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長短編小説 僕が幸せに働く為に

「仕事なんだから、何でも出来ないとダメだ。社会人というのは何でも出来るオールマイティーな人間の方が何でも頼めるだろ?」
確かにオールマイティーに何でもこなせる人は、それはそれで強みだと思う。でも全員が全ての業務をこなしたり、オールマイティーな気質を持っていないと思う。それを無理矢理個人の気質も性格も無視して、1つのモデルケースに当てはめることに何の意味があるのだろう。
僕は仕事の内容にもよるとは思うけど、その人の持っている個性や得意なことを合わせあって仕事をしていく方が、今の形よりずっとクオリティーを高められると思うのだけど。
みんなが70点のオールマイティーに出来るより、この人はこの仕事で100点の仕事、あの人はあの仕事で100点みたいに。それぞれの特性を活かして働いてもらう。その方がずっと建設的だし、現代にも合ってると思うんだよな。何より1人1人が働いていてストレスを感じにくいし、自分に自信を持って働ける。こういう環境の方が会社にとってもプラスだと思う。

「はい、でも僕はどうしてもwordの業務をするよりもwebデザインのような業務の方が質の高いものを出せると思うんです。もちろんwebデザインも専門家程ではないのですけど、この会社内であれば得意な部類に入ると思うんです。例えば顧客への営業するに当たって、プレゼン資料を作る時もデザイン周りを任せてもらえれば進んでやります。それであれば今のオールマイティーな仕事を任せられるより、もっと質を高められる。だからそこに注力出来ませんか?」
「それはただの甘えだ。wordの業務を誰かが負担しなければならないんだぞ。それよりここでの作業はそんなに高い質を求めていないんだ。デザイン会社でもないのにそんな特化する必要もない。それよりも会社員というのは、歯車の1つなんだよ。歯車の1つなんだから、高い質より何でも出来る人を求めるんだ。」
「そうですか。分かりました。苦手なりに努力します。でもデザイン面は僕に任せてください。」
「分かった分かった。これだから今の若い者は苦手なことから逃れようとする。短所を克服する気がないんだな。短所にちゃんと目を向けないとダメだ。そこを改善しないと会社員としては失格だ。」

昭和時代は歯車の1つとして何でもそれなりの社員が求められていたのかもしれない。でもその頃からもう何十年も経っている。時代が移り変わっているのに、全て一緒のような社員像を求める現状を考えれば、この会社は時代から取り残されるような気がする。
苦手な業務もどうしたら簡単に出来るか、そこにストレスを感じないように工夫してみる。やっぱり上の人の気持ちも分かるけど、その方が社員全員のモチベーションにも仕事のクオリティーアップにも繋がる。
それと得意なデザイン業務をそれとなく同僚に提案してみようか。そこで採用してもらったら同僚は見方を変えるかもしれない。下から環境を変えていけば、上の人も考え方を変えざるを得ないかもしれない。
その為には他の社員がプレゼン資料や見せ方で困っている時に声を掛けて僕が代わりにやってあげる。そうすると向こうもこっちの苦手な業務を代わりにやってくれるかもしれない。お互い得意な分野で仕事をこなしていけば良いんだ。何もロボットみたいに働く必要はない。

僕等が幸せに働けるように、自分から動いて環境づくりをする。それは自分の為だ。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
小説家の藪田建治でした。

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