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【エッセイ】よろしければ80年代バンドブームの話をしませんか?②

 中学時代の前半はチェッカーズC-C-Bが大好きで、レコードやグッズを小遣いが許す限り集めていました。そうそう、私のカンペンはチェッカーズだったなー(*´ω`*)

 しかし中2の終わり頃、兄の影響でBOΦWYを知り、ベストテンやトップテンに出演しないようなロックバンドにハマっていくことに…。

 ロックの入り口はBOΦWYの曲でしたが、私を一気にロックオタクにチェンジさせてしまったのは、仙台スポーツランドSUGOで8月に開催されていたイベント『ロックンロールオリンピック』でした。

 1986年当時、BOΦWYARBが好きだった兄は友人たちと仙台へ。羨ましがった私に「近いうちにNHKで放送されるはずだから…」と教えてくれました。

 放送当日の衝撃は今でも忘れられません。

 BOΦWYだけ観ればよかったはずなのに、いるわいるわ他にもカッコいいバンドが…。

 な、なんか凄い(*≧∀≦*)

 ちなみに1986年の出場バンドは…

ローザルクセンブルク、アップビート、ルースターズ、アクシデンツ、ラフィンノーズ、ストリートスライダーズ、ECHOES、遠藤ミチロウ、シーナ&ロケッツ、ARB、BOΦWY…

 更に『WONT'BE LONG』がヒットする前のバブルガム・ブラザーズも出場していました。彼らは兄曰く「歌よりもMCの方が盛り上がっていた」らしいです( ̄▽ ̄;)

 この番組を録画したビデオは何度再生したか分かりません。そして高校受験を控えているにも関わらず頭の中はロック一色に…。

 高校生になったら、私も仙台に行く‼️  

 そう、心に決めた私でした。

 このnoteはそんな私が1987年に初参加したロックンロールオリンピックの思い出話です。多少記憶に間違いがあるかもしれませんが、80年代邦楽ロック好きだった皆様に楽しんで頂けたら幸いです("⌒∇⌒")

ロックンロールオリンピックとは?

かつて仙台都市圏にあるスポーツランドSUGOにて毎年夏に開催されていた、バンドブーム時代を代表する野外ロックフェスティバルである。特設ステージはその真ん中から客席の中央まで『花道』があるのが特徴だった。1981年初開催。バブル崩壊およびバンドブームの終焉と共に第14回となる1994年をもって終了した。

 すいません。ここ↑だけはWikiの力を借りました(笑)

 私は87年~89年の計3回参加しましたが、ネットが存在しない当時、チケット発売などのロックンロールオリンピック関連情報をどうやってゲットしたのか全く覚えていないのですよ( ̄▽ ̄;)

 チケットの金額もいくらだったか忘れてしまいました。ただ出場バンドの豪華さの割にはそこまで高くなかったはずですが…。

 チケットには出場バンドの名前がズラズラと並んでいて、手にした時はめちゃくちゃ感動しましたね。

 あーぁ、半券ちゃんと取っておけばよかった(T△T)

 そして1987年の参加バンドは…

リアクション、パーソンズ、アンジー、ブルーハーツ、ローグ、レッドウォーリアーズ、ザ・ロックバンド、シーナ&ロケッツ、ECHOES、JAGATARA、ナーキ&トマトス、竹田一夫&ボーイズ・オン・ロック、ARB、BOOWY

 最後の3バンドは『シークレットバンド』として名前は伏せた状態。開催日が近づくにつれて竹田一夫氏とARBの名前は公表されたものの、BOΦWYだけは最後まで明かされませんでした。でも知っていたけどね(笑)  

 ただしシークレットバンド1枠はストリートスライダーズかと思っていたので、竹田一夫氏と知った時の方が驚きでした(そもそも私、彼のことは知らなかったです(´д`|||))

…と、いうことで、この後はバンド別に思い出を語っていきますね\(^_^)/

リアクション(87年、88年出場)

 JUNNYA (Vo)  YASU(G )  YUKI(B)  UME(Dr) ※1987年当時

 何かの雑誌で「自分たちがロックイベントに出る時はトップバッターかトリの2択のみ」と言っていたリアクション。アマチュアバンド数組の演奏が終わり、ロックンロールオリンピック’87最初のステージは彼らでした。

 私はリアクションの曲は一曲も知りませんでしたが、ステージが始まるやいなや拳が自然に上がっていましたね(笑)

 今でも覚えているのは、リアクションの時だけ『拳の上げ方』が小刻みだったこと…それも早いリズムなので疲れた疲れた(^-^;)。他のバンドはどうなのか分かりませんがヘビメタってこんな感じなのでしょうか?

 JUNYAもカッコよかったですが、私はベースのYUKIに釘付けでした。観客のノリも最高!!サイコーじゃんリアクション…

…だったのですが、演奏の途中で電源が切れる!!というとんでもないアクシデントが彼らを襲います。大量音が突然ぷつっと途切れてメンバーも観客もびっくりΣ(T▽T;)

 その後どうしたかって?

 はい、メンバーは苦笑いをしながら「バイバイ~」と颯爽とステージを後にしました。はいリアクションライブこれにて終了!!

