。また、外資系企業は職務も時間もきちっと決まっていて、ワークライフバランス的には非常に素晴らしい会社と思いつつ、「頑張りたいのに頑張れないのが逆にもったいない」「今の自分のフェーズではもっと働きたい」と思い、次のステップを決めたい、と国際系・貢献系の転職先を探すべくETICの転職サイトDRIVEを見て、トビタテ事務局に至ったそう。私とトビタテ事務局の求人を見つけたところが同じ!笑

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ここで参加されている方から副業・セカンドジョブは許されていなかったのかとの質問が。多分許されてはいただろうが、している人がいなかったとのこと。そういうことより、つまり、自分が留まるより、違う会社に行ってチャレンジしてみたいという風に選んだのだとか。外資系企業で働いたことで、ジョブホッパーというか、1,2年で仕事をどんどん変えていく先輩や30~40代の方を沢山みて囲まれて働いていたことで、転職に対する怖さなどを感じることはなく、臆せず次に飛び込めたのもそうしたところがあったのではないか、ときせっちゃん。環境の与える影響ってすごいな…

ということで、転職した先は、キャリアアップというよりはもはやキャリアダウン。業界も違うし、事務職という業種も違うし、給料も低い。あえて選んだのが、トビタテ!留学JAPANの事務局でした。後にこのキャリア「ダウン」に勝る様々な出会いやJICAでのお仕事につながるきっかけが出てくることになります。

さて、「トビタテ!留学JAPAN」事務局は、きせっちゃんの言葉を借りると
「高校生、大学生の留学を応援する官民協働の組織で、主に企業さんからのご寄付をもとに高校生大学生が自分のやりたいこと、海外でしたいこと審査され、それに受かったら奨学金としてお金をお渡しして、留学をしていただく、まさにその事務局を担う組織」。当時は30~40人くらいでやっていて、私ともここで出会います。

きせっちゃんは寄付を集める部署にいて、当時新しく個人の寄付の仕組みを立ち上げる担当をします。留学に関心のある方、社会人、5,60代のシニアの方々で若い世代を応援したい方からの「応援」を受け取る仕組み作りです。最初は企業の皆様からのご寄付からスタートしたプロジェクトですが、今後、「コミュニティ」で応援していくという形を作っていきたい、と当時は考えていて、共感したきせっちゃんは、その「新しいチャレンジ」ができたのもとても面白い経験だったと振り返ります。
ちなみに私はそもそも「留学」という選択肢を多くの人に知ってもらう広報の仕事。広報も、きせっちゃんの寄付も、「より多くの若い世代に『機会』を作る」仕事でした。本当に貴重な経験だったなあと。

この事務局に、きせっちゃんは(私もだけど)2年で卒業します。その理由を聞くと、「正直に言うと悔しかったから」。「同い年の子がいっぱいトビタテ生でいたし、実際海外行って充実して戻ってくるっていうのを、私はじっと見てられなかったっていうところです。本当に言葉悪いけどひがみも入ってたと思うから、じゃあ自分も行けばいいじゃんて思ったかな。」私が飛び出そうと思った理由と同じで驚きました。

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そこで選んだのはJICA。色々な海外協力隊のタイプがある中で、主に渡航期間は2年の仕組みが多いので、留学という学問を修める形で海外に行く手段よりは仕事をしたいと思っていたきせっちゃんにとっては渡りに船。職種によっては使える言語の指定などもあるけどそこまでシビアじゃない、トビタテのような年齢制限もない、そんな大きく門戸が開かれてる協力隊にすごい魅力を感じ、「これだ」と思い申し込んだそう。

申し込んだ次は選考です。コロナ前なので今とは違うかもしれないですが、きせっちゃんは書類審査→面接面談の審査で決まったそう。その時のことを聞くと、「圧倒的に受かった後の訓練の時が辛かったので、実は受かる前の辛さはあんまり覚えてないってのが正直なところで…」…?!後ほど詳細を聞くことにして、自分はこれだから通ったのでは?と言ったところがないかだけ思い出してもらいます(笑)。すると、「面接の時に過去の職歴を話さず大学生の時の活動について話して、だからこの職種に興味があるということをはっきり伝えたら、面接官のうちの一人の専門家の方がすごい共感していい時間になった」ことを覚えていると。大学の時の活動とは、「東北食べる通信」という食べ物と情報誌が一緒に届くサービスを提供しているところで学生インターンをしていた時の事。そこの事を卒論にも書いているほど、自分の原点であったと伝えたのだとか。たまたま面接官の方もその団体を知っていて「だからそうなのね!」と理解いただけたのがきっかけだったのかもしれない、と!熱意を伝えるってやっぱり大事だなあ。

