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デフレに慣れたくない!

お疲れさまです、ご無沙汰しております、カワチです。
ついに3月更新せずに過ぎ去ってしまい新年度になってしまいました。

日本はデフレ社会です。私は25歳なので、ほぼ生まれた時から日本はデフレ状態で、インフレの景気の良さにこれっぽっちも触れたことのない世代ですが、そんな私でもデフレに慣れたくない!という気持ちを持っています。

デフレとは?

デフレとは、単純にいうと供給が需要を上回り物価の基準が下落していくことです。デフレが行きすぎることにより、企業は収益性が上がらないので、雇用や所得も停滞してしまいます。日本は、この20年ほど緩やかではありますがデフレが加速している状態です。デフレが続くことにより、「所得が上がらない→消費しない(需要が上がらない・安くないと買わない)→企業は収益性が上がらない→所得が上がらない」というループが出来上がることから、不景気といわれる原因にもなっています。

このようなデフレをなかなか解消できない要因について、政府、企業、国民という3視点から私の意見を書いていこうと思います。

政府視点でのデフレ脱却

大きな話からになってしまいますが、まずは政府の視点から書きたいと思います。
政府が行うデフレ対策としては、需要を高めるために雇用を拡大したり所得を増加させる「財政政策」が挙げられます。個人にかかる税金を減税したり、公共投資を行うといった積極財政を通して、政府自身がまずお金を使って需要を拡大していこうという姿勢が必要になってきます。

一方、現在の日本の財政政策は、政府の支出を抑えようという方向性であり、デフレ対策とは真逆の方向に進んでいます。例えば、郵政など公共事業の民営化や、消費税の増税等を行っていますが、これはむしろインフレへの対策内容です。

バブル崩壊で資産価値(=物価)が一気に下がりデフレの対策を行うべきものの、何故かこの20年インフレ対策のような方針を取ってきてしまったことが、現在のデフレによる景気の停滞に繋がっています。
(この根本には財政赤字への不安がありますが、その部分は今回は省略します)

企業視点でのデフレ脱却

続いて、企業目線ではどうなのかということです。
私は、デフレ対策における企業の責任の1つは、価格を据え置くことにこだわるべきではないということです。日本の企業は、同業者間の価格競争の激しさ等を背景に、価格があがると消費者が離れていくという考えが根付いており、企業努力によって商品の質は向上している一方で価格をあげにくいという現状があります。質の高いものを生産・提供して、それに応じて価格を上昇させるという姿勢が必要です。

もう1つの責任は、従業員を大切にすることだと考えています。株主至上主義により内部留保を溜め込んで株や債券に過剰に投資することや、非正規雇用のような流動的な雇用形態でコストを管理することは避けるべきです。安定的な雇用形態と賃上げが為される環境を作ることで、従業員が生活する上で使えるお金を保証し、増やしていくことが必要です。もちろん、経営上コストの管理は重要ですが、人件費でコスパを管理するのはあまりよろしくないと私は感じています。

企業の大きさや状況は様々ですが、このように、サービスや商品の質の向上に伴う価格の上昇によって適切な利潤を得ることと、雇用の安定と賃上げによって従業員が使えるお金を増やすことのループをつくり出すのが、デフレ脱却に向けた企業の責任であると思います。また、この体制を生み出すために、企業だけではなく政府も環境づくりに積極的になるべきです。

国民視点でのデフレ脱却

最後に、国民視点でのデフレ脱却について書きます。
デフレ脱却なんて、結局政府や企業の動きが大きく影響するし、国民ひとりひとりが頑張ったところで使えるお金も限られてるし…と思うかもしれませんが、ここではマインドの面について書いていきたいと思います。

「お金は使った方が豊かになれるに決まっている」というのが私の主義です
長いデフレ社会の産物として、節約が正義とか、持たない暮らし、ミニマリスト、ポイ活、のような、お金使わなくても豊かな生活が送れて、お金の無駄遣いが悪だ!みたいな風潮が作り上げられつつあります。不景気が続いて「備え」「節約」の姿勢が過剰になっていることがすごく悲しいです。(仕方ないですが…)

もちろん、本当に安くて質のいい製品もあるし、使えるお金が限られていてやりくりをしている方もいると思いますが、使えるお金を貯め込むことこそが全体として経済を停滞させます。使えるお金がある人はどんどん使って消費した方がよほど自分のためにも、世の中のためにもなると私は思っています。

せめて、安さ・お得感が正義!みたいな今の風潮から、質の高いものにそれ相応のお金を払うことを、皆が、柔軟に、許容できるようになればと思います。デフレに慣れない、染まらないことが国民としてのデフレ脱却への責任だと思います。

まとめ

今回は、デフレについて3視点から書きました。
この記事のタイトルは私のいち国民としての叫びでした。笑

かなりラフに書いたので、金融政策とか経済のキホン、公平性とか、世代間の違いとか、欠落している視点がたくさんあると思いますが、私と同じようなデフレに生まれた若者が、デフレとその対策について何か問題意識を持って話せるきっかけになればいいなあと感じています。

久しぶりになってしまいましたが、今年度も継続して書いていけたらと思います。

今日はこれで終わります。最後まで読んでくださってありがとうございました。
カワチ



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