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【当たり前を疑う】言葉は思考の牢獄?もしくは言葉は思考を磨く研磨剤?

今回は「思考を言語化する」という行為について考えていきます。

みなさまは普段から自分の考えを言語化するということを意識してるでしょうか?

私は思考を言語化したいから、noteに考えたことを記事として残すようにしています。

なので「言語化」ということについて色々考える機会が多いのですが、「言語化」ってメリットなのでしょうか。それともデメリットなのでしょうか。

難しいなと思ったので今回記事にしてみたいと思いました。

まずは個人的な考えとしては言語化は思考の牢獄でもあるし、思考の研磨剤でもあると思っています。

例えばあなたが宇宙飛行士になりたいという夢を両親に語ったとします。両親は「宇宙飛行士になって何がしたいの?」という質問を投げかけたとします。あなたは何も答えれませんでした。

ですが私は答えれないなら宇宙飛行士を目指してはいけないとは思わないです。質問された時に言語化できてないと自信をなくしちゃう人が結構多いのかなと思います。私はそんな時に質問という行為の優位性や暴力性を感じます。

じゃんけんで例えると、質問者は常にパーで回答者は常にグーなのです。

宇宙飛行士になってから「何故宇宙飛行士になりたかったのか?」を考える。それじゃダメなんですか?

「ワクワクするから宇宙飛行士になる。」私はそんな理由でも構わないと思っています。

その理由でどこまでも夢を叶えるまで頑張れるのなら。

次は宇宙飛行士になるという例えをそのまま使って、宇宙飛行士になる理由を言語化出来ているパターンを考えてみましょう。

宇宙飛行士になりたい理由が「月に行って、月の重力を体感してみたいから」と言語化出来ていたとします。

しかし、あなたは宇宙飛行士になる試験に何度も落ちてしまいました。もう諦めようかなと考えたりもします。そんな時にその人はどんなことを思い浮かべるでしょうか?

最初に言語化した「月に行って、月の重力を体感してみたいなあ」という思いがその人を再度奮い立たせるのではないのかな?と思うのです。

もし奮い立たない時はその程度の気持ちだったのでしょう。なんとなく言語化してたというだけです。

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私は「言語化」は基本的にはその人の行動原理になるものだと考えています。

ですが言語化できてないから行動してはいけないということもないと思っています。

「行動しながら言語化していく。」それでいいのかなと思っています。

「真剣になやんでギンギンに言語化した言葉は最強の武器になる。」そう思っています。

「思考は宇宙よりも広くて、言葉は剣より鋭い」

まとめると、人って面白い生き物ってことですね。

お風呂に入るので終わります。最後まで読んで頂きありがとうございました。

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