ここで参加している方から沢山質問をいただき、答えていただきます。まず倍率。職種が100種類以上あるので職種別に倍率は異なりますが、きせっちゃんが応募したところは1.〇〇倍くらいなのでは、とのこと。人気の職種は20,30倍したり、元先生が先生の枠を応募するところ等の教育系の職種は倍率が高いとか、コミュニティ開発という職種も人気があるとか、色々と情報を教えてもらいました。きせっちゃんは「受かりたかった」からそうした倍率の高いところよりもあえてニッチなところを選ぶという下心があったんだとか。また、「大学生でチャレンジって難しいですか?」という質問に対しては、「全然大学生もたくさんいますので是非」とのこと。「受ける分は損しないので出していただいて構わないかなと」。確かに。応募に費用とかかからないもんね!!!私も応募しようかなあ。

ではいよいよ、現地でどんなことをしていたのかというお話を。
きせっちゃんは行政サービスという職種でモザンビークに渡航します。発展途上国の行政機関に籍を置き、何かしらの仕事をするというものだったそうです。と言いつつジャンルが幅広く、「行政の」という縛りがあるのが特徴。そして、モザンビークにある日本のODA(=日本のお金)で建てたおさかな市場・水産市場で、お客さんに来てもらえるように広報の仕事を担当します。新卒で営業をしたりしていたので日本の知識経験が役立ったんじゃない?と聞いてみると、なんと、「一切なかった」と!そもそも、その経験以前に、コロナの為4ヵ月しか滞在できずだったのでした。でも、その4ヵ月の間にやっていたことを聞くと、動画編集(日本でやったことなし)をしたことを教えてくれ、実際に動画も見せてもらいました。

ここで、気になっていた、「ヤバかった研修」について聞いてみると、なんと「言語」。モザンビークの公用語はポルトガル語。ブラジルでの公用語もポルトガル語ですが、モザンビークのポルトガル語はヨーロッパ側、つまりポルトガルの語学体系に近く、日本国内でポルトガル語の学習本を探してもブラジル系が多くなかなか参考にならない…と。同じポルトガル語でも、発音や文法など、イギリス英語・アメリカ英語・オーストリア英語のように違うところがあるんだ、と驚く私です(でも確かにそうか)。2019年9月にJICAに入り、11月まで、JICAが持っている訓練所(長野or福島)に籠って言語をひたすら頑張ったきせっちゃん。言語以外ももちろん学んだけれど、言語がきつかったと。「大学の受験以来勉強した」とのことで、きせっちゃん流の勉強方法を聞くと、なんと大きな模造紙を買い、ポルトガル語の活用を全部書いて自室の寝る前も起きたときも目に入るところに貼り付け、毎朝毎晩唱えていたそう。その勢いはルームシェアをしていたルームメイトから「マジでヤバイ」と引かれたほど。しかし、モザンビークについてからいざポルトガル語を使うぞ、と話しかけてみると、なんと、全然使われておらず、現地語がメインだったそうで、「あれ?!」とショックを受けたそうです。それはくるな…。

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さて、言語の話の流れから、実際に仕事でどうやって現地の方とコミュニケーションを取っていったのかも聞いていきます。きせっちゃんは首都にいたので、とても発展が著しく、発展途上国だと思えない立派なビルがある一方、地元の方々が住んでいる地区とかもあり(土埃が多い)景色も見たそう。民族衣装の「カプラナ」がっても色彩豊かで、女性の方は長スカートにしている方もいて、そうした方も普通に見れる、とても明るい「いい感じ」の場所だったそう。そんな現地で、そこまで真面目?に「仕事しろ!」という空気感ではなかったこともあり、時間もある(と当時は思っていた)ので、きせっちゃんは最初はまず市場内にいる130人の色々な人一人一人に「木勢翔太を覚えてもらおう」と対話をしたり雑談をしたり、ということを意識していたそう。「Japan/日本という国から来たんだよ」「中国じゃないよ」「あなたはどこから来たの」「現地語教えて」…きせっちゃんは首都にある水産市場にいたので、地方から上京してくる方もおり、7言語ぐらいが飛び交う、これまた多様なな環境にいたそうで、それぞれの言語も教えてもらったりしたそうです。

きせっちゃんの現地で与えられたミッションは、「おさかな市場を知ってもらう」こと、そして初代の隊員さんが立ち上げたFacebookのページを有効活用し「新しいお客さんをおさかな市場に呼ぼう」ということだったそう。実際にそのFacebookページを見ながら2人で語ります。日本語での発信もしていたそうです。一番最新の投稿は2020年の冬。コロナに負けずにがんばれ、と日本に向けて発信している動画でした。どうやらコロナで更新が止まってしまっているようでした。その最新の投稿は、きせっちゃんが書いたものだそうです。そこに載っている動画もきせっちゃんが字幕を付けたそう(ただこれも全然文字起こしができず後で聞いたそうです笑)。