あの時は「オイオイ、電源復旧させて戻ってきてよ」と思いましたが、今思えば、あれが彼らの美学だったのでしょうね。

 リアクションは翌年も出場しています。もちろんトップバッターで。

 2年連続で彼らを見ていた観客は嫌でも1年前の事を思い出したでしょう。私もその一人でした。無事にステージが終わった後で関係者でもないのにホッとしたのを今でも覚えています。

THE WILLARD(出場はしていませんが…)

 JUN(Vo)  SHIN(G)  KLAN(B)  KYOYA(Dr) ※1987年当時

「なんで出場していないバンドのこと書くん?」とお思いでしょうが、WILLARDはオリンピック出場予定のバンドでした。

 当時夜中に放送していた『MUSIC TOMATO JAPAN』(略してミュートマ)でWILLARDの新曲『Silly Games』のプロモーションビデオ(死語?今はMVっていう方がフツーなのでしょうね)を観た瞬間、大ファンになった私。次の日、彼らの12インチシングルを求めてレコード屋に行ってしまう程でした。

 これはオリンピック前の出来事でしたから、WILLARD出場決定の情報は滅茶苦茶嬉しかったです。ファンになったタイミング良すぎじゃん…って。

 ぶっちゃけ一番楽しみにしていたバンドでした。

それなのに…

会場に着いたとき、何やら張り紙が…。

『本日出場予定だったTHE WILLARDですが、JUN急病のために欠場となりました』

    はっ?(゜〇゜;)?????

 日本語で書いてあったのに最初意味が分かりませんでしたね。そのあと涙がこぼれ、しばらくの間号泣。彼らの代打は『ザ・ロックバンド(元アナーキー)でしたが、ステージを直視できませんでした。(ザ・ロックバンドのメンバーは悪くありませんが)

 その後、WILLARDのJUN氏がどこかの雑誌で言っていましたが、あの時出場をキャンセルしたのは、別の理由があったから…とのこと。同じインディーズ御三家だった『ラフィンノーズ』のライブ中に起きた事故に対する世間の反応に抗議したらしいです。

 それにして当日に張り紙(それも手書き)なんて昭和ですね。今だったらもう少し前にネットで告知できたでしょうに。

アンジー(87年、88年出場)

水戸華之介(Vo) 中谷のブースカ(G) 岡本雅彦 (B)藤井がちゃ彦(Dr) ※1987年当時

 私をWILLRADショックから救ってくれたバンドの1つがこのアンジーでした。…とは言ってもここに来るまでは彼らには全く興味がなかった…というかよく知らなかったです。

 「アンジーのライブ中は、すこし休憩しよう」とステージを離れ、レジャーシートに戻っていましたが、1曲目の『祈り』のイントロが始まった途端「ビビビ…」と来てしまいました(表現古っ)

「こりゃ、やばい」と急いでステージへ戻る私…。

 その途中、ブルーハーツのヒロトが客席に現れ、一部が大騒ぎになりましたが、もはや『アンジー>ブルーハーツ』状態になってしまった私は「どけどけ!!」とその人だかりを後にしました。

 アンジーの歌は好き嫌いがはっきり分かれてしまうかもしれません。87年のオリンピックでは一部のファンが盛り上がっていただけの印象でした。

 翌年、アンジーはメジャーデビューアルバム『溢れる人々』を引っ提げてオリンピックに戻ってきましたが、この時の観客のノリはびっくりするくらい凄かったですね。『天井裏から愛を込めて』の大合唱が懐かしい(^-^)

ECHOES(85年~88年出場)

 辻仁成(Vo) 伊藤浩樹(G)伊黒俊彦(B)今川勉(Dr)※87年当時

 WILLARDショックから救ってくれた2バンド目は彼らです。

 テレビを通して86年オリンピックのエコーズを観た時、私はそこまで夢中になることはありませんでした。

 しかし『GENTLE LAND』を生で聴いた瞬間、当時悩める高校生(今でいう厨二病も併発中)だった私はその歌詞に共感し、気が付くと思い切り拳を振り上げていました(笑)『レプリカの街から』も良かったなぁ。

 余談ですが、この時の私の姿がテレビに映っております。もうアホ( ゜o゜)みたいな顔で…

 そしてこのライブでの一番の思い出はギターの伊藤浩樹さんと目が合って「ニコッ」と笑ってもらえたこと!!!!!!! もう「惚れてまうやろ~(*≧∀≦*)」って感じでした。

 伊藤さんの「自分はひどい近視で客席はよく見えていないんですよ」という雑誌インタビューを読むまでですけどね(/。\)

あ、もちろん今でもファンですよ(⌒‐⌒)

 翌年もエコーズは出場しましたが、その時のMCで辻さんが「来年は出られないと思う」と発言。盛り上がっている最中に話す内容ではないと思い、ショックを受けましたが、「だからこそ、今、この時を大切に…」という辻さんなりのメッセージだったのだと、今なら思うことが出来ますね。

長くなりそうなのでここまでにしておきます(笑)

 いかがでしたでしょうか?(今回はあえてこのフレーズを使いました)多分80年代邦楽ロック好きの方以外に需要のない記事ですよね(苦笑)最後まで読んで頂いたあなたは神です(*ノ▽ノ)

 8月になると『もうオリンピックから⭕️⭕️年か…』と計算するのが毎年恒例となっている私ですが、さすがに『10の位』が3になった時は、時間の流れの早さに驚きました。

本当に最高の思い出でした(⌒‐⌒)  

よかったら、最後にオリンピックの写真をどうぞ。

↓こちらは奇跡的に残った2枚の写真です。89年のX(当時はJapanの表記ナシ)

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