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【ウソみたいな自己紹介~生後40日で保育園編~】


 
昨日、
有料記事のするための質問を、
コメント欄に書いてくださいね
と、
募集したところ、
なんと、、、
 
 
全く、コメントがない。

 
もしかしたら、
システムが反応してないだけかな、
と思い、
今、確認しました。
 
 
ない。
どこを探しても、質問が来てない。
 
 
 
なるほど、なるほど。
 
 
やっぱり、そうか。
 
 
私の答えなんて、誰も、まだまだ、求めてないのだね。
 
 
よし、分かった。
 
 
引き続き、
ウソみたいな自己紹介を重ねるだけだ。
 
しかも、無料で、だ。
 
 
 
ネタなら、頭の中に、まだまだ、ネテいる。
 
しかも、毎日、熟成中だ。
 
 
 
 
今日は、そんな私が生まれる前後の話。
 
 
 
自分の経験なんだけど、
私には記憶はないし、
母親と父親から聞かされた話だから、
どこまでホントか、
分からない。
 
それに、
父親には、
会えないし、
話を聴けない。
 
 
 
2週間ほど、予定日を過ぎた頃に、私は、生まれた。
 
 
体重は、4050グラム。
 
4Kgを超えるのは、それは結構なコトですね。
 
 
ホントに、出てきたくなかったんだろうね。
 
 
予定日から17日目に、
いよいよ、
もう、
そろそろ、
といった具合で、
お産が始まった。
 
でも、
無駄に胎内で大きくなった私は、
出てこれない。
 
そりゃそうだよね。
 
普通であれば、
2週間前に出てきて、
家族や親戚、友人たちに、
かわいい、カワイイ、可愛い、
って言われて、
ズンズン、
人間らしくなってるはずで、
だいぶ、
大きくなってた。
 
 
産道の方も、
ビックリしてたんじゃないかな。
 
 
 
おいおい、
お前、
ココ、
本気で、
通る気、、、
 
 
 
 
最後は、
産科の先生が、
文字通り、
母親に馬乗りになって、
押し出そうとするともに、
鉗子か何かで、
引っ張り出して、
ようやく、
誕生。
 
 
壮絶だね。
 
 
なもんで、
生まれたての長男である私を見た、
一応、
写真屋の次男である父親は、
思ったそうだ。
 
 
カワイクない。
なんか、違う。
 
 
カメラを持っていたらしいけれど、
その時の写真は、
残ってない。
 
 
撮影しなかったのかもしれないし、
引っ張られた頭の形が歪で、
あまりの、
不細工さに、
シャッターが切れなかったのかもしれない。
 
 
いずれにしても、
私は、
産まれたての私を知らない。
 
 
 
全くの余談だが、
予定日を過ぎた入院中に、
母親は、
『ドカベン』を読んでいたらしい。
 
 
野球漫画の最高峰。
 
 
当然のように、
野球少年になった私は、
『ドカベン』に、
多大な影響を受けた。
 
 
岩鬼に、殿馬に、里中に、山田太郎。
 
微笑とか、土井垣とか、山岡とか。
 
 
野球そのものだけでなく、
ヒトそれぞれの強み(や弱み)を活かすことで、
各ポジションや打順が構成され、
組織的なチームとしての、
そして、
エンターテインメントとしての、
面白みが創られる。
 
 
これは、
ビジネスの世界でも、
それなりに結果を残した、
今の私を支える、
とても重要な考え方になっている。
 
 
 
さて、
そんな困難な誕生を経て、
世に出てしまった私ですが、
実は、
生後40日で、
すなわち、
一か月半を待たずに、
保育園に預けられることになった。
 
 
母も、
父と一緒に、
家族経営の写真屋(ホントは写真館だけど)で、
バリバリ働いていたからだ。
 
 
当時、
祖父、
伯父、伯母、
父、母、
と、
5人くらいの従業員で、
田舎の写真屋なのに、
目まぐるしく忙しかったらしい。
 
母は、
それなりに、
求められた役割を果たして、
コミュニケーションが不得意な、
結構に難しい家族経営の中で、
上手く立ち回るコトにより、
信頼を得ていたとのこと。
 
 
でも母は、
実のところ、
そんな面倒な環境に身を置くコトは望んでなく、
子育てに専念したかった、そうだ。
 
私には、
2歳違いの姉がおり、
家で、
子どもと一緒の時間を過ごしたかった、そうだ。
 
 
でも、
状況的に、
仕事があったし、
役割も与えられていた。
 
 
当たり前のコトだけど、
分かっていることだけど、
産まれてくる男の子が、
お腹から出てきたら、
妊婦ではなくなる。
 
そして、
整えられた、
状況に抗えず、
その子を預けて、
与えられた役割を、
全うするコトになる。
 
仕方がない。
仕方がないんだ。
 
自分が選んだ家族で、
自分が選んだ状況だ。
 
 
 
これは、
私の勝手な妄想だけれど、
お腹の中にいた私は、
母の、
そんな、
言葉に出来ない感情を、
一身に受け止め、
できるだけ長く、
お腹に留まって、
少しでも、
時間を先延ばししていた。
 
 
そんな気がしてならない。
 
 
そして、
当然のように、
生まれたての私を保育園に預けて、
バリバリ働くコトになった。
 
 
父は、
そんな母の思いを、
聴くようなヒトではなかった。
 
悪いヒトではないし、
母のコトを大好きだったけど、
コミュニケーションが上手くない家庭で、
彼は彼で苦労して育った影響もあるのか、
母に耳を傾けるコトはできなかった。
 
父自身、
養母に育てられて、
昨年99歳で亡くなった祖母には、
育てられた覚えがない、
と、
言っていた。
 


父の最後は、
母が面倒を看た。

これは、別で書いた。


私が幼い頃から、
二人が仲良くしていた記憶は、
ない。

父が怒鳴ってない、
普通の会話をしていた覚えが、
ない。

いつも、
何かに我慢しながら、
耐えているように、
父の言葉を無視していた母の姿が、
目に焼き付いている。

 
 
当時、
今の私が、
私が生を受けた場にいたとして、
家で子どもの世話をしたかった母や、
そんな母を大好きだった父や、
父を自分の手で育てなかった祖母の、
働き方や生き方、
家族への向き合い方について、
キチンと話を聴くコトなんて、
できたのだろうか?
 
 
それは、分からない。
 
 
日本に、
『キャリア』という、
言葉も、
概念も、
全くなかった時代の話だ。
 
 
『キャリア』という考え方がようやく浸透し、
『キャリアコンサルタント』が国家資格となり、
『働き方改革』なんていう、
馬鹿馬鹿しいスローガンが、
世を惑わすコトになる、
40年も前の話だ。
 
 
それぞれのヒトが、
それぞれの生き方や働き方、
それぞれの強みや弱み、
それぞれの思いを、
自由に話させるような、
そんな環境を、
国が用意しようとしてくれている。
 
そんな国に、
今の私達は生きている。
 
 
岩鬼に、殿馬に、里中に、山田太郎が、
奇想天外なプレーで、
スタジアムを沸かし、
読者をワクワクさせるように、
ヒトそれぞれの活躍が、
期待されている。
 
 
 
できるかどうか、
それは、
分からないけど、
彼女や彼の、
誰にも話せない、
誰にも話さない、
心の声を、
聴いてみたい私がいるのは、
確かだ。
 
 
 
 
それでは。
 
 
【いつか、また、どこかで】

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