この動画の投稿後には、急遽帰国の指示が出て日本に戻ることになるきせっちゃん。4ヵ月という短い間の現地での活動の中で、印象に残ったことを聞いてみました。「モザンビークは行政機構ががしっかりしてるので日本と割と似ていて、上の人が言ってることを忠実に守るとかそういうカルチャーも持ってたりしたな」ときせっちゃん。おさかな市場も日本のODAで作られた建物ということで、使い方が粗雑な方がいたりすることを受けて、「みんなできちんと使おう」とタウンミーティングの定例会をしたり、他にも市場で問題になっていることを前向きに民主的に取り組んでいる姿が印象的だったそうです。

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最初は周りが留学に行くのを見て自分も行きたいし悔しいという想いがあった中で、やっとモザンビークに行けて、気持ちを晴らすことはできたの?と聞いてみると、「1日1日がドラマチック過ぎてその気持ちはなかった」と!
スリ・置き引き・無銭飲食など、色々な人がいるからこそ様々なトラブルが毎日あまりにも起きて「麻痺してた」のだそうです・・・!言語がわからないので「なんか騒いでいるけどなんか凄そう」みたいなこともあったそうです…。そうした日本だとなかなか体験しない(?)環境の中、きせっちゃんが意識していたのは、趣味で小学校4年生の時からブランクがありつつも20年近くやっている合気道。現地でも週に3回出来る機会があり、気持ちを整える機会にできたそうです。「自分の趣味というか、1個でも大切なことがあると、環境が変われどそれができるのであればすごい支えになるっていうのは感じたかな。」それは読書とかでもいいかもね、とのことでした。私もニコニコ動画やアニメや漫画が救いだったな…

おさかな市場の動画や写真を色々みせてくださったので、その流れで色々現地の事を聞いていきます。
現地の人はお魚を塩・コショウ・レモンでグリル・炙って(匂いが強いものにはニンニクも)魚を食べるのが多い、とか、日本の築地みたいな混んでいる感じではないんだね、とか、衛生環境もちゃんと配慮された建物だから氷もあるし掃除もできるように水回りもできているんだよ、とか、お客さんがその場で頼めて近くのレストランで調理して食べれるような観光施設的な要素もあるのだ、とか、教えてくれました。観光地にも現地の人たちの生活の要にもなっているんだなあ…「でもやっぱ結構高いからやっぱり観光客がメインかな」

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そうして現地の方との関係性を構築していく中で、「明日帰国してください」というような感じで、新品で買った洗濯機なども現地に置いてきたまま、日本に帰国せざるを得なくなった…と。2020年12月3日に赴任し、3月20日に日本へ。当時まだモザンビークでは「アジアで流行ってるよ」程度の認識。なので、「何で帰るの!?」という感じではあったそうですが、帰るの飛行機の中で「もう無理だな」「すぐ帰れないだろうな」「コロナは長引くだろうな」と察したそう。翌週には、全JICAの派遣員も帰国。国境が閉鎖されましたね。

ただ、コロナどころではなかったのがきせっちゃん。どうやら、蚊に刺されて掻いてしまったところから菌が入ってしまったのか、背中にできもの(ゴルフボールサイズの膿!)ができてしまい、モザンビーク現地で外科手術を受け、精神的に参ってたところがあり、「正直帰ると言われて言葉を選ばずに言うと『帰れる―』、とホッとした」そうです。

そして、きせっちゃんはJICA隊員の卒業を決め、コロナが落ち着いたらまたモザンビークに戻るという選択をしませんでした。「30歳っていう区切りまでに何ができるかで、その海外協力隊に幸いにも選ばれて行けるってなったから、こうして途中で帰ってきたわけだけど、『待って、もしも戻れるのだとしても20代の貴重な時、待つ時間って何だろう?』と思ったら、行けなくても国内でもできることあるんじゃないのかなって思って、早々にそっちの方面に舵を切ったって感じかな」。また、訓練の時に60代のシニアの隊員の方が若者に交じって同じプログラムを受けていたことを見てすごい!と思ったことがあったことを思い出し、「今じゃなくても思い立った時に行けるんだな、行けばいいんだな」と思えたことも大きかったそう。

「待たない」と決め、行動に移したきせっちゃんは、福岡に本社がある小さなベンチャーに入り、東京でリモートワークで働きます。「Slack」はじめ様々なデジタルデバイスを使いこなす会社に入り、それはもういい刺激になったのだとか。当時転職市場も(私も経験者なので)かなり厳しく、色々受けたけどあまりうまくいかず、たまたま拾っていただいたところだったそうです。そして、今はJICAの面接でも話した、大学時代、「東北食べる通信」を発信していた会社へ!「あれ木勢君戻ってきてんの」と学生時代にお世話になっていた方からお声がけをいただいてたどり着けたそうです!今はそこで親子地方留学という、「親子で日本の生産現場に行って生産者さんと一緒に食べ物作ってる様子を自分の体と手と五感使って勉強しよう」というプログラムをやっているそうです。

