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『ルードの独断論』を知っているか

私 はお恥ずかしながら文章を書くことでお金をもらっている。
未だにその実力はプロと名乗れるレベルではないが、
「物書きです」と看板を掲げればみんな素直に信じてくれるので、
今までのうのうと生き伸びてきている。
長年文章と触れ合っていると、言葉の美しさを実感する。
同時に、言語って何か変だな?と思うことも増えてくる。
その中で、特に私が興味を持って研究している理論をいくつか紹介する。
完全な創作理論であり、学術的には一切認められていないので、
その辺の適当具合も加味したうえで
「ふへ~」と鼻くそほじりながら聞いてほしい。
取れた鼻くそはティッシュにくるんで捨ててください。


『陛下から反社まで可愛い単語論』


何やら物騒な単語が並んでいるが怯えないで聞いてほしい。
思想がどうとかそう言う話ではないです。
例えば『おむすび』という言葉を聞いたとき、あなたはどう思うだろうか? 母音の丁寧語である「お」から始まり、トゲトゲした響きのない単語で、 「ちょっと可愛いよね」というイメージを抱くのではないか。
一般平民が発して可愛い単語、
それはつまり母国の象徴である天皇陛下や 反社会的勢力の皆さんが発しても可愛くなってしまう単語と言うことになる。
この言語論の着眼点としてはそこだった。
『誰が言ってもつい可愛くなってしまう単語』
その究極の形が『おむすび』なのではないかと思ったのだ。

しかし、長年の考察のすえ、この理論において
『おむすび』は必ずしも最強で死角なしの単語ではないことが判明した。 『おむすび』には『おにぎり』や『にぎりめし』という
亜種の呼び方が存在する。『おにぎり』はギリギリOK として
『にぎりめし』って言っちゃったら、
もう天皇陛下も反社の皆さんも全然可愛くない。
途端に、町工場で働くおじさんたちの愛妻弁当や、 白米が銀シャリと呼ばれていた時代の子どもたちの昼飯の様相を呈してしまう。
つまり『おむすび』はこの言語論に該当しないのだ。

陛下から反社まで可愛くなっちゃう単語を探す日々。
次の候補にあがったのは『タコさんウィンナー』だった。
そのまま焼いても食えるウィンナーにわざわざ手間暇をかけて、
タコ足になるように切る。あまつさえタコにさん付けして敬いの感情を見せる。 タコさんウィンナーを作る行為自体がすでに可愛らしい。
ところが、この理論と結び付けるには壁があった。
そもそも、天皇陛下はタコさんウィンナーを知らないかもしれない。
反社の皆さんもタコさんウィンナーを作る機会などそうないだろう。
特殊なシチュエーションでしか使われない単語であるゆえ、
これもまた候補から落ちてしまった。

ひとりで研究を進める中で、私はとうとう友人の力を借りることにする。
日本語話者である友人たちから上がったのは、
以下のような非常に優れた候補たちだった。
『コロコロ』『たんぽぽ』『おやすみ』
私は心の底から友人たちに感謝した。
どれも条件を満たしているように思えたのだ。
やっぱり持つべきもんは友達よなとハンケチを濡らすなどした。
ところが、考察を進めるとやはり穴があることが発覚する。

例えば『コロコロ』。
俗世界で言うカーペットクリーナーのことを差す単語だが、
『おむすび』と同様、亜種の呼称があるため除外されてしまう。
とは言え「おい!組長の部屋のカーペットにコロコロ掛けとけ!」など
新入りが命令される様子はそれなりに可愛いだろう。
天皇陛下が「犬の毛玉が付いちゃった。コロコロしとこうね」など
自室をお掃除なさっている姿も(不敬を承知の上で)
大変お可愛らしくあらせられる。
そんな行為が行われているかどうかは別として。

次に『たんぽぽ』。
提案してくれた友人には申し訳ないが、これは一発除外である。
この理論についてもう一度おさらいをしてほしい。
『誰が言ってもつい可愛くなってしまう単語』
つまり「あっ、思わず可愛いこと言っちゃった。仕方ないな~」感、
ちょっとした照れ臭さのような感覚がないといけないのだ。
その理屈で述べると『たんぽぽ』という単語は、
たんぽぽという花の存在感と、その響きの可愛らしさが強烈である。
『たんぽぽ』と発する行為自体にあざとさが見えてしまい、
そんなもん誰が言っても可愛いだろうよ、と急に冷めてしまうのだ。
陛下が『たんぽぽ』とおっしゃったら千代に八千代にお仕えしたくなるし、 反社が『たんぽぽ』と囁いたら「ギャップ狙ってんのかよ」と色めき立ってしまう。 そういうわけで、この理論においては『たんぽぽ』そのものが禁じ手なのだ。

最後に『おやすみ』。
現時点では、このありふれた挨拶こそが、
『陛下から反社まで可愛い言語』にもっとも近い形態である。
反社が「おやすみ」と相手に告げるのは本来の意味と違うし、 恐らく永遠の眠りかもしれないが、それでも単語の可愛らしさは残せている。
天皇陛下の『おやすみ』も場合によっては不穏な感じがするが、
これ以上はガチで不敬罪に触れそうなので止めておこう。
残念ながら「可愛くなっちゃった、てへへ♪」感は希薄であるが、
ギリギリ許容範囲かもしれない。
何より、日常的に頻度高く発する機会があり、
平民だろうと貴族だろうと平等に死ぬまで使い続ける単語として、
その汎用性の高さは評価に値する。
亜種の呼び方がないという点もかなり大きい。

ただ、ここまで読んでいただいて何となくわかったと思うが、 特定の単語がこの理論に合致するには、いくつもの条件を満たさないといけない。
『おやすみ』も完璧な候補ではないのだ。
私もライフワークとしてこの研究及び単語探しを続けていくが、
もし、この文章を読み進める中で「コレ可愛くない?」「ぴったりじゃね?」 と思い当たる単語があれば、ぜひ連絡をいただきたい。
その際、筆頭研究者である私によって即却下される可能性もあるため、
「ふへ~」と鼻くそをほじる余裕を持って挑んでほしい。


『ルードの独断論』


文字面だけ見れば、ちゃんとした実在する理論に思えるだろう。
残念でした、完全なる創作です。
ちなみに、ルード(1762 ~1982 )とは
イギリス・オックスフォ― ド生まれの言語学者で、大変口が悪くゴシップ好きであったことから周りの学者に酷く嫌われていた 架空の人物。
もちろんWikipedia にも載っていない。
英語で「Rude (不快なほど失礼)」というのが名前の由来である。

さっそく理論の内容について解説していこう。
例えば、あなたがマクドナルドにランチを買いに行くとする。
その際、慌ただしい厨房を眺めながらあることに気付く。
『… あれ?マックのクルーって肥満体の人が少ないんだな』
何気なく生活する中で浮かび上がった疑問、
そこから思考を巡らせて、やがてあなたはこんな仮説を思い付く。
『マクドナルドで働きながらも、彼らは自社製品を食べないのだろう。
だからスレンダーで健康的なままいられるのだ』。
これは偏った考え方であり、その実態はわからない。
「3食ビッグマックLL セットです」みたいなモデル体型のクルーもいるかもしれない。 それでも、あなたの中ではその説は成立しているのだ。
つまり、思い込みと偏見に満ちた非常に失礼な持論のことを
『ルードの独断論』と呼ぶのである。

いくつか例を上げてみよう。
「音楽番組のトークで、ボーカルよりも爪痕を残そうとする 楽器メンバーは自分の影の薄さを自覚している」
「食生活の乱れを指摘する医者に限って、 毎日コンビニ弁当であり夫婦関係も上手くいっていない」
「半蔵門線ユーザーで中央林間駅まで行ったことがある人はほとんどいない」
以上は、私が唱えている独断論の一部である。

特性上、誰かを傷付けてしまう可能性の高い理論である。
コンプラ意識高まる令和の時代に逆行しているが、
こういった偏った視点から新しいものが生まれることは多い。
「思い付いちゃったんですけど… 」と恥じらいつつ告白し合うことも大事であろう。 あなたの内面のRude もこっそり見せてもらえると嬉しい。

今回は、独自の理論として 『陛下から反社まで可愛い単語論』
『ルードの独断論』の2つを紹介させていただいた。
ご存知の通り、日本語は世界でもきっての習得難易度を誇る言語である。
第一言語として日常使いしている我々日本人でさえ、
その実態を知り尽くすことは難しい。

日本語を愛し抜き、日本語の美しさを称えるためにも、
引き続き研究を進めて、様々な理論を発表していければと思っている。
つーか今気付いたけど、『ルードの独断論』は別に日本語関係ないし
言語論じゃなかったね。まあいいや。

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