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日本人が桜を美しいと感じるのは何故か?

この問いの答えを探しはじめたのは、2021年の秋口。

「英語で日本文化を話せる日本人を輩出する」
を目標に、カルチャーコンテンツの英語化をコツコツ進めていて、ちょうど英訳を1つ終えたところだった。

次は【日本の四季】というタイトルにしたかったので
 ・四季は何によって規定されているのか?
 ・四季の区分方法は?
 ・どのように四季を愛でているか?
等の小さな問いを立てて、リサーチを始めた。

■ ハイコンテクストなテーマから事実ベースのテーマへ

神道、仏教、歳時記など手当たり次第に色々調べたけれど、ヒントになりそうな情報にかすりもせず…
リサーチは迷走し、別のタイトルにスキップすることにした。
【日本の四季】は想定外に抽象度が高いテーマだった。

次に選んだのは【お香の日本史】。
歴史なら抽象もへったくれもない、事実だけ!と期待して、過去のお稽古ノートを頼りに、リサーチを始めた。

40時間くらいで終わるだろう、と軽い気持ちでいたらドッコイ。
ちゃんと計算していないけれど、400時間は勉強したと思う。
二千年分の歴史を勉強するのは簡単ではなかった。

■ 歴史を勉強する面白さに気づく

歴史を勉強すると、史実という木の幹から、人物、文学など、カテゴリーで情報が枝分かれしていく。

小さな情報も丁寧に史実と繋げながら調べていくと、思いもよらない ”気付き” があり、それがとても楽しかった。
(だから勉強時間が400時間になってしまった)

そしてリサーチ中に、過去にスキップしたタイトルの手掛かりに遭遇することもある。

【日本の四季】で手を止めた「日本の季節感の定義」をなんと【お香の日本史】の中で見つけた。

■ お香の日本史にも起こる歴史の ”再現性”

歴史には ”再現性” があると思うけれど、【お香の日本史】から見たそれは、

日本文化は、大陸文化の受容と、農耕社会における自然信仰との間を
行き来しながら、独自性を生み出した

ということだった。

平安時代で貴族間で起きた現象が、室町時代に武士同士で再現され、それが”香道” と呼ばれて、現代に受け継がれている。

平安時代と室町時代の間に ”再現” されたものは何か?
「大陸文化の受容」と「農耕社会における自然信仰」に分けて考えたいと思う。

■ 平安時代の「大陸文化の受容」と「農耕社会における自然信仰」

平安時代(794-1185年)の文化の担い手は宮廷貴族で、この時代の発展を語るのに欠かせない天皇が2名いる。

嵯峨天皇(在位809-823年)は、遷都後間もない平安京を平定し、最盛期の唐に倣って、宮廷の政治体制や文化の唐風化を押し進めた。

醍醐天皇(在位897-930年)の御代は『延喜の治』と呼ばれ、国風文化が発展。
その最たる例が『古今和歌集』の勅撰(905年)で、日本の花鳥風月を鑑賞する美的感覚が、ここで確立された。

『古今和歌集』が編纂された100年後の宮中を描いた『源氏物語』はまさに、平安中・後期の宮廷文化の頂点。

宮中でお香は欠かせないアイテムであったことは、誰もが知るところだと思う。

平安初期のお香は、唐から入手した処方を元に調合されていたが、『源氏物語』の時代までに様々なアレンジが加えられ、日本の風土や草木を模した香りの独自処方が、貴族の家々で秘伝されていた。

ここで私が指摘したいのは、
 ・大陸文化を模倣するフェーズから、日本の花鳥風月賛美へのシフト
という現象が起こったこと。

この時点では、宮廷文化全体に生じたマクロ的現象だが、茶道・花道・香道・能などの芸道が発達した室町時代には、ミクロ的現象として、お香文化で ”再現” される。

■ 室町時代の「大陸文化の受容」と「農耕社会における自然信仰」

室町時代が受容した大陸文化は、「禅」に尽きると思う。

正確には、鎌倉時代から流入していたけれど、日本の文化・社会が受けた影響が形になってきたのが室町時代と言った方が近い。

「禅」を最終的に受容したのは「武士」で、その頃には、文化の担い手が「貴族」からプレーヤーチェンジした頃だった。

武士の間で実践された香文化は、
 ・香の調合ではなく、原料である香木の香りを楽しむ
という形で現れた。
「香木一味」「沈香木一味」等と呼ばれる鑑賞方法で、当初は高品質の香木を焚き、静かに香りに精神を傾ける形式だった。

それが次第に、質の高い香木を「蒐集」する武士たちが現れ、手元の香木を区別するために、雅な名前をつけるようになる。

中国王朝(当時は宋)でも香木に名前をつける習慣はあったが、種類や質の良し悪しや色等の、製品番号的に名付けていたようだ。

一方で日本は、日本の名勝や花鳥風月、風物等を用いて雅名を付けていた点に独自性がある。

ここに、
 ・大陸文化を模倣するフェーズから、日本の花鳥風月賛美へのシフト
が ”再現” されていると思うのだ。

■ 日本人が桜を美しいと感じるのは何故か?の答え

農耕社会の上に成り立つ文化は、身近な花鳥風月の移変わり(=四季)を観察して生活時間が規定される。

特に桜の開花は、田植え始めの目印だったことから、人口の大半を占める農耕民に最も身近な存在だった。

桜は、日本人の生活を規定する大切な存在だったから、愛でる心が芽生え、美しいと感じる。

これが、私が出した答えだ。

桜を美しいと感じる心のルーツが、日本古来の身近な自然に惹かれるところにありそうだ、と、ちゃんと納得できたことは、アイデンティティに少しだけ明かりを灯した気がして、嬉しくなったので、ここに記しておく。


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