【覚悟を持ったプロの仕事は、やっぱり美しい‼️】
昨日、
この1か月、
ずっとウォッチしていたプロに、
会って、
2時間ほど、
じっくりと話を聴く機会を得た。
とにかく、
何から何まで、
カッコ良かった。
話し方に自信が溢れ、
時に、
チャーミングに、
ドキッとするようなコトを、
屈託なく、
話す。
私は、
プロが好きだ。
ほんとうのプロが好きだ。
10年前、
外資系の金融機関に、
内部監査という特殊なポジションで、
入った。
クリックするだけで、
数億円が、
一瞬で、
消えてしまうような日常。
そんなエリート集団との、
緊張感しかない、
インタビューを経て、
私は、
無駄のない、
合理的な聴き手となった、、、
はずだった。
その後、
生命保険の営業職の現場で、
私は、
その間違いに、
気づかされる。
ヒトは、無駄で出来ている。
論理的であるコト、
効率的であるコト。
ヒトは求めていない。
話を聴くというのは、
その無駄に付き合う、
コト。
聞き漏らしや聞き逃しは、
全く問題ない。
正しさは必要ない。
何度でも、
同じコトを、
聞いてもイイ。
むしろ、
何度も同じコトを、
丁寧に聴くコトが、
信頼になり、
安心になる。
難しい。
私には、難しい。
難しかった。
プロには、無駄がない。
そこに、美しさが宿る。
凛とした覚悟が、ある。
私はこれから、
多くのプロの話を聴く。
同時に、
プロでないヒトの、
取り留めもない、
非論理的な、
非効率な、
話も聴く。
今は、学びの時。
いつだって、
話をするコトはできる。
得意だ。
それに、
特異だ。
テーマも、トピックも。
とにかく、
ヒトと同じコトができない。
ヒトと同じ道さえ歩けない。
舗装もされていない、
枯れ木で埋め尽くされた、
道と言えないような、
山道を、
ヒトは、
レンタルした電動自転車で、
走らない。
私は、それを娯しんだ。
私は、
プロなのかもしれない。
娯しむコトのプロ。
そう捉えれば、
苦手な、
非論理的な、
非効率な、
ヒトの話を聴くというのも、
また、
娯しみに変わる。
その、
紆余曲折や、
右往左往を、
時に寄り添い、
時に傍観して、
相手の満足のために、
話を聴く。
それも、イイじゃないか。
それが望まれているのなら。
それが仕事になるのだから。
それでも、
そう思ってみても、
なお、
私は、
隙のない、
自分に厳しい、
過去を振り切って、
未来を創り出す、
徹底したプロのコトバを、
聴き続けたい。
たぶん、
覚悟が違うのだ。
背負っている重圧が、
全く違うのだ。
だから、
そこには無駄がない。
理のないコトを嫌う。
安易に触ったら、
こちらが怪我をする。
そんなプロとの現場。
私も、
娯しむプロとしての、
覚悟をもって娯しむ。
それでは。
【いつか、また、どこかで】
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