コロナ禍の中ですでにもう1度転職をしていて、そのジョブホッパーな感じがあるきせっちゃんの今後を聞いてみると、「正直わかんない」と。「なんか掲げてそれに向かっていくのはすごい嫌なので、未来像を描いてそこに向かって逆算的に考えて行動するようなバックキャスティングではなくこっちが積み上げ型で今やっていることをきちんとやって、次何か見えたら自分のその時一番いいと思う決断ができればいいかな」。それこそ、私たちが働いていたトビタテの事務局では、「あれしたい」「これしたい」「そのために海外に行きたい」という強い想いがモチベーションやエネルギーになっていて、それも間違いないとわかるけれど、「自分はそうじゃないからこそ別のやり方でと思っている」「弱気なだけで本当に決めるのが怖いんです」と。今の自分が一番やりたいと思うことに一直線に移っていきたいという考え方。その場に来たものにバッと向き合うタイプ。そういう生き方でも全然楽しみようがあるよなあ。

Cafe Globeの看板猫ラテも以前のゲストと話していた時に出てきた「プランド・ハップンスタンス理論」をまた上げてくれて、ご縁を引き寄せるところ、バックキャスティングではないところ、思いがあってもなくても楽しくキャリアを積んでいけてるところが素敵だなと感動。

最後にきせっちゃんからメッセージで締めくくります!
「皆さんにとっても何かの気づきになってれば本当に嬉しいなと思います・個人的にはキャリアを考える上では本当に悩みは尽きないし、これだって思うものは、絶対とかはないと自分は思っているので…。その時々で自分が折り合いがつければ後はどうにでもなるっていう風な思いの考えの持ち主なので、そんな感じ方考え方もあるんだなと思っていただければ、何かの足しになれば、私としては今日お話しして本当にありがたかったと思っております。」

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カフェの後の懇親会には同じくJICAで派遣されていた同期さんで、「待つ」を選び、無事渡航できた方のお話を聞いたりと、もうまた刺激的なお時間をいただけました…!

今回のカフェで、私個人がすごいハッとしたのが、「20代の貴重な時待つって何だろうって思った」というきせっちゃんの言葉。大学時代、留学に行くことができなかった自分は、留学組に負けないぐらい日本で充実した学生時代を送ってやる!と学生団体に属したりしてゴリゴリ活動し、「僕留学してたけど、やまかな日本でめっちゃいろいろやってて正直羨ましいって思った」と友達に言われて優越感に浸ってたりしていました(嫌な奴。)。今回、30の歳でアメリカに行くぞ!と思ったら行けなくなったのに、なんだかんだ迷子になってもう2年経ってます。それはきっと「また行けるかもしれない」と「待つ」寄りの選択肢を選んでいたからかもしれないし、バックキャスティングでバリバリやってきていたのに理想の未来像を最後に作り上げるアメリカ留学をひっくり返されて、自分のキャリアがわからなくなってきてしまっていたからかもしれない。今回、きせっちゃんが私と同時期に日本に帰ってきて、この2年間どのように過ごしていたのかを聞いて、もう、刺さる刺さる。でも、私もバックキャスティングではなくてプランド・ハップンスタンス側の人なのかもしれないと思ってみる。Caféが終わった後、思わずきせっちゃんに電話し、二人だけでCafé Globe延長戦をしてしまいましたとさ。

いやー…考えちゃうなあ…。

とりあえず、お茶を飲もう。

そんな当日のカフェの様子はこちらから

懇親会タイムは入っていませんが、最初の1時間の様子はこちらからも観れます!ぜひ!

もっときせっちゃん

カフェ以降もきせっちゃんの活動をみてみたり、応援したい!と思った方へ。SNSはお友達との繋がりのみとのことで、ぜひきせっちゃんが今取り組む活動のフォローを。

そしてぜひモザンビークのおさかな市場のフォローも!

次回のカフェ。

ということで、次回のカフェ。8月10日20時からです。ベビーシッターの先輩のじゅんさんをお呼びします。言われるまで全然自分は気づかなかったのですが、トランスジェンダーさんです。お申込みや詳細はこちらから。

集合写真とかアップしてるのでぜひカフェのFacebookもフォローしてくださいませ~!

来月も楽しみです!


こんな私ですが、ぜひサポートお願いします。 いただいたサポートは、自分に沢山の学びと気付きの機会を与えてくれた人や団体、そして社会に還元していきたいです。