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リビング・イン・ニア・トーキョー #13


 木曜日の午後。東京駅の前では、駅舎の写真を撮っている人たちがいる。

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 仕事の関係で、木曜日が休みになった。
 例のウイルスのせいでずいぶんと落ち着かない数ヶ月を過ごしているけれど、以前の主体性も何もない日々のことを思えば、いまはずいぶん居心地がいい。木曜日が休みになったのは、土曜日に出勤する必要があったからである。振替休日ということだ。こうやって「ちゃんと」休みが取れるというのも、以前では考えられなかった。自分が、ニア・トーキョーにいることも。

 さて、休みをどうしようか?考えた末、たどりついたのは東京駅。
 駅舎の写真を撮っている人たちがいる。スーツケースをコロコロと転がしながら歩いている人たちがいる。レンガの駅舎の向こうには、無機質な高層ビルとクレーンの群れ。そこには、例のウイルスのせいでいくぶん小規模になっているとはいえ、それでも「らしさ」があふれている。イメージしていたとおりのトーキョーの空気。そんなところにぼくは、メッセンジャーバッグひとつで立っている。遠くて遠くて遠かったこの地にも、ずいぶん気軽に来れるようになった...この不思議な感慨は、まだまだ新鮮なものとして感じられる。伊達に28年を、トーキョーから300km以上離れた故郷で過ごしてはいない。

 東京駅に来たのには、目的があった。それは、皇居を見ること。
 いちど皇居に来たことはあるが、あくまで仕事の一環(修学旅行の引率)でしかなかった。自分の足でここに来るのは初めてのことだ。ここに来たかったひとつの理由は、相変わらず消えないミーハーソウルによるものである。行ってみたい有名どころはもっともっとある。なんとかタワーとか、なんとかツリーとか。
 もう一つの理由は、いったい何でもって自分が構成されているのかをこの目で見てみたかったから。日本という国に生まれて育った自分には、少なからず、皇居に住んでいるあの人たちの一族の思想が流れ込んでいる。時代の流れか、意識せずに生きていれば「それ」が感じられることもほとんど無くなっただろう。それでも、この国の根底には歴史があり、その歴史の中でぼくたちは生きている。

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 皇居前に立ってみる。
 向こうに高層ビルの群れは見えない。明らかに気の遣われた空間。故郷では、ここまで「スペシャル」を感じさせる空間はなかった。トーキョーの異質さ...自分から見れば「異質」と説明できるこの空気が、当たり前になっている人たちもいるのだろう。日本に生まれ育たなかった人たちに比べれば、自分もまだ、「当たり前側」の人間として受け止められるのかもしれないけど。

 「東御苑」というところに入ってみる。
 そこには静かな世界が広がっていた。人気も少ない公園。とくれば、「憩いの」という枕詞もつくのだろう。だけれど、体と心を休めるにしては、ここはやや物騒な空間に思えてくる。ただの公園とはちがい、そこら中に石垣やら江戸時代の詰所やらが広がっているからだ。なんらかの「敵」を想定した空間。そう、ここはちょっと前まで「江戸城」だった。「江戸城」だったそれが、今ここに住んでいる人たち...おそらく、正確には、その人たちを担ぎ上げようとしたグループ...によって接収され、あるいは献上され...そして、王の住まいとなった。

 歴史を知ることで、世界の見え方は幾分と変わる。
 社会科の教員だった自分は、ずいぶんと歴史を学んだ。ひとと比べてそのあたりに敏感になれるという自負がある。おかげで、目に映るあらゆるものが、豊かな時代を湛えた遺産に見えてくる。その中に紛れ込んだ「悪意」も見えてくるせいで、いやに厭世的な捉え方をしてしまう副作用もあるけれど...。でも、損をしたようには思っていない。むしろ得だ。そう思える自分でよかったなあと思いながら、東御苑を回る。

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 東御苑の中。そこには石垣だけが鎮座していた。
 かつてここにあった天守は、江戸時代に火事で焼けた後、「不要」として再建されなかったという。城の象徴が不要になったということは、それだけ時代が落ち着いていたということなのだろうか。それとも、それだけ合理的な判断が尊重される世の中になっていたということなのだろうか。そこが分からないぐらいには、自分の歴史に対する理解は中途半端だ。まだまだ知らないことが世の中には広がっている。

 石垣を登る。
 江戸時代に作られた?と思われる階段。自分が思っているよりも、人々は昔からものづくりが上手だ。なにせ、この石垣をどうやって作り上げたのか、見ただけでは分からない。そのような技術があったことも、分からない。それでも、一つわかることがある。歴史上のいつにおいても、「高い」がひとつのステータスになっているということだ。周辺よりも一段高い石垣。偉い人は、なぜかいつも、高いものを作りたがる。それは、高いものを作るために、それなりのマンパワーが必要だからなのだろう。

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 石垣の上から向こうを眺める。
 そこには、ここにある石垣よりもはるかに高いビルが並んでいた。舞浜からトーキョーを見たときのような「魔界都市」の空気は、そこにも満ちている。この石垣よりも、そしてここにあった天守よりもはるかに高いであろう高層ビルの群れ。人は、あの時代よりも「偉い人」になったのだろうか。あの時代よりも、パワーを持つようになったのだろうか。

 魔界都市トーキョー。
 石垣に比べて無機質極まりないそれら。自分の感じる「魔界」の空気はそこから感じ取られるものなのかもしれない。


 しばしば揺れがちな町の地下鉄駅から、家に帰る。
 皇居を一周しようとしたが、5分の4周くらいしたところで、お腹が空いてきたのでやめてしまった。いずれまた一周しに来ようと、そう思えるくらいには、自分の未来を信じることができる。そう思っていられる。それは、それなりに歴史を学んだ自分の、ひとつの結論でもある。

 未来は、それなりには明るいのだ。どんなに世の中に絶望があったとしても。このあたりの感覚を説明するのはどうにも難しいが、そう思えるから、こんな休日も有意義に思えてくる。それでいいのだと思う。


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