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よろしければZIGGYの話をしませんか?

 ※ヘッダーのイラストは、森重樹一さんのイメージを、私がAIに伝えて作ったモノです😅 全然似ていませんが、個人的には結構気に入っています。


 80年代後半の『邦楽バンドブーム期』に高校生だった私は、当時の曲を耳にすると、今でも滅茶苦茶テンションが上がります。

 ZIGGYの曲もその中の1つ💖 でも『GLORIA』ばかりですよね。『I'M GETTIN’ BlUE』とか『jealousy』が流れてもいいと思うんですが……。

 そして何ヵ月か前には、ボーカルの森重樹一さんがN○Kの番組に出演し、やはり『GLORIA』を熱唱していました。 

 たまたまNH○にチャンネルを合わせていただけだったので、彼の出演は嬉しいサプライズ。痩せ過ぎな体型が気になりましたが、相変わらず素敵なボイスでした(⌒‐⌒)

 バンドブーム時代は20代だった森重さんが現在アラ還‼️ まあ、私が52歳なのだから当然か(苦笑)

 当時の『推し』(…なんて言葉は80年代にありませんが)が現役で頑張っている姿は、日々の仕事で疲れている当時のファン達に活力を与えてくれると思うんですよね。

 そんなワケで、今回の『よろしければ…』シリーズはZIGGY‼️ 『♪ tokyo city night』が一番好きな私が(好き勝手に)書かせて頂きまーす( ≧∀≦)ノ

 彼らにハマったきっかけ

 ZIGGYはファンになった瞬間をハッキリと覚えているバンドです。

 当時、邦楽ロック好きだったアラフォー&アラ還の皆さま、『MUSIC TOMATO JAPAN』という深夜音楽番組を覚えていらっしゃいますか?

 邦楽アーティストたちのMV(当時は『プロモーションビデオ』呼びの方がメジャーだったかな。PVと略すらしていませんでした)4~5曲を、DJの前フリ付きでただただ流すだけでしたが、昭和のロックミーハーには貴重な情報源でした。

 そうそう、定期テストは『完徹一夜漬け』で挑んでいたので、この番組を見ながら勉強していたのも良き思い出です(笑)

 ZIGGYの『I'M GETTIN’ BLUE』が流れたのは、その『崖っぷちテスト勉強』の最中でした。

 ナニコレ!? この人たち曲もルックスもカッコいい!!

 勉強を一時停止し、ブラウン管(笑)を食い付くようにガン見する私。

 曲が終わっても、サビである『♪どっしゃ降りの雨っがぁ~』が頭に焼き付いてしまった私。見事にハートを鷲掴みにされてしまいました。

 令和キッズであれば、この直後にスマホを手に取り、WikipediaやYouTubeをチェックして、メンバーについて詳しく調べるのでしょうね。しかし昭和キッズに出来るのは、『録画に成功したビデオを巻き戻して再生させること』そして『持っている音楽雑誌を再チェックすること』のみでした。(オイ、勉強しろよ)

 当時、私が愛読していた主な音楽雑誌は『PATI-PATI(『パチパチ』スペルは微妙💦)』、『PATI-PATI R&R』『アリーナ37℃』『バンドやろうぜ』でした。予算の都合上、全部は無理なので、好きなバンドがどれくらい載っているかで、購入を検討。『アリーナ37℃』と『PATI-PATI・R&R』率が高かったですね。

 87年秋の時点では、彼らの情報は、そこまで大きく扱われていなかったハズ。確かアルバムの批評やライブレポートが、他のアーティストと一緒に載っていたくらいで……。

 それらの小さな記事から、メンバーの名前や性格などをコツコツ調べるのは割りと楽しかったです。森重樹一さんの名前を暫く『きいち』(※正解は『じゅいち』)と呼んでいましたが(笑)

 そんなZIGGYの記事は、暫くすると大きく取り上げられるようになりました。バンドブームの波に乗ることに成功したのでしょう。巻頭で特集されることも珍しくなくなりましたしね。

 ただし、何を持って『成功』と言えるかは、当時のメンバーだけが分かることですが……。

 ライブには2回行くことができました。

 
 87年秋にZIGGYファンになった私。なんと88年3月には『生ZIGGY』を見ることが出来たんですよ。

 単独LIVEではなく、数組みのアーティストが集まったイベントなのですが、ラインナップがメチャクチャ豪華‼️

・アンジー
・BUCK-TICK
・レピッシュ
・PERSONZ
・ROGUE
・ラフィンノーズ

 そしてZIGGYが私の住んでいる町にやってきてくれました(出演バンドを文字にすると、改めてラインナップの凄さを感じます)
 
 このイベント、『ロック・サーキット』という名称で、東北数ヶ所を回っていたんですよ。チケットの値段は忘れてしまいましたが、万年金欠高校生の私でも手が出たのだから、そこまで高額ではなかったハズだと……。

 この会場で、私は彼らの1stアルバム『ZIGGY~IN WITH THE TIMES~』を購入しました。

 本当はファンになった翌日にでも購入したかったんですよ。でも『推しバンド』が他にもいて、なかなか手が回らなくて…。

 しかし『購入を後回しにして良かった~』と思った出来事が会場で起こりました。何とCDに直筆サイン色紙が付いてきたんです‼️ ラッキー💕勿論、家宝にしましたよ。

 ところで現在いまは、LIVE会場でCDを買うと、もれなくサイン色紙が貰えるのでしょうか? 数ヶ月前、某バンドのLIVEに行った次女は「なかった」と言っていましたが🤔⁉️

 イベントということで5曲(確か)ほどしか聴くことができなかったですが、最高の時間でした。やはり迫力が違いましたね。

 そして2度目の『生ZIGGY』は90年2月の日本武道館でした。

 私以上にZIGGYファンになり、ファンクラブである『極楽倶楽部』に入会した友人にチケットを取ってもらいました。

 何と10列目‼️

 ちなみに友人は、ZIGGYを通じてマイケル・モンローなどを聴くようになった筋金入りのファンでした。

 ZIGGY単独のLIVEも初めてですが、武道館も初めて‼️ 田舎の女子高生のテンションが上がったのは言うまでもありません。

 『ダフ屋』は結構いました。「お姉ちゃん、チケット余ってる?」って聞かれましたよ🤣 規制がより厳しくなったので、もう見ることが出来ない光景なのでしょうね。

 LIVEは最高でしたが、『tokyo city night』が聴けなかったのがちょっと残念。それと…実はこの日、『満員御礼状態』ではなかったんですよ。

 ベースの戸城憲夫さん(ZIGGYのMCは森重さんではなく、ほぼ彼だったらしいです)が、上方の空席を指さして「そこの席にいる黒い人たち‼️ ホラ、もっと騒いで‼️」と言った切ないジョークは今でも覚えています。

 当時の人気はかなりあったのに不思議です。

 2Daysのうちの1日目だったので、ファンは最終日に集中したのでしょうか? そして2日目は満員だったのかな? コレ、実は今でも気になっています。

 そのうち、私は大学で演劇にハマり、ZIGGYだけなく、他の邦楽バンドからも少しづつフェイドアウトしていきました。

 
 そして今は『良き思い出』に

 私以上にZIGGYにドハマリした友人は、仙台で追っかけをした時に、戸城さんとドラムの大山さんに接触することに成功! ファン数人と共に飲みに行くことが出来たそうです。戸城さんはプライベートでもステージ同様、話好きの面白い方だと言っていました。

 そんな彼女もZIGGY以外のこと(勉強や就職活動)で忙しくなり、気がつけば、彼らから卒業していました。

 私も彼女も『あの時は凄いエネルギーを持っていたなー』と色々懐かしんでいます。

 それでもZIGGYの曲は今でも大好きですし、現在、お一人でZIGGYとして活動している森重樹一さんには、心からのエールを送りたいです。

 あ、手放したCD、『HOT LIPS』だけでも駿○屋通販で買い直そうかな😅

 最後までお読み頂きありがとうございました。

 来年もアホなエッセイを書きまくる予定。よろしくお願いいたします。

 皆さま、よいお年を😌