自己紹介
とりあえず、私の自己紹介でも…
1989年にこの世に誕生しました。
現在31歳です。
色々と壮絶なため詳しい生い立ちなどはまた今度にして、今日は簡単に。
両親と姉がいます。
4歳から父の仕事の都合でシンガポールに住んでいました。
当時はショートカットで細くてすばっしこい小猿のような子でした。
シンガポールに行ってすぐの頃はローカルの幼稚園に入りました。
先生も生徒もみんな外国人。
元々シャイで自分の意見を言えないタイプでしたが、更に言葉の壁があることでメンタルをやられ転園することに。
日本人幼稚園に入園したものの、今度は言葉が通じるが故に気の強い子に圧倒されメンタルやられる。(おままごとで毎回赤ちゃん役をやらされたのが悲しかった私。)
そのまま日本人小学校に上がり小学生に。
この頃は割と平穏に暮らしていた記憶。
隣の席のだいすけくんが急に吐いてしまったとき、みんなは「うわ〜きたね〜!」と騒いで遠くに逃げた。(子どもって残酷…)
私は席から立たず、だいすけくんにそっとポケットティッシュを差し出した。
後日だいすけくんのお母さんが私の母に「だいすけがkokoroちゃんのこと好きみたい❤️」と言っていた。
ポケットティッシュから始まる恋、尊い。
小3で日本に帰国。
やはりうまく馴染めずあまり覚えていない。
中学でお手本のような思春期到来。
中2で心を病みリストカットなどの自傷が始まる。
高校は一週間で不登校になり引きこもる。
毎日精神薬をOD(大量服薬)して常にラリってる状態。
離人感が酷く現実感がまるでなかった。
夢の中なのか現実なのか、はたまたこの身体の主は自分なのかなんなのかまるでわからなかった。
心と体がちぐはぐだった。
唯一の救いは好きなバンドのLIVEに通っていたこと。
LIVEだけは絶対に行きたいという気持ちだけでなんとか命を繋いでいた。
PUNKもROCKもHCも私の生きる希望だった。
ライブハウスで爆音に包まれてるときだけは「生きてる」と実感できた。
18で通信の高校に通い直し20歳で卒業。
その時の担任がバンドマンで、実はバンド界隈ですごい人だった。
これもかなり私を救ってくれた。
その先生のアドバイスのおかげもあり、音楽の世界に飛び込むことに。
その後音楽の専門学校に行くため上京。
上京先の精神科にて「境界性人格障害」と診断される。
自分がなんなのかわからなかった私は診断がおりたことにホットした。
一人暮らしで浴びるように酒を飲みアルコール依存症へ。
音楽やりながらメンタルが最高潮にぶっ壊れ色々とやらかす。
10代から拒食の症状はありつつ少し回復していたのだがストレスでまた拒食へ。
LIVEの出番前に「さすがに胃に何か入れなきゃ」と思い必死でカロリーメイトを水で流し込んでいる姿を共演者に見られ、よほど切羽詰まった顔をしていたのかドン引きされる。
心身ともにやばくなって精神科に入院したりさながらシンガーソングライターとして27歳まで活動。
27歳で音楽活動休止し結婚。
なんだかんだで生きて今は主人とにゃんこと割と平穏に暮らしている。
病状も昔よりはかなり穏やかになった。
ものすごくザッとした内容になってしまいましたがザッ!とまとめるとこんな人間です。
需要があるかはわかりませんが少しずつ私の生きてきた道を綴っていこうと思います